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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.126 パックのショコラ

 今年のパック(復活祭)は4月4日日曜日となった。グレゴリオ暦から割り出したものだそうだ。Googleなどで調べると毎年のパックが簡単にわかるが、その由来を読んでも一向に理解できない。満月から数え始めてなどとあるが、月を見てどの日が満月かなど天文に素人の私には到底判断できない。

 と言う事で今年も暦を開いてパックの日が4月4日と知った。フランス語では復活祭をパックと言うが、英語ではイースターという。と言う事で日本ではイースターの方がわかりやすく、馴染んだ言葉だと思う。

 最近、日本でもハロウィン同様にこのお祭りを楽しむ人達が増えたと聞くが、実際はいかがだろうか。フランスではこの日祝日となる。春休みともパックのバカンスとも呼ばれているが学校も職場も休みに。職場ではこの間2週間の休みを取り、その年最後のスキーや暖かなリゾート地へ家族で出かける人達が多い。

 昨年はコロナの感染で家で過ごす人が多かったが、今年もバカンス入りと同時にロックダウンが始まり、政府は外出を控え自宅での休暇を過ごすよう提唱している。

 

 パックはイエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられた時「私は死後三日後に復活する」と予言した通り、三日後に復活した事を祝うキリスト教のお祝い日である。

 イエスが復活する場面は数々の映画や絵画で描かれているので、皆さんもご存じの事と思う。キリスト教では色んな奇蹟の話が登場するが、中でもイエスの復活は最も重要な出来事とされているようだ。

 私もイエス・キリストの映画を何本か見たが、キリストが復活するシーンは表現が難しいのか、どの映画でもイエスが納められた洞窟の石の扉が開けられた状態か、洞窟の中が光輝く場面となっている。

 このイエス復活の日が復活祭と言われる宗教儀式、祭り行事である。この祭りに付き物がパックのショコラと呼ばれるチョコレートだ。

 

 パックのショコラに付いては長年、パリのパティスリーやショコラティエの写真を撮り続けた。この稿でも紹介しているのは皆さんご存知の事と思う。振り返ってみるとパックのショコラにも歴史がある事が見えてくる。

 今思えば70年代から80年代がパック・ショコラの最盛期であったように思える。復活祭が近づくとスイーツ関連どの店でも競うように演出を凝らしてショコラを飾った。中でもカラフルにペインティングされた卵型のショコラがその代表である。

 大小様々な卵に絵模様を描き店の棚に飾る。道行く人々の目を楽しませるために、店の人総出で卵に絵を描いたそんな時代である。美しい飾りを見て春の到来を感じ、気持ちも高揚したものだ。今思えば本当に良い時代であったと思う。

 高さ1m近い巨大卵を作って飾る店も多かった。今も時々だが大きな卵を飾る店があるが、そんな店も少なくなった。ペインティング卵も減っている。この卵の他にもパック独特のショコラがあるのはご存じの通り。鶏やうさぎや魚形などがその代表だが、それぞれにパックの祝い事、由来に関わりあるものである。

 今でもこの伝統卵を見かけるのはサンジェルマンの老舗ショコラティエ、ドゥボーブ・エ・ガレでウインドーに毎年この卵が登場する。

 

 2010年代に入るとペインティング卵を飾る店が少なくなった。ある店のパトロンに言わせると「残念ながら、仕事の後に作っていた絵卵を作る時間の余裕が無くなった」と言う。絵卵を飾る店も少なくなったので、うちもそれに倣って止めた、とも。

 だが、パティスリー、ブーランジュリーからパックのショコラが少なくなっていく一番の原因は、大手ショコラ会社の大量生産によるパック・ショコラ製品の市場進出だと私は思っている。

 実際、パックが近づくとパリのカルフールやモノプリなどのスーパーではショコラ・コーナーを作り大量に販売する。私の住むモントローの郊外大型スーパー、ルクレールのパック専用ショコラ売り場はパリの小型スーパーと同じ位の面積がある。そこではあらゆる大手ショコラ・メーカの商品が揃っている。

 これでは街中の小さな店は太刀打ちできない。最近ではブーランジュリーなどでも大手ショコラ会社から仕入れて販売する店がほとんどだ。

 気が付けば、あれだけ華やかであったパックのお祭りも徐々に落ち着いて来た。その理由を若者の宗教離れに結び付ける識者も居る。ある調査機関の調べによると、宗教儀式に関心を持たない若者が増えているそうだ。

