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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.127 鈴蘭祭り

 5月1日はメーデー、この日をフランスでは鈴蘭祭りと呼ぶ人が多い。一説には春の訪れを祝う日と言われるこの祭り事、元々はケルト民族の習わしから来ているそうだ。

 フランス、特にパリのメーデーや鈴蘭祭りに関しては過去のレポートで何回か報告している。昨年は鈴蘭祭りがコロナ禍で自粛、中止になった事を書いた。5月1日の鈴蘭祭りの日は愛する人に鈴蘭を贈ると幸せになるとの言い伝えがある。

 贈った人が、又は貰った人が幸せになるのか定かでないが、お洒落なお祭りである事は間違いない。鈴蘭祭りは市民生活の中で自然派生したお祭り(歴史を辿ればシャルル9世の発案と言われているが)に対して、メーデーは労働者の祭典として行われた歴史がある。

 先日、在仏日本大使館からメーデーの日に対する注意メールが届いた。メーデーのデモの中に過激的なグループが参加して混乱を招く恐れがあるので注意して欲しいとある。デモ行為があると必ずと言ってよいほど過激派グループが便乗して商店街などを破壊、商品を略奪する行為が常態化したパリである。

 今年も各団体が10時から13時に、それぞれのコースでレピュブリック広場に向かってデモ行進をすると発表している。広場に集まったデモ隊は14時からバスチーユ広場に向かい、その後ナシオン広場までデモ行進する。

 私の記憶では10年位前までは、メーデーの行進と言えば家族連れなども見かけた。誠に穏やか、長閑な行進であったように思う。労働者層の静かな祝い、祭りであった。ある意味フランス社会の熟成、完成期であったのかも知れない。

 

 ロックダウン中の今、今年も5月1日のパリ行は中止にした。仮に出かけても交通網がマヒ状態になる事は間違いない。夜間外出禁止も継続している。カフェもレストランも閉店では休む場も無く、食事と言えばテイクアウト頼り。食べ歩きか公園のベンチに座って頂くのだが、それすらベンチ探しに苦労する。

 デモ行進見物はともかく、スズラン売りの様子はちょっと見たかった。通りに鈴蘭の香りが流れるあの瞬間が気に入って、長年楽しみにしていたこの日である。

 大使館からの警告の通り、今年のデモも大荒れになったようだ。夜のニュースでデモに混じった集団と警備側の衝突様子を報じている。デモの中心は労働者団体CGTとCFDTなどが多くの参加者を集めるが、問題はそのデモの中に入り込んで破壊行為を繰り返すゲリラ集団である。

 毎回逮捕者を出すが、刺激される若者も多くデモがある度同じような行為が繰り返されている。当然警備する側にも負傷者が出る訳で、政府は警官の増員を検討中と言う。

 今年はモントローで鈴蘭祭りを迎えたが、残念ながら通りに鈴蘭売りも見かけなかった。何といってもコロナ禍が原因、道行く人に大きな声で「鈴蘭、スズラン」の呼びかけも出来ない。自粛の結果がこれである。

 更に加えて、今年3月、4月は例年より寒いフランスだった。パリやイル・ド・フランスも例外なく寒かった。結果は森や林での鈴蘭成長の遅れである。毎年賑わうフォンテンブロー森での鈴蘭採りも低調であったそうだ。

 続いた零下で今懸念されているのが今年のワイン収穫。ワイン作りに欠かせないブドウの芽が凍ってしまい、成長が心配されている。特にブルゴーニュの被害が大きいと報じている。

 我が家の小さな中庭に咲く鈴蘭も今年は花をつけていない。周りは棘草で覆われている。コロナの所為では無いと思うが、自然界も人間界同様萎縮してしまった様で残念である。

 この日唯一鈴蘭の花を見たのは、朝市のチーズ店に飾ってあった小さなブーケのみ。ここのオーナー、ジョージさんの客への優しい気配りが嬉しかった。流石である。

 

少し光明が射すフランスのコロナ禍

 やっとと言うか漸くと言うのか、フランスのコロナ新型感染者数が減少傾向にあると政府が発表した。毎日4万人程度の新規感染者がここに来て3万人、日によっては2万に減少していると言う。

 この状態が続けば5月中半には現在行われている各種規制が緩められるだろうと少し明るいアドバルンを挙げた。

 結果、現在休業中の各種商店、幾つかの文化施設、スポーツ施設、カフェやレストランのテラス等での営業再開を目指すと、但し人数制限や各地域の反応を見て判断するようだ。順調に新規感染者が減り続けたら、6月末には新型コロナ終結の可能性があるとも言っている。その間にコロナワクチン接種を全国民が受けられるよう体制を完備できるとも。

 実は私も3月22日第一回の予防接種を受け、4月19日に第二回の接種を終えた。予防接種に関してはフランスでも賛成派と反対派に分かれるとのニュース報道があった。今年2月の世論調査ではワクチン接種を信頼しないが71%を占めたと言われる。その後この%が少しづつ減少しているようだ。

 これには風評も影響している。予防接種をした後、後遺症で悩んでいる人が多いなどだが、その実数を明確にしたものは少ない。宗教的な問題で予防接種を拒む人もいるようだ。

 現在、フランスではアストラゼネカとファイザーの2種類が主に使用されている(勿論他の種類もあるが)と言われるが、現時点ではファイザーの方が圧倒的に多い。私が受けたのもファイザーである。こちらを指名した訳では無いが結果がファイザーであった。

 個人的には予防接種を受けて良かったと思っている。この1年、何時感染するかの不安を持ち続けた。テレビで入院患者の苦悩ぶりを見て、こんな風になったら耐えられるか。過去に心臓手術をした事、糖尿病の薬も飲んでいる事を思うと、複雑な心境がズーっと続いていた。

 自分でも不思議なほど接種後の安堵感が高い。今日の段階で日本の予防接種1回目の終了者が国民の1%と言われている。余計なお世話と言われるかも知れないが、日本の遅れが気になり心配だ。

 パリに住む日本人の方も何人かがコロナで亡くなられた。狭い社会だけに身近な事として心が痛む。夫々に注意されていたと聞くにつけ、この病の怖さが募る。同じような恐怖を感じたのはエイズだったが、エイズは自分で防ぐことが出来た。その違いは大きい。

 

 5月8日の今日もロックダウンは継続中である。外国からの入国も相変わらず厳しく制限されている。特にインド、パキスタン、ネパールを始めとする東南アジアやブラジル、アルゼンチンなどの南米、一部アフリカ諸国からの入国検査が厳しい様だ。

 こう言うニュースを見ていると空の便は普通に動いているように見える。ちょっと意外だった。空港でテレビのインタビューに答える女性は「南米の何か国かをバカンスで回って帰ってきた」と笑顔で答えていた。

 これから自宅待機、外出も控えるとの事だが、フランス人の神経はやはり我々日本人より太くてタフだ。よく言われるラテン系とはこう言う人を言うのだろうか。

 別のニュースでは、夏のバカンスに備える避暑地の人々の様子を伝えていた。大量に訪れるバカンス客の為のプールの整備やベッドの搬入、レストランの工事などを伝えている。バカンスの事など考えてもいなかった自分が可笑しくなる。そう言えば間もなく夏のバカンスが始まる。すっかり忘れていた。

 1年以上の規制、自粛でフランス人の貯蓄が増えたそうだ。今年のバカンスは国内組が増えるとの予想だが、これもコロナ予防接種が6月でほぼ全域に行き渉の政府発表が根底にあるのだろう。一日も早い終息を願っているところである。

 

Au faubourg de l’ecluse オ・フォーブール・ド・レクリューズ

 5月3日から外出時間が少し緩和された事で、前から行って見たいと思っていた店をお訪ねした。場所はモントローから二つ目、モレ・ヴヌー・レ・サブロン駅で下車。モレ・シュール・ロワンと言う町である。この駅で下車したのは今回で2度目である。

 昨年8月のレポートでフランス最初に作られたと言われるキャンディーに関する記事を紹介した。モレ・シュール・ロワンにある修道院で1638年に作られたと言う、長い歴史を持つキャンディーである。

 モレ・シュール・ロワンは小さな町だが水が綺麗な事で知られる。印象派、水の風景画で有名なシスレーが晩年を過ごした町。パリからも大勢の人がハイキングなどで訪れる。特に夏のバカンス期には水遊びをする家族やカップルが多い事で人気の場所である。

 この町を初めて訪れたのは昨年の夏、丁度バカンスの最中であった。大勢の観光客に驚いた記憶がある。この町に人気のブーランジェリー、パティスリー店がある事を知ったのは後の事で、今回訪れたオ・フォーブール・ド・レクリューズがその店である。

 駅に降りたのが11時半。駅から町の中心地まではバスにしようと、駅前バス停に向かう。時刻表を見ると12時のバスがある。歩いても行けるが前回歩いた時はかなりの距離があったと思い、バスを待つ事にした。

 定刻になってもバスが来ない。フランスの田舎では良くある事と思い更に15分待つ。結局バスは来ず歩きで出かける事にした。町のセンター入り口に中世に建てられた大きな城門がある。この門を潜ると中世の街並みが続く。

 外出が緩和されたとはいえ、ロックダウン中の今は観光客も殆ど見かけない。街の商店通りも殆どの店がシャッターを下ろしている。開いているのはピザ屋1軒にブーランジェリーが2軒、小さな食料品店が1軒だけ。ピザ屋もブーランジェリーもテイクアウトのみの営業状態で、客も殆ど見かけない。

