2024年08月05日
Vol.165 パリ・カナイユ
いよいよ残り10日少々でパリ・オリンピックの開始である。パリの街に関係者と思える人が増えている。何となく一般観光客と雰囲気が違うから不思議だ。改めて見ると人種も言語も様々、世界の祭典と言われる事が納得できる。
前にも報告したが、国を挙げて、市民総出でオリンピックを歓迎している感はこの期においても感じられない。パリ市でも気の早い人は早々とバカンスに出かけた。また、先日は国政選挙も行われた。
日本のテレビニュースで解説者と思える人が「オリンピックを間近に控えた国が、国会を解散して国政選挙を実施するなど考えられない。」とやや興奮気味に解説交じりで話していたが、ある意味納得できる。お国柄の違い、日本の常識では考えられないだろう。
予想された右翼陣営圧勝の予想は見事に外れ、敗退した。簡単に言えば左派の勝利、大統領が率いる与党中道派も健闘している。という事で、マクロン大統領の賭けは成功した。今新たな組閣が注目されている。
因みに、フランスの選挙では街頭演説は行われない。その代わりそれぞれの支持政党の集会があり、有権者はそこに集まり表纒めや結束を訴える。日本の選挙に慣れた方なら、街頭演説のない、この方式に驚かれるだろう。とにかく静かな選挙戦である。
7月14日は革命記念日。毎年恒例のシャンゼリゼ大通りの軍事パレードがある。オリンピック開催を間近に控えて、どのようなパレードが行われるか楽しみだ。と、思っていたが、結果は異例尽くめの軍事パレードとなった。
まず、パレードがシャンゼリゼ大通りからフォッシュ大通りに代わった事である。私のフランス滞在も凡そ50年近くになるが、その間キャトーズ・ジュイエ(7月14日革命記念日)の軍事パレードは毎年シャンゼリゼ大通りで行われた。実をいうとこの変更は一部メディアなどで報じていたようだが、私は知らなかった。
今年もパレードはテレビで見ようと決めていたので、いつものようにテレビの前に座ると大統領乗用車が凱旋門へと向かっている。何か様子が変だなと思ったのは恒例の凱旋門到着点がシャンゼリゼ大通りへと向かう位置と違っている。
軍首脳の歓迎を受け、パレード車に乗りこむシーンはいつもと同じだが、走り出した方向のコースも街並みも見慣れたそれではない。ン、と思いながら画面を見続けた。
ここでようやく通りがフォッシュ大通りである事に気が付いた。沿道の景色も観客もいつもと違う。画像を見続けているうちにパレード車は特設大テントの前に到着。後ろにブローニュの森が映る。出迎えの政府首脳陣に挨拶する大統領、これはいつも通りの光景だ。
いよいよセレモニーの始まり、ジープに乗った軍人の車が到着する。乗った兵士達の装備は第二次世界大戦時の再現である。軍楽隊が一斉にジャズ演奏を始めた。それに合わせるように連合軍兵士の行軍が始まった。こちらも当時の兵隊の装いである。
異例尽くめのパレードが続く。おそらく日本でもこの日の映像はテレビで報じたと思うので詳細は省かせていただく。いつものパレードと特に違ったのは戦車やミサイル車などの機甲師団行軍がなかったことだ。
今朝、アメリカ前大統領の襲撃ニュースが入った。そのせいかパレードの警備も厳重に見える。政府はオリンピック期間の保安対策として、現在、凡そ1万5千人の兵をパリとその近郊に待機させたという。市警、国警を加えると大変な数の警備ぶりだ。その最大の目的はテロ対策と言われる。
この日はパリでの聖火リレーも行われた。オリンピック気分をさらに盛り上げようとこの日を選んだ。聖火リレーはパレードの中で行われた。軍事パレード中に騎馬によるリレーで、意表を突く演出である。聖火はその後パリ市内を大勢の人によって繋がれてゆく。警備も厳重だ。
軍事パレード、パリ祭、聖火リレーが三位一体となり、この日の祭り気分を盛り上げていく。圧巻はルーブル美術館内モナリザ前でのリレー引継ぎであった。よくぞここまでと思わせる演出に、目を離せないまま釘付けとなる。フィナーレはパリ市庁舎前でのコンサート中、時間は23時半頃。この日最後の走者(パリでの聖火リレーはほとんど歩きで行われた)に渡され、イダルゴ市長立会いの下、市庁舎に特設された聖火台に点灯される。
この間コンサートも盛り上がり、終盤には恒例のエッフェル塔花火が始まる。今年も見事な演出で見物者を沸かせた。改めて思ったのは意表を突く演出の数々、主催者側の見事な手腕である。祭り上手はこの国の伝統で他の追従を許さない。この国の人々の天与の才と言えるだろう。いやー見事だった。
パリ祭の前7月11日、パリに出かけてみた。オリンピック開催まで残り10日と数日、その状態を見ておきたかった。セーヌ川を利用しての今回の開会式、どのように行うのか。予定図はテレビなどでも見ている。さすがと思えるその式典や競技会場、その準備ぶりはどの様に。前から気になっていた。
正直云えば、現在のパリは全てが混乱状態である。セーヌ川に架かる主要橋は通行禁止になり、左岸から右岸に渡るのも遠く迂回して渡らなければならない。市内バスも同様で途中で降ろされた客はメトロ駅へと急ぐ。メトロもコンコルドやシャンゼリゼなどは駅が閉鎖され、観光客もひたすら歩きでのパリ巡りである。
幸い今のところ猛暑でないのが救いだ。8月はどうなるのか、観光客もさらに増えるだろう。工事が終わっても交通混乱は拍車が掛かるだろう。猛暑にでもなれば気の毒としか言いようがない。
