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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.88 2015 サロン・ドュ・ショコラ・パリ

   

 パリのサロン・ドュ・ショコラが21回目を迎えた。人間で言えば成人式を終え大人の仲間入りを果たした事になる。生まれた年から見てきたが、本当によく成人したものだと改めて感心する。パリ、エッフェル塔横のテント会場で誕生して今では世界各国で開催されている。これからどのように展開、発展して行くのか解らないが、今円熟期を迎えている事は間違いない。

 今年も大勢のビジターを集めて盛況であったようだ。私が出かけたのは最終日であったので期間全体の様子は解らないが、盛況の名残は最後の日まで続いていた。最終日は日曜日、更に学校が秋のバカンス中とあり、大賑わいのフィナーレであった。

 あるご縁で日本から来られた方達と一緒に入場、パリのサロン・ドュ・ショコラは初めてと言う。私は日本でのこのサロンに行った事が無いので、どの程度のものか解らないが、彼らの話ではとにかく規模が違うそうだ。断トツにパリの会場のほうが大きく出展数も多いという。

 今サロン開催のために参加した人数は企業関連、シェフ、輸出入業者、その他各種アーティスなど凡そ700人、40カ国からの集まりという。会場は昨年同様国際展示会場の1棟上下2階を使っての開催である。今年の正確なヴィジター数は今の段階では掴めていない。

 2階のメイン会場には各種イヴェントが行われる大舞台を始め、コンテストや参加有名シェフによるデモンストレーションが行われる特設舞台がある。

 これらの舞台を中心に各メゾンのブースが立ち並び、それぞれに自慢商品の販売や試食品提供が行われる。いずれのブースでも面白いように売れている。

   

 今やすっかりサロンの顔となっているベルギーのショコラティエ、レオニダ制作のモニュメントは、体長6mの巨大な熊の彫像であつた。今回も大勢の関心を集め、モニュメントの前で記念撮影をする人が沢山いた。

 ジャン・ポール・エヴァンなどサロンの常連で、業界リーダーの参加には配慮がなされている。場所と言い、ブースの広さなど的を得た対応と言えるのだろう。

 今回主催者側が特に力を入れたのが新しいフランス・ショコラティエの発掘、参入である。有名シェフを大勢集めてもマンネリ化しては、毎年訪れるビジターに飽きられる。主催者側にとって新しいスターの誕生はどうしても欲しいところだ。  

 そういう背景の元に行われたワールド・ショコラ・マスターズのコンテストは関係者の注目を集めていたと言われる。最終結果1位を獲得したのはフランスのバンサン・バレーだった。フランス人として初めてのチャンピオンである。今後どのように育っていくか楽しみだ。ちなみに2位には日本の小野林範が選ばれた。

 新しいタレントの登場はそれだけでもサロンを盛り上げる。ヨーロッパ各国からのシェフ招集にも新しい試みが見られた。リトアニア、ハンガリー、ルーマニアなどからの出展がそれで、それぞれに注目を集めていた。

 現在世界のショコラ王国と呼ばれているのはベルギー、スイス、フランスの三国である。東ヨーロッパやバルト三国などは、ショコラ後進国と思われそうだが、実はヨーロッパ文化を共有していた長い歴史がある。華やかなカフェ文化やショコラ愛好家が多くいた事は広く知られている。

 ウクライナ共和国の現大統領が、ショコラで財を成したことは有名な話である。こういったショコラの歴史を知る人達にとって、これらの国からの参加は大いに歓迎することで、ブースでも大勢のお客を集めていた。

   

 今回も日本からの参加はこのサロンを大いに盛り上げていた。参加ブランド11社、外国からの参加では断トツの一番である。更にパリで店を持つ日本人ショコラティエも参加しているので、日本ブースへのビジターの反応も極めて良い。期間中の売れ行きもそれぞれに順調であったようだ。

