小川征二郎のパリ通信


Vol.185 メイド・イン・フランスのバター

 

 「フランス土産にバターがトレンド入り」と聞いて正直驚いている。中でもアメリカからの観光客が多く買うそうだ。確かにフランスのバターは美味しい。とは言え、アメリカ産のバターが不味いとも思えないのだ。
 ニューヨークに行った時、スーパーや食品店によく通った。当然バターも買った経験がある。日本のバターに比べ美味しかった記憶しかない。ニューヨーク生活が長い弟に「みんなよく買っているよ」と勧められて、最初に買ったのがケリーゴールドのバターだった。
 弟が住んで居たのは2nd Avenueのアパートで1Fに食品店があった。近くにジャーマン・タウンがあり有名なべーグル専門店もあるという、どちらかと言えば暮らしに便利な住みやすい大通りであった。ご存じの様にニューヨークは通りにより街の表情が変わるミステリアスな都市である。パリとは違う意味で魅力がある。食に関してもパリとは一味違っていた。レストランに入っても料理一皿の量の違いである。どの料理もとにかく多いのだ。

 私がフランス暮らしを始めて、食生活が少しずつ洋風に替わっていったと感じたのもバターの美味しさだった。それまでいただいていた日本のバターは何故かおいしいと思わなかった。バターやチーズの種類の多さだけでも比較できないくらいの違いがあり、その事に驚き感心したものである。
 家庭料理にしても、とにかく大量のバターを使う。フライパンで焼くステーキもソルムニエル(舌平目のムニエル)に使うバターの量も半端でない。ほとんどの家庭、そのキッチンから匂ってくるのは焦げたバターの香りと言って良い。古い家庭ほどこの傾向が強いと思えた。レストランでも同様である。

 話は戻るが、ツーリストのお土産としてフランス産バター人気が高まっている中で特に評判が良いのがノルマンディー産のバターだそうだ。確かにノルマンディー地方はフランスでも畜産業の盛んな地域である。
 フランス北西部に位置するノルマンディーは畜産・乳製品王国で、大西洋岸に広がる広大な平地で育った乳牛から採れる乳を使ったチーズやバターは他の地域とは一味違いの乳製品と言われている。特にバターの香り、滑らかな油脂の質感と味の良さで珍重される。海産物が豊富に採れ、それらとバターの組み合わせで特異な郷土料理を作り出している。ソルムニエルなどはこの地の代表、いやフランス料理の代表と言われている。これらの料理に欠かせないのが良質のバターである。同じように製菓業界にも欠かせない貴重な製品である。

 同じ風味のバターとして知られるブルターニュ産も人気が高い。ノルマンディー地方は平野部で成り立っているが、同じ大西洋岸にあるブルターニュ地方は岩場の多い台地で成り立っている。そういった事もあり農業には適さない地と昔から言われていた。長い海岸線を利した漁業や台地で育った畜産業が多く、家内工業中心の零細企業が多い。フランスでも貧しい地方のひとつに挙げられていた。そんな中での乳製品と言えばバターやキャラメルなどが有名である。
 ブルターニュと言えばまず思い浮かぶのがクレープで、中でもそば粉を使うガレットが有名だ。このクレープやガレットに欠かせないのがバターである。ガレットを焼く時のあの独特の香りと味はブルターニュ産のバターでないと出ないのだそうだ。特産品の塩キャラメルもブルターニュ・バターを使用して出来上がるという。ノルマンディー産のバターに比べブルターニュ・バターは個性が強いという人もいる。代表的なバターでルガルがある。

 ワインの品質を保証する制度としてAOC原産地統制呼称がある。ご存知の通りフランス産ワインは生産地によりその評価が異なり、有名なボルドーやブルゴーニュ産を高評価してきた。その他にロワールやアルザスなどでも美味しいワインが採れるが、産地を明確にして、その評価を正しく証明するのがこのAOC認証で1905年に始まった制度である。
 実は同様の認証制度がバターにもありAOP認証と呼ばれている。このAOP認証バター生産が最も多いのがシャラント・ポワトゥ―地方で木製樽で撹拌や低温での製法がその特色と言われる。質感が安定し、きめの細やかな事が特色であるらしい。タルトやパイ生地使用に適しているようで、フランス菓子に欠かせないバターと言われている。
 モンテギューAOP発酵バターがこの地域バターの代表という人もいる。クロワッサンやデニッシュなど高品質焼き菓子に多く使われるそうだ。同じように大西洋岸と、その内陸部に位置し畜産業の盛んな地域である。

 キャラメルやマカロンで有名なオー・ド・フランス地方もバター産地として知られる。フランス北部、ベルギーと国境を接するこの地方は古くはフランドルとして繁栄したと同時に、高度な食文化を育んできた。
 紹介した以外にも有名バターを産出する地方はまだまだある。アキテーヌなどもそのひとつだ。言い方を替えればフランス全土がバターの産地で、地方を代表する名物バターが各地にある。名前はあまり知られていないが、これは旨いと思われるバターは畜産農家それぞれの家で作られる物に多い。少量生産故に大型スーパ-などでは見かけないが、地方の朝市などではこういったバターをよく見かけた。
 パリの朝市やチーズ・バター専門店などではこの類の商品を見かける事があるが、少なくなっている。

 フランスでも問題化されているのは一次産業の後継者不足である。70年代、初めてパリ農業博を見て驚いたのは若者見学者の多さだった。フランス中の農畜産業、漁業、林業を学ぶ若者たちがパリ見学を兼ねての校外授業としてこの農業博に集まっていた。こういった形態の博覧会がなかった、いや知らなかった日本との違いに大いに驚いたものである。聞いてはいた農業大国振りを改めて認識した事を思い出す。

 パリ、ラスパイユのビオ市に人気の蜂蜜店が長く出店していた。この市に通ったことのある方なら恐らくご存じの事と思う。蜂蜜の旨さは当然ながらムッシュの人柄が良く、お世話になった。世間話のなかで間もなく店を畳むと聞き驚いたことがある。その理由は息子も娘も後を継ぐ気がないとの事だ。残念だろうなと思うと、意外や「子供達にはそれぞれにやりたい事があるようで、それはそれで良い」との答えであった。一次産業従事の大変さを聞かされ納得した。その後はパリ郊外の田舎で年金生活を過ごしておられる。

 近くの朝市広場に面してポアソニエ(魚屋)があったが、この夏一杯で店を閉めた。オーナーは3代続く店の跡取り息子であったが、やめた原因はいろいろあるようだ。小さな個人営業での難しさがその原因でもあるそうだ。そういえば朝市の古いチーズ専門店も店を畳んだ。ここでは農家直産のチーズやバターの量り売りが人気であった。ここでもいろいろとお世話になった。残念な事である。

 


⬆︎TOP