 パティスリーやブーランジュリーのウインドーからパックのショコラが少しずつ消えていく現象も、ひょっとするとこう言う事柄と繋がっているのかも知れない。

 

 先日の金曜日、近所の魚屋を覗いてみた。フランスでは金曜日に魚を食べる家が多いと昔から言われている。パリでは曜日に関係なく魚屋は賑わっているので、それ程金曜日と魚食を意識する事も無かった。

 パリの魚屋が賑わう理由は魚屋が少なくなっている事に因がある。私が住むアパートの近くにも何軒かの魚屋があったが、次々と消えていった。消える原因はこれまたスーパーによる大量仕入れにある。小さい店では市場のセリ競争で太刀打ち出来ないのだそうだ。パリの寿司店に魚介類を売る会社に勤める日本人から聞いた話である。  

 

 パリなどの大都市に比べ小さな田舎町ではまだまだ古い風習が残る所が多い。4日、日曜の朝魚屋に行ったら、レジ横の棚に大きな発泡スチロールの器に山盛りの海鮮盛り合わせが何個も並べてある。店のマダムの話ではパックのお祝い注文品との事、ミサの後家族揃って頂く物だと言う。

 この日は白ワインも良く売れたそうだ。フランスでは魚屋に白ワインを置くところが多い。魚料理に白ワインの組み合わせはワイン好きの型ならご存知の事。残念なのはこの日カメラを持参せず肝心のフルュイ・ド・メールの写真が撮れなかった事である。

 パリではクリスマスに良く見かけたフルュイ・ド・メールだが、パックでも同様な物を頂く事は知らなかった。クリスマス・イヴの食卓には我が家でも生ガキが登場する。朝、魚屋に行き注文をして夕方取りに行くのが長年の習わし、と言う事でクリスマスにフルュイ・ド・メール(海鮮盛り合わせ)の注文が多い事は知っていた。

 近所の魚屋のムッシュの話では「パックの時の注文はクリスマス時よりは少ないが、それでも結構な予約がある」という。

 

 モントローは小さな田舎町で、街の高台には移民が多く住む集合住宅が立ち並ぶ移民の街でもある。アフリカ、アラブ、東欧系の住民が多く、イスラム教徒の人がほとんどと言われている。一方、街のセンターに当たる旧市街は教会も多くキリスト教の人が住民の主流である。同じキリスト教でもカソリック信徒が多いそうだ。

 人々の暮らしぶりを見ていても随所でそれを感じることが多い。そんな街だけに商店なども日曜休業は当たり前のことである。店を開けているのはキリスト教以外の宗教、例えばイスラムなどの信者が経営する店などである。

 数多くあるケバブ店にはアラブ系の人以外でも多く集まるが、店内での飲食をせず持ち帰りが多いそうだ。そう言えばモントローでも最近インド・パキスタン、スリランカ系の店が増えて来て日曜でも営業している。

ブーランジュリーAU BLE D′OR (黄金の小麦)

 新たなロックダウンが始まり、いろんな面で不自由な事が重なっている。実は今月のレポートに予定していた店があった。そのひとつがカルチェ・ラタンにあるブーランジェリーである。

 以前、この店の前で会ったElieさんに店の取材をお願いした事がある。何時でもどうぞの返事を頂いていた。出来れば事前にメールを欲しいとも。と言う事でメールを送った結果「本当に申し訳ないが、ロックダウンが終わりコロナが落ち着くまで待って欲しい」との丁重な返事を頂いた。

 実は他にも同じような連絡を頂いている。店にもよるが、小さな規模の店では現在店内に入るに基本2名と言う所が多い。中に入っても注文以外の会話を避ける店が増え、スタッフ同士の会話も減っているのがパリ現状である。そんな状態で、今回パリでの店訪問は断念する事にした。

 幸い、このレポートで紹介してみたいと思っていた店がモントローにもあるので、今回はこの店オ・ブレ・ドールの紹介です。

 モントローのセンターに近い場所でプラス・ドュ・マルシェ・オ・ブレと言う名の広場がある。以前にも何回かこの稿で紹介した広場、町主催のイベントなどによく使われる。 

 これも前に書いたような記憶があるが、広場を囲む建物の壁にナポレオンを描いた古い看板絵があり「若しナポレオンがモントローのブリーを知っていたら、フォンテンブローの街は無かっただろう」と。モントローのチーズ組合が名物ブリー・チーズの宣伝用に作った看板である。

