2026年03月16日
Vol.183 クレープの日
2月のフランスを振り返ってみる。2日はChandeleur(シャンドルール)というキリスト教の祝日であった。この日はクレープの日とも言われ、フランスではクレープを焼いていただくという習わしがある。
クレープについては今更説明の必要もないだろう。日本でも一般化した食べ物で、街ではクレープ専門店もあると聞く。私も時々だがクレープを買っていただく事がある。大の男がと笑われそうだが、無性に食べたくなると後先を考えず屋台のクレープ店で買い、歩き食いをする。
今でも一番お世話になるのがサンジェルマン教会前にある屋台だ。今から30年位前まではパリのメトロ各駅前や小学校近くに当たり前のようにクレープ専門店があった。その店がいつの間にかケバブ屋やハンバーガー店に代わっていく。正確に調べた訳ではないが、当時に比べるとパリ市内のクレープ専門店は半分に減っているのではないだろうか。今でも時々専門店を見かけるが昔の勢いはない。
パリでクレープ専門店が多く集まる場所と言えばモンパルナス駅界隈である。モンパルナス駅と言えば大西洋岸に向かう列車のパリ起点で、ブルターニュ地方への出発終着駅でもある。クレープ発祥と言われるのはブルターニュ地方だ。フランスでは農耕地が少ない地域と言われ、その昔からそばの栽培が有名であった。
クレープには小麦粉を使ったものとそば粉を使った2種類がある。そば粉を使用したものをガレットという。そばの産地ブルターニュではその昔ガレットが主食であったらしい。現在でもクレープと言えばブルターニュと結びつけるフランス人が多い。
モンパルナス駅界隈にクレープ専門店が多いのもブルターニュ人との繋がりと唱えられる。ブルターニュからパリ・モンパルナス駅に着いた人たちが安くて手軽な郷土の味を求めて駅近くにあるクレープ屋に集まったのだそうだ。
オデッサ通りは通称クレープ通りと言われるほどクレープ店が立ち並んでいる。どの店もはずれがないと言われるが、そんな中でお薦めの店と言えばLa Creperie de Josselinで、とにかく人気の店だ。クレープの種類も多くいずれも美味である。クレープに付き物のシードルも旨い。
パリ在住の頃は年に一度はジョスラン店に通った。日本からパリを訪れる方で「本場のクレープを食べたい」という人は意外と多い。そんな方達とご一緒したのがこの店である。そう言えばここ数年はご無沙汰している。
2月7日、モントローで切手市が開催された。切手に特別の興味がある訳でもないが、珍しい催しなので散歩がてら出かけてみる。サル・リュスティックという各種イベントが開催される場所で、わが家からは歩いて1分の距離である。
会場にはテーブルが配置されており、売り手がファイル、または透明な袋に入れた切手を並べて販売するというものだ。それを目当てに大勢の愛好家が集まって、手にしたり虫眼鏡持参で熱心に探索している。何の分野でもそうだが収集家なる人たちは熱心だ。
テーブルに並ぶのは切手だけではなく、中には骨董品や古い雑誌、がらくたもある。あるテーブルで呼び止められて「伊万里の皿がある」と大皿を見せてくれた。どうやら中国、韓国人と日本人の見分けができる人のようだ。
サル・リュステックは長年モントロー市のイベント会場としての役割を果たしてきた。2年前、現市長の肝いりでle Majestic scene de Montereau(市民会館)がオープンし、その後市の重要イベントはこちらで開催されるようになった。毎月各種行事がサル・リュステックで行われている。行事の違いはあっても欠かさずあるのが飲食提供の場で、今回の切手市ではクレープ売り場が登場した。ひと通り会場見物も終えたので、帰りにクレープを買う。1枚4ユーロで、添えの具はキャラメルにした。今年最初のクレープである。
私の住むモントロー市は人口およそ3万人と言われている。近くのフォンテーヌブローよりは小さいが、周りの町村よりは大きく自治体もしっかり機能している。このレポート書くにあたり少し調べてみたら現在市内にクレープ専門店は1軒もないことがわかった。少なくも5年位前までは何軒かのクレープ店があり、それなりに繁盛していたそうだ。
毎年12月になると旧市街の広場にクレープとチュロスを売る屋台が登場してそれなりの客を集めていたが、この屋台も2年前から無くなっている。ひょっとしたらフランス食文化の変動期では、クレープ屋の消失から始まり、各種ファストフード店の台頭現象と繋がっていくのだろう。今この市でクレープを食べたくなったら、フランス・レストランに行きデザートとして注文するしかない。後はスーパーなどで既製のクレープを買い、家に持ち帰ってフライパンで温めて食べる。それはそれで良い事だが、あの懐かしいクレープ店がフランスから無くなっていくのは実に残念な事である。
2月14日バレンタインデー
2月のレポートにパリのバレンタインデー事情について何度か書いた記憶がある。バレンタインデーとは実に不思議な祝日である。いつの間にかこの日を愛の日と呼ぶようになる。さらにショコラの日とも呼ばれるようになりパティスリーの棚に各種ショコラが飾られるようになる。バレンタインとショコラの繋がりは曖昧という説もあるが、商業行事として現在も続いている。
この日に女性から男性にショコラをプレゼントするという日本独自の行事がいつの間にか定着するようになる。今でもそうか解らないが70年代はこの様なやり取りが当たり前のように行われていた。この日のためにフランスのショコラをわざわざ取り寄せてプレゼントする女性も居たという。
フランスでバレンタインの日に女性から男性にショコラをプレゼントする習わしはない。とは言え、男女を問わずこの日に親しい人や愛する人にプレゼントをする人は多いようだ。一番ポピュラーなものと言えば花で、中でもバラを送る人が多い。近所の花屋でもこの日は大賑わいとなる。
本をプレゼントする人も多い。親から子へ、祖父母から孫への本のプレゼントである。意外と思われるかもしれないが、通勤電車内で本を読む人は多い。もちろん、スマートフォンを使う人もいるが、読書とスマートフォンの利用者は半々である。
先日パリに出かけ、パティスリーを何軒か覗いてみた。理由はバレンタインとショコラの繋がりを見たかったからである。さすがパリ、多くのショコラトリーやパティスリーではバレンタイン用のショコラ商品やディスプレイに力を入れている。
とは言え最盛期の勢いは見られない。店全体をショコラ商品で華やかに飾った店が今年は少なくなった。時代の流れだろうか、バレンタイン熱が冷え込んでいる。わずかに頑張っているのが老舗のショコラトリーである。
ショコラが好きというフランス人は相変わらず多い。2020年のある資料によるとフランス人1人当たりの年間消費量は約3.6kgに対し、日本人1人当たりの年間消費量は約2.1㎏と言われている。人口は日本の方が倍近くある。ちなみにショコラを食べる1人当たりの年間消費量の多い国はドイツ、スイス、イギリス、ベルギーと並びフランスは確か8位である。ただし輸出量となると順位がまた異なってくる。
MAISON GEORGES LARNICOLはフランス西部ブルターニュを中心に全国展開をするショコラと焼き菓子の専門店だ。創業はブルターニュの小さな町で屋台販売から始まったと言われるが、その後路面店を作り成功した。1999年に画期的なアイデアと言われるショコラとビスケットの量り売り商法が評判を呼び、現在ではパリに4店舗、そして全国へと展開させている。
今回はその中の1軒である、メトロ・オデオン駅前の店を覗いてみた。店の中心に大量のショコラを使った、エジプトの古代国王ツタンカーメン像が飾られている。店内レジを中心に左側はショコラ中心の量り売りコーナーがあり、素朴な木枠の棚やケースを使った各種ショコラのディスプレイに目がいく。用意された小さなショベルでこれまた用意された紙製のパッケージやビニール袋に自由に取り入れる仕様になっている。選んだショコラはレジに持参して清算してもらう。好みの味、好きな形のショコラを好きなだけ選べる方式が何となく得したようで、つい買い過ぎになりそうだ。
この店の良いところは商品構成の独自性だ。ベースがブルターニュ地方だけに郷土菓子を意識したビスケットやキャラメル、クイニーアマンなどの焼き菓子類などが多い事である。華やかさはないが、味で勝負の作り手のメッセージが店全体に漂っていた。それにしてもショコラ商品の多さは嬉しい。ショコラ原材料の高騰で地方のパティスリーやブーランジェリーでの仕入れが減少し、販売数も減っていると言われる。それだけに自分の裁量で自由に買えるこのような店は有難くまた貴重と言える。
オデオン界隈でもう1軒店を覗く。パティスリー・ブーランジェリー・THEVENINというお洒落な店で、現在パリに4店舗を展開する人気店だ。パリ郊外のモーで60年代ベルナールとジャニー二夫妻が創業し、息子の代で1990年パリに進出、3代目の現在は評判を得て店舗を拡大している。6区ビュシ通りの店が今回訪れた店である。
ビュシ通りはサンジェルマン界隈でもレストランやカフェが数多く立ち並ぶ人気スポットで、とにかく賑わいがある。テヴナンになる前は地元民に長い間愛されたブーランジェリーやパティスリーであった。かくいう私も随分とお世話になった店である。店がTHEVENINに代替わりして店内が明るくなった。パティスリーの品数も増え、ディスプレイもより