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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.150 再びパックのショコラ/念願成就

 

【再びパックのショコラ】
 確か2年前にこのレポートでパリのパック・ショコラ事情を書いた記憶がある。フランス語で復活祭をパックと言い、クリスマス期のショコラ売り上げよりパックの方が多いと書いた。日本ではパックよりイースターの方が分かりやすいのではとも。
 パックはキリストの復活を祝うお祭り。今年は4月9日から11日迄の三日間が休日となる。フランスではこの期間を挟んで凡そ2週間のバカンス・ド・パックとなり学校も休み。

 復活を祝う行事としてショコラを飾ったり、いただくという習わしは長い歴史があり、ある意味春の風物詩とも言える。とは言え、あく迄も私見だが、このパックのお祭りに付きもののショコラ行事が徐々に衰退している様に見える。
 少なくとも10年前位までは、パリ中のパティスリー、ブーランジェリーのショーウインドに色々な形のショコラが技を競うように、賑やか晴れやかに展示されていたものである。これらの展示を見るために子供達は、パティスリー、ブーランジェリー巡りをしてパックを楽しんだ。
 衰退した理由は色々とあるが、まずはブーランジェリーなどの人の足りなさが挙げられる。ショコラを作る時間、余裕が無くなった事だ。一方ではショコラ大手メーカーが機械化を整え、大量生産をして市場を独占。価格競争でも小さな店は勝てなくなっている。
 さらにショコラの原料となるカカオ値段の高騰も挙げられる。こちらも大手メーカーの買い占めが続き、加えてアフリカなどのカカオ原産地の異常乾燥、結果水不足で収穫が減り続けているそうだ。

 コロナ禍でブランジェリーの苦境が続くフランスだが、最近廃業をする、または店を売却する所が増えている事は前のレポートでもお知らせした。私の住む近くには4軒のブーランジェリーがあるが、この1年でその全てのオーナーが変わってしまった。
 新しいオーナーは4軒ともアラブ系の方である。信じる宗教はイスラム教。ビジネス上キリスト教的な行事を継続しているが、さほど熱心には思えない。些細な事だがパックのショコラ販売も先代のそれとは比較にならない程熱意が感じられなくなった。
 店頭に飾られたパックのショコラも自家製ではなく大手メーカーから仕入れた物がほとんどである。宗教は異なってもフランス的な教育を受けた子供達はパックのショコラを欲しがる事に変わりはなく、それらを補っているのが大手スーパーだそうだ。
 パックの季節になると大手スーパーは特別コーナーを作り、ここに大手メーカの商品を展示、販売。クリスマス期と同様な賑わいを見せる。当然値段も街のブーランジェリーより安い。といったようなシステムができ上がったフランスの流通システムである。

 今年のパックでは、ショコラを作る家庭が増えたというニュースが目立った。背景にはショコラの値上げがあるそうだ。ニュースでは親子揃ってショコラを作る楽しい画像が流れている。
 家庭用のショコラ作りを教える専門家が増えたり、グループを対象にした出張授業もあるそうだ。材料も持参して教えるとの事で、結果ショコラ作りに必要なプラスチックやシリコン製の型の売り上げが増えているという。


【念願成就】
 夢はかなうものらしい。ロミアルド・サドワヌの話を聞いていてそう思った。一方で意外な気も。ワゴン車販売という新しいビジネスを立ち上げ、さらに大きく展開しそうだと思っていたのは私の勝手な思い込みであったらしい。それにしても彼、いや彼らの新しい挑戦は始まったばかり、如何に続いていくのか楽しみである。
 ロミアルドの事に付いては、以前このレポートで紹介した。パリ郊外の小さな町ボワ・ル・ロアの駅前広場で毎週末土曜日に開催される朝市に、ワゴン車で出店するショコラトリーの話である。
 人伝いで話が広がりTVなどでも紹介される様になった人気のショコラトリーで、私も何回か出かけて彼の作ったタブレット・ショコラ(板チョコ)を買っている。市場では彼の事を「ムッシュ・ショコラ」と呼んでいた。
 薄い板チョコを割って量り売りする販売方法もユニークだが、その味が何とも良く、パリからわざわざ買いに来るファンもいる程、朝市の名物男となっていた。

 その彼がパートナーと一緒にパティスリー、ショコラトリーを兼ねた店をオープンしたという。パートナーがパティシエルとは以前ロミアルドから聞いていた。彼女の名前がソフィー・ド・ベルナルディであると知ったのは地方紙のニュース記事である。
 ソフィーはパリのホテル「ランカスター」のシェフ、フランソワ・ペレーのチーフ・アシスタントを務めた後、フォンテンブローの「ドゥムール・デュ・パルク」のシェフに。さらにカフェ・ド・ラ・ぺや「インターコンチネンタル・パリ・ル・グラン」でキャリアを積んだという。パティスリー界で注目されるひとりと言われている。
 オープンしたパティスリーの場所はSNCF(国鉄)サン・マメ駅、パリから郊外電車で凡そ50分の距離、毎日の乗降客が800人という真に小さな町の駅である。
 物語風に言えば二人が知り合ったのは3年前、パテスリーとアートがこよなく好きという共通点で夢を持つようになったらしい。彼はショコラトリー、彼女はパティスリーを経営するという夢。その夢がようやく実現できたのが昨年10月11日、店の名前は「ラ・ブティック・デュ・ケ」とした。