当然市民も同様で、お年寄りや障害を持つ人が哀れに見える。こんな不便な状態が今のパリである。他人事ではなく私もひたすら歩きのパリだった。これで大会が始まったらどうなるだろう、と思いながら帰宅した次第である。
ただ、この思いは、7月14日のテレビを見たことで一変した。15日もパリの聖火リレーは続き、レピュブリック広場ではコンサートが開かれ、大勢の観客が楽しんでいた。私の杞憂はたった一日で覆される結果となっている。「パリ、それはお祭りの場だ」と叫ぶ司会者の声が今も耳に残る。
それでも、オリンピック期間は、パリへの出かけを控えるつもりでいる。危険防止もあるが、バスやメトロなど各種交通機関の混雑、さらに特別料金設定で交通費も高騰、移動を重ねトータルするとこれも馬鹿にならない。カフェもレストランも便乗値上げをするだろう。
それでなくても、想像を絶する円安の今、ゆとりがないのが正直な理由だ。毎年、夏休みにパリへ訪れていた日本の友人たちも今年はパリ旅行を控えるとの連絡があった。ひとえに円安が原因という。いやはや厄介な時代になったものだ。
【ジュニ・アルメニアン・ベーカリー】
ある程度のイメージはできても、やはり自分の目で見ない事にはと出かけてみた。パリで今話題と言われる店である。何かと話題になる中近東、アラブ系ブーランジェリーだが、パリで最初のアルメニアン・ベーカリーと銘打ったこの店、果たしてどんな店なのか。
パリ、リヨン駅からメトロ14号線に乗り、シャトレ駅で4号線に乗り換え、モンパルナス駅で下車。階段を上がりオデッサ通りに出る。久しぶりのオデッサ通りである。通りは緩い坂道になっており、その先にエドガー・キネ駅がある。通りの両側には大小各種の商店、飲食関連の店が並ぶ。
そんな並びの中にジュニはあった。隣は映画館である。私が店を訪れた日は木曜日の午後、モンパルナス駅界隈は大勢の人で賑わっていたがオデッサ通りは静かだ。この日気温は日中24℃、夏日にしては過ごしやすい陽気である。
既に夏のバカンスに入ったパリは、忙しさの中にも何処か解放感にあふれている。ジュニ・ベーカリーもそんな雰囲気に包まれていた。
ガラス張りの店は思ったより広かった。加えて明るく清潔、モダンな作りである。店内左手にカウンターがあり、その奥が厨房になっている。スペースもあり、その左奥に焼き釜がある。中で二人の男性が作業中、いずれも中東風の容貌である。
シェフのグレッグさんはフランス生まれ、オリジンはレバノン人との事。フランスのパンが大好き人間なのだそうだ。ブーランジェリーで修業した後、インドネシアでフランス・パン店を経営する店に勤務。その後予てから関心を持っていた中近東アルメニアやレバノンを旅する。
訪れたアルメニアやレバノンでその国の文化に触れ魅了される。その影響でフランスに帰国後アルメニア・パン店オープンを決意。できた店ではアルメニア・パンに限らず、フランスパンも製造。さらにアルメニア料理も提供して、たちまち話題となる。
旅をしている時、日々感じたのはアルメニア人の人柄の良さ、特に旅人に対してのもてなしの在り方を大事にしている事を痛感したそうだ。ますますその文化に惹かれたという。その時の思いを自分の店にも活かしたいと日々心掛けているそうだ。
ガラス張りの外観も洒落ている。店内はモダンな設計で、温もりを感じさせるウッディーを多用している。入口左側にカウンターがあり、そこで客に対応する。その隣に棚があり、アルメニア特産物ワインや天然のハーブ・ティーなどを展示している。
奥の席に座り、メニューを見ながら注文を、と思ったが書かれた文字はアルメニア語。わからないままに、スタッフの若い女性にアドバイスを乞う。一番人気と言われるサンドイッチを注文する。
ラバッシュと呼ばれる薄い窯焼きのパンにひき肉や野菜を刻んで包んだアルメニア・サンドイッチが出てきた。ちょっと癖のあるソースがかっている。飲み物は普通のエスプレッソにした。
アルメニア料理の特色は、ハーブを多用するらしい。他の中東国では多くの香味料を使うようだが、アルメニアでは自然の味を楽しむという。若い女性に人気というのも野菜や果物などの自然な味を好む今の時代にマッチしているからだろう。
アルメニアについて詳しいことはわからない。というか知らないという方が正しい。とは言え、関心がない訳ではない。そのひとつは、昨年起こったアルメニアとアゼルバイジャンの紛争だ。皆さんもご存じと思うこの紛争、結果はアルメニアの敗北に終わった。
この紛争にロシアが直接介入することなく、アゼルバイジャン寄りであった事で、現在、アルメニアはヨーロッパへ側への編入意思を明確にしている。アルメニアは歴史の狭間で度々翻弄された悲劇の国でもある。それが今も続いている。
19世紀末オスマン・トルコによるアルメニア人虐殺事件、トルコはこれを否定しているが、アルメニアから多くの難民が世界各国へと逃れた。その中にフランスへと亡命した人たちがいる。現在凡そ60万人のアルメニア系住民がいると言われている。
アルメニア系フランス人の代表と言えば、今は亡きシャンソン歌手のシャルル・アズナヴールだろう。日本でのコンサートも多く、知名度も高い。アルメニアでは国民的英雄であるらしい。
ちまたではアルメニアは美人の多いことで知られるらしい。そういえばグレッグさんのパートナーもアルメニア人だそうだ。今回お会いできなかったのが少し残念だ。