 卜ラディショナルな製法に忠実な、フランスを始めとするヨーロッパのショコラティエに対して、日本のショコラティエは奇をてらう発想で独特なショコラを作りあげる。それが新鮮に映ってビジターの興味を引いている事は一つの強みとなっている。

 ショコラと他素材のマリアージュなどは日本人の得意とする分野だ。今ではヨーロッパでもすっかり定着した抹茶スイーツなどはその成功例の代表と言えるだろう。

 

 今回主宰者側の資料によると、2015年に実施されたアンケート結果で、生活に必要な食品の中でショコラを選んだ人は4位になっている。フランス国民3人に一人が毎日ショコラを食べていると回答。好みのショコラの種類は板ショコ、フォンダン・ショコ、パン・ショコラが上位に、好きなショコラのタイプはビター・ショコ、ミルク・ショコ、ホワイト・ショコの順位になっている。面白いのは健康で注意する事の回答で砂糖無し、塩無し、グルテン無しの三無しに気をつけている事だ。

 それにしてもフランス人のショコラ好きにはほとほと感心する。アンケートの結果だが、仮に3人に一人が毎日ショコラを食べるとなると、とんでもない数量となる。フランスの人口は凡そ6600万人、その経済効果は想像以上の数字だろう。サロン・ドュ・ショコラが毎年盛況なのも頷ける。

 

 この稿が皆さんの目にとまる頃には、あの悲惨なパリのテロ事件も記憶から遠のいている事だと思いながらここに記している。

 

 129名の尊い命を無残に奪ったテロ事件は色んな意味で衝撃的であった。どこまで真相であるかは解らないが、事件後の今、様々な事柄が浮き彫りになってきている。事件の詳しい事は日本のメディアでも報じられている事と思うので、ここでは私の見たテロの事を少し書いてみたい。

 パリに住むようになって40年が経つ。その間大きなテロ事件が5回あった。中でも衝撃的なテロは、モンパルナスのタチでの爆破である。この時は偶然現場から100m足らずの距離にいたので、目の前でその惨状を見る事になった。ドーンと言う爆発音がして、振り返ると、車が飛び、砕け、人の悲鳴が聞こえる。爆破現場に1分で到達する。血だらけになって横たわる女性が数人。目が見えないのか両手を壁に付けながら、よろよろと出てくる男。服が破れそこに刺さるガラスの破片、片方の腕をなくして泣き叫ぶ人、まさに地獄絵そのものである。暫くは夢にまで出たほどの惨状でであった。

 警察本部が爆破された時はセーヌ川を挟んだ対岸を歩いていた。川の幅50mの距離である。爆発音の後、白い煙が壊れた窓から流れ出て、同時に怒号と悲鳴が聞こえてきた。場所が場所だけに、まさかテロとは思いもしなかった。

 2度もテロの現場を見ると3度目はの恐怖が付いてまわる。その後地下鉄爆破テロ、今年1月のシャルリー・アブド襲撃事件、そして今回のテロである。幸い後の三度は現場を見ることもなく終えたが、未だにテロの報道を聞くと背中の筋肉が強張ってくる。

 何れのテロも実行犯はイスラム教徒の過激派達である。イスラム教に対する知識も偏見も無いが、なぜテロの実行犯がイスラム教の人なのかと言う素朴な疑問はある。こういう事件が起こると必ず出てくる言葉が差別、貧困、疎外と言った常套句だが、あえて言えば
同じような条件でパリに住む外国人は多い。かってフランスの植民地であったアジア系の移民がテロを行った事は私が知る限り一度もない。宗教の違いか、民族、文化の違いか解らないが、知識や理論で解決出来ない何かがあることは間違いない。

 今回のテロでも多くのイスラム教の方々から非難の声が挙がっている。実際私の知るイスラム系の人達はこの街で普通に市民生活を営んでいる。問題を抱える中東からの難民はこれからも増え続ける事だろう。テロの結果難民受け入れに反対の声が高まってきた。ようやく辿り着いた、これからも来るであろう彼らにとって、フランスや世界の各国が安住の地であることを祈るのみである。


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