 当初二人で店をやるなら住まいもあり、なじみ客も増えたボア・ル・ロワが良いと思っていたそうだ。そんな時SNCFのあるアナウンスを見る。サン・マメの駅でビジネスをやりたい人を募集中のアナウンスである。
 SNCFが店の工事代を持ち、毎月の家賃は250ユーロという好条件に早速応募する。SNCF側の担当者もロミアルドの駅前市場での実績、ソフィーのキャリアなどを認めて合意となる。自分達が出した金額は凡そ10万ユーロ(1400万円)。オープンして未だ半年だが結果は大成功。サン・マメの住民にも大人気との事である。(記事引用)
 日本でも古くなった駅舎が増え、そこを借りてカフェやラーメン店を運営している人がいると聞く。その事で観光客を増やした所があるそうだ。とは言え鉄道を運営する会社が工事費負担で借り手を手助けしているとは聞かない。
 SNCFはストの多い企業として知られ、何かと問題を抱える企業だが、一方で新しい試みも続けている。それ等のひとつが今回紹介した廃屋寸前の駅舎対応である。

 サン・マメの隣町モレ・スール・ロワンは印象派の画家シスレーが生涯を終えた事で、今でも世界中から四季を問わずツーリストが訪れる。水のきれいな町で夏場は水遊びを楽しむ人たちのメッカと呼ばれる程人気がある。
 一方、サン・マメは訪れる観光客も少ない言わば鄙びた町。観光名所と言われるのはセーヌ川と繋がる広い運河と古いサン・ローレンス教会位である。パリへの行き帰りに小さな駅を通過するくらいで、私も未だ降りた事がなかった。
 
 4月の或るバカンス・ド・パック最中の土曜日、意を決してこの小さな駅に行って見た。目的は「ラ・ブティック・デュ・ケ」を訪れる、ただそれだけの理由。モントローからはひと駅、列車で10分足らずの距離である。
 降りた列車の目の前に古い駅舎がある。言わば無人駅、全てが機械化され切符なども自動販売で駅員の姿もない。同じ列車から降りた客は私を含め6人だった。駅舎前と横の広場は広い駐車場になっていた。
 駅前周りは新興住宅地で近代建築のマンションか医療施設と思われるビルが建ち、その横で工事中の建築物が立ち並んでいる。駅前開発に相当力を注いでいる様だ。記憶では2年位前迄は荒れた平地が広がり、その中に古い家屋がポツンポツンと建った景色が車窓から見えるだけ。急激な駅周りの変化振りである。
 これにはSNCFによる旅客運送以外の新たな事業戦略がある様だ。フランス全土に膨大な土地を所有する事でも知られるが、その再利用は際限ないと言われている。そんな事業計画のひとつが駅近辺の開発や、駅舎内での各種事業進出や拡大だそうだ。
 私の住むモントローでも新しい駅舎が完成した。駅前広場の駐車場も拡大、駅前に近代的なアパートも立てられ駅前開発が続いている。それ等の影響で減少しつつあった人口を増やしている。サン・マメも同様な状態だそうだ。

 話を元に戻すと、鄙びた町と思われたサン・マメで新しい事業を始めた二人の思惑は十分に先を読んでの事とも言える。古い駅舎の半分を使ったというブティックは思ったより狭い店の作りであった。その分厨房にあてたスペースは十分に取れている。駅舎残りの半分スペースは物置の様に見えた。
 プラットホームの反対側に小さな入り口があり、開いたドアの先に二人のマダムが買いもの中で、ロミアルドが対応している。買い物を終えた二人が店を出たので「お目出とう」の挨拶を送る。店はすこぶる順調との事、嬉しそうだ。
 店内左側の棚いっぱいにパックのショコラ各種が並ぶ。反対側の棚には板チョコ各種が。正面のショーケースには各種スイーツを並べ、その横にもショコラが置いてある。
 未だ会った事のないパートナー、ソフィーの姿が見えないのは、現在二人目の出産目前で休養中との事。棚にスイーツが少ないのもその所為であるそうだ。会えなかったのが残念だった。
 会話中にも次々と客が来て、とにかく忙しい。客のほとんどは車で訪れる人たち、中には自転車で買いに来る人もいる。しばらく店外に出て外の様子などをカメラに納めていると、10数名のライダーが駅前に止まる。平均年齢40歳といった感じで、映画などで見る暴走族には見えない。中には40代の女性ライダーも居る。揃いで店に入り買い物を始めた。
 二人が理想とする店作りは、訪れる客皆さんが気軽に会話を楽しめる場作りだそうだ。そんな場が既にでき上がっていた。月250ユーロの場所代は1日で達成できそうな賑わいぶりであった。

 


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