 その広場の一角にあるブーランジュリーがオ・ブレ・ドール。モントローでも古いブーランジュリー、パティスリーで60年近い歴史を持つそうだ。店のパトロンはブーリヱさんと言いモントローの名店と言われている。

 実際、パンもケーキも評判通り美味しい。私が良く買うのはバゲット・トラディション、使われるパン粉の練りと焼きの具合が絶妙で、特に焼き立ての香りが良い。普通のバゲットは90サンチーム、トラディションは1ユーロ10サンチームと少し割高だが、それだけの値打ちがある旨さだ。

 

 更に、この店の各種ケーキの美味しさも多くの支持者を集める理由のひとつと言われる。ケーキの種類は少ないが、ブーランジュリーのケーキと侮れない美味しさがある。丁寧に作られた物ひとつひとつ、そのどれにも味に拘りと工夫がある。

 美味しいと評判なのがエクレア、中でもパッション・フルーツ味がお勧めと言うのでひとつ頂いてみた。先ず、パッション・フルーツを使うケーキはモントローでは少ない。酸味を好む人向けにはレモン系を使うのが普通のやり方、こちらの方が安く上がるそうだ。爽やかな色、味ならピスタチオ使用がが多い。

 パッション・フルーツはトロピカル・フルーツ独特の香りと仄かな酸味の中に得も言えぬ甘みがある。パリのパティスリーでは偶に見かけるがここモントローでこの味のケーキは初めての経験だった。このエクレアをお勧め頂いて正解だった。

 

 エクレアを勧めてくれたのは店のスタッフ、マリアさんである。パンとケーキを売り続けて30年と言うベテラン。この店に誘われたのが6年前との事、それまでは駅前にあるブーランジュリー、パティスリーで働いていたそうだ。

 それにしても30年間パンとケーキを売り続けたとはある意味尊敬に値する。更にその力量と経験を認め、自分の店にスカウトするパトロンの目も大したものだと思う。プロ同士のならではの見方なのだろう。

 生まれはポルトガル、家族でモントローに移り住んでその後この街で育ったと言う。今ではこの店のマダムと共に店の表仕事を切り盛りしている。

 今回、この店を紹介した理由は老舗店と言う事と、パックのウインドー・デコレーションがモントローのブーランジュリーで一番上手く、丁寧に作られていたからでもある。それを手掛けたのはマリアさんを始め店の皆さんだそうだ。

 パックが近づくと今年はどの様に飾ろうかとウキウキするそうだ。モントローでは一番の店。誇りと喜びを感じながら毎年工夫を凝らしていると言う。

 

 オ・ブレ・ドールは伝統的なフランス・パンとケーキを作っている。老舗の自覚もあり訪れる客もその味への拘りを良く知っている。広場を挟んでもう1軒ブーランジュリーがあるが、パトロンはアラブ系の若い夫婦である。

 我が家から一番近くにあるのでこの店にも良く行くが、ここではパックの飾りはほんの形だけだった。理由を聞いた事は無いが、宗教的理由があっての事だと思っている。この店ではアラブ風のパンやケーキも売っている。それを買いに来るアラブ系の人達が多い。

 

 今回ブーランジュリー巡りをしていて気づいた事だが、モントローのブーランジュリー経営者の中にはアラブ系の人が結構多い。その理由はフランスの教育制度にあるように思える。フランスで育ったアラブ系の人には職人(アルティザン)と呼ばれる人が多い。

 フランスでは職業学校の充実が良く上げられるが、アラブ系の子供は中学卒業後この方向へと進む子供が多い。ここではあらゆる職種の専門教育が行われるが、そんな中にパン職人やケーキ職人を養成する学校やクラスもある。

 モントローのブーランジュリーでアラブ系経営者が多いのもそう言う背景の基にあるようだ。マリアさんの話ではこの街にも、そんな店が増えていると言う事だった。

 今は無くなったがモントローにも3年前まではポルトガル人経営のブーランジュリー、パティスリーがあり、美味しいポルトガル・ケーキが手軽に買えたそうだ。ポルトガル好きの私には少し残念な話である。

 土曜日の朝、近くの朝市に出かけ、チーズ専門の屋台でブリー・ドゥ・モントローを買った。ナポレオンが若しモントローのブリー・チーズを知っていたらと言うあのポスターのチーズである。白カビのチーズ、円型27㎝の大きさで値段28ユーロ。そのチーズを8分に一に切って貰う。充分に発酵したその味は申し分ない旨さだった。

 


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