小川征二郎のパリ通信


Vol.187 観測史上最高の猛暑記録を更新

 

 暑い、とにかく熱い。6月としては異例ともいえる猛暑が続いている。今日、パリでは日中の気温が42℃を超えた。32℃を超す日が2週間も続いている。乾燥した畑では農産物が干からび、溜池や河川の水も枯渇するなど、農家もお手上げ状態という。
 朝早くから夜遅くまで救急車のサイレンが鳴り響き、熱中症患者を病院へと運ぶ。その病院では入院希望患者が多く、廊下にベッドを並べ患者対応をしているようだ。学校の休校も増え、日中野外での作業を中止する企業もある。パリでは熱中症による死者がすでに100人以上となっているが、そのほとんどが高齢者である。パリの一般家庭冷房設置はおよそ20%前後と言われる。それも豊かな家庭に偏っている。
 フランス恒例のソルドが始まった。通常であれば満を持して買い物へと走る市民だが、今夏は様子が違うと関係者は話す。今、市民が買い物に集まる店はまずクーラーの効いているところだそうだ。レストランも同様でクーラーのない店は開店休業状態であるらしい。慌ててクーラー設置を業者に依頼しても工事が追い付かないそうだ。

 

頑張れブーランジェリー

 わが家から歩いて2分近くの距離に市民広場がある。長方形の広場で、市民憩いの場として土曜日の午前中はここに朝市が立つ。広場の一角にあるブーランジェリーが現在1ヶ月の休暇となっている。いつもの年より早めにバカンス入りしたようだ。チュニジアの出身のオーナーシェフをはじめ、スタッフも夏の長期バカンスは故郷に帰りのんびりと休暇を楽しむらしい。毎年バカンス明けにはチュニジアの話を聞かせて貰える。
 ブーランジェリーの仕事はきつい。日本でいう3k仕事に例えられるように若者の就業率が毎年減少しているという。「危険」「汚い」には値しないが「きつい」という意味で避けられているようだ。その理由は早朝操業開始にある。一般家庭の朝食に間に合うようにパンを焼き上げなければならない。それには明け方3時4時に厨房に入り仕事を始めるのが通例である。さらに働く側の賃金の安さが言われている。

 

 広場反対側の角にあるのが同じくブーランジェリーである。今は代替わりしたがここはこの街の老舗店として地元民に愛されていた。現在はアラブ系のオーナーだが、元々はフランス人のオーナーだった。フランス人オーナーの時は客もフランス人が多かったが、それが様変わりして、広場に面した2軒のアラブ人系のブーランジェリーとなっている。店のスタッフも同じ出身地との事で、ある意味同族経営の店と言えるだろう。
 同族経営の良さは就業の保証をしてくれること。例えば北アフリカのチュニジアやアルジェリアでパンやパティスリー作りの基礎訓練を受け、フランスに移民として渡る。待ち受ける一族の家族または先輩が就労を請け負い、生活を保障してくれる。これは渡航者にとって大変な利点となる。一方で雇用側は人出不足を補い、経営の安定化につながる。このようなシステムが出来上がっていくと組織自体が強固な体制となる。アラブ系ブーランジェリが発展する一番の要因と言われている。
 フランスのブーランジェリーやパティスリーで働くアラブ系の人が多い理由は、先に記したことの他に「言葉」がある。アルジェリア、チュニジア、モロッコの人々は自国語の他にフランス語を話せる人が多い。この事は一部のアフリカ系の人にも共通している。
 以前、フランスのブーランジェリー事情でアラブ系の方々なしでは経営が成り立たないと書いた記憶がある。経営者がフランス人(ヨーロッパ系)でも厨房や表で働くスタッフはアラブ系の人達がほとんどである。毎年行われるバゲットやクロワッサンのコンクールでは、上位入賞する店や職人の多くをアラブ系が占めているという。

 

 70年代、パリのブーランジェリーではスペインやポルトガル系の人々が多く働いていた。今これらの方達はほとんどが退職し年金生活となった。ブーランジェリー暮らしを続ける人は減り、業界では少数派となっている。
 6年前、モントローの旧市街に3軒のポルトガル系ブーランジェリーがあったという。その他にも、ポルトガルから輸入した日用品を扱う雑貨店など、移民にとって欠かせない店が点在していたそうだ。これは現在、アラブ系の店でレジ係として働く女性から聞いた話である。しかし、それらの店は1軒、また1軒と姿を消し、昨年には最後に残った店も閉店した。現在は空き店舗となっている。一方で、その女性が以前勤めていたと思われるブーランジェリーは、このたび復活を果たした。場所はモントロー駅前だ。
 モントロー駅は市の西部にある。センターからは少し離れていて、それほど大きい市ではないが、面積は結構ある。改装となった駅舎の前は陸上競技用トラックのような広場になっていて、バス停などが並ぶ。駅舎の正面に建物が並び、過去にはホテル、レストラン、カフェなど、商業施設もあったそうだ。それらの施設は10年ほど前から休業状態で、ほとんどが空き家となっていた。その1軒に復活したブーランジェリーがある。いつもバスから見るだけで未だ出かけた事はないが、折を見て一度訪れてみたいと思っているところだ。もしポルトガル系のオーナーでパティスリーも兼業していたら、ひょっとしたらポルトガル・ロールケーキがあるのでは、と楽しみを膨らませているところだ。
 モントロー郊外で最大のスーパーマーケットであるルクレールでは、ときどきポルトガル・フェアが開催される。この期間には製菓コーナーの棚にポルトガルケーキが特別に並ぶ。その中に何種類かのロールケーキがあり、見かけたら必ず買っている。普段見かけないのが謎だが、何故かこの期間だけの特別品である。あっという間に無くなるのも不思議だ。
 ロールケーキの発祥については定かでないと言われている。スペイン、スイス、オーストリアなどの説もあるようだが、日本に伝わったのはポルトガルからのようだ。ポルトガルからと言われると何故か納得する部分もある。ポルトガル旅行をした折、各地のパティスリーでロールケーキを見た記憶があるからだ。
 不思議なことだが、パリのパティスリーでロールケーキを売る店は少ないような気がする。しいて言えばクリスマス時の店頭に並ぶくらいではと思ったりする。欲しくなったら中華パティスリーに行って購入する。ここには常時ある。何故か理由は解らない。これも不思議だ。
 ポルトガルと言えば、6月20日土曜日、モントロー恒例の鰯祭りが行われた。モントローに移り住んでから毎年参加している行事である。ポルトガル系住民の主催で行われるこの行事は、市内最大の公園であるモー公園で年に一度この時期に開催される。
 広い公園の一角にテント会場をしつらえ、その横でバーべキューコンロで炭火焼きの鰯が次々と焼き上がる。焼き上がった鰯を持ってテーブルに運び、指でほぐしながらいただく。ポルトガルワインと焼き鰯がなんとも美味しいパーティーだ。
 今年は体調を崩したことで参加できなかった。その分大みそかに行われる恒例の食事会には出かけようと思っている。この街では、私はたった一人の日本人ポルトガル・サポーターかもしれない。それでも、異国の地で異国人同志が遠い故郷を偲びながら交流できるのはモントローならではのことだ。楽しく貴重なイベントなので、これからもできる限り出席を続けたい。

 

 夏のバカンスを終えた近所のブーランジェリーPOTERIEが装いも新たに営業を再開した。店内の棚が左から右側へと移動し、室内も明るくなり、出入り口のドアが自動ドアとなっている。夕方には、久しぶりに学校帰りの子供達が大勢訪れ、店はにぎわいを見せていた。

 


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