 そんな旧市街を通り抜けると別の城門があり、その先に水場が現れた。シスレーが数多く描いた風景の場だ。昨年訪れた時は水遊びを楽しむ人達で賑わっていた。今はシスレーの絵が好きで訪れたと思える人がポツリ、ポツリと散策をしている。

 

 水場にはモレの石橋と言われる古い橋が架かっている。この橋を渡るとシスレー通りがあり、その通りの32番地に目的の店があった。古い家並みが続く通りに1軒だけモダンな作りの店がある。表はブルーカラーで統一、広いガラス張りに白と黄色で店名などの文字が書かれている。外から店の様子がひと目で解るよう設計されていた。

 入り口と出口のドアが別れている。左側のドアから中に入ると正面にケーキ類を納めたショーケースがある。L字型に左側にもショーケースがありここにも各種ケーキが並べてある。ケーキは丁寧に作られて何れも美味しそうだ。種類も多い。

 正面右側にもショーケースが続く。コロナ対策かショーケース上部にも透明ボードがあり、その奥に各種パン類が並ベてある。ショーケース角の部分がレジになっていた。レジにはカード用の器具、更に現金支払い用の自動器具が備えてある。

 レジから更にショーケースが続き、そこは各種菓子パンとショコラのコーナーになっている。スタッフの話では、ショコラも全て自家製で客の評判も良いそうだ。店内の床はフローリングに、ゆとりのある空間が出来ている。そこに中庭へと出入り出来るガラスのドアがある。そこから自然光が差し込み、店内に柔らかい光が満ちていた。

 壁に沿って棚が並び、ジャムや冷凍菓子が飾ってある。こちらの棚ケースは白で統一。地方の小さい町では余り見かけない洒落たインテリア。店全体がモダンで清潔に出来上がっている。誰もがちょっと覗いて見たくなる様な良い作りの店だ。

 レジでスタッフの若い男性に店の撮影許可をお願いする。暫く待つ様に言われ、待つこと数分、奥からマダムが登場。改めて撮影許可のお願いをする。結果は「良いですよ」と快諾。客の合間を見ながら撮影を始める。

 

  写真を撮っていると奥の厨房から、店のオーナー兼シェフ、エリック・アーレーさんが顔を出してくれた。まだ若い「私がこの店のシェフです」の挨拶に、最初は聞き間違えたかと思った。

 エリックさんがこの場所にパティスリー、ブーランジェリーをオープンしたのは7年前。小さな店を買い取って徐々に広げ現在に至ったと言う。

 エリックさんは元々料理の仕事をされていたそうだ。パリのレストランで修行をした後、誘われて大手ホテルのレストラン・シェフとなる。その後も有名レストランや大手ホテル・レストランのシェフとして世界各国を回った。色んな国の人達に得意のフランス料理を提供、その間世界各国の文化、食材に触れ、多くの人との出会いを経験したそうだ。

 お菓子とパン作りに興味を持ち、改めて両部門のディプロムを取得して、新しい道へと進む。生まれはパリ郊外のイル・ド・フランス。静かな田舎で自分の店を持ちたいとの思いで、現在の地に店をオープン、忽ち評判を得る。

 2020年9月からは、フランス・アカデミー・ナショナル・ド・キュイジヌのメンバーに選ばれる。先のマダムとの間に3人のお嬢さんが居られるそうだ。

 

 多くの国で仕事をしたが、日本には未だ行った事がないそうだ。それでも行って見たいとの興味はある。朝早くから夜遅くまで仕事を続ける、自称仕事人間。と言う事で念願の日本行は今しばらく先になりそうと笑っておられた。

 初対面であったが大変感じの良いシェフである。この1年、コロナ禍の中で思う様に店巡りが出来ず苦労したが、そんな中でエリックさんに会えたのは真に幸甚であった。

 常連客も増え、フォンテンブローや近所の町からもお客が訪れるそうだ。実際表の写真を撮っている間にも次々と車での来客が続いていた。パリにある有名店にも劣る事のない良い店だと思う。帰りにクロワッサンとパン・オ・ショコラを買った。ビオ特有の味と香りが舌に心地よかった。

 フランスは古くから地方文化を大切にする伝統がある。食に関しても例外では無く、その地ならではの物を育む意識が強い。それを支える地方独特の市民意識もある。エリックさんの店を訪れ、客の様子を見ながらふとこんな思いが過った。

 コロナ問題が派生してパリを脱出する人が増えたと言う。ここモントローでも、何時の間にか売り家の看板が大幅に減った。買い手はパリ脱出組が多いそうだ。事の良し悪しは別として、ひょっとしたら新しい地方文化が始まるかも知れない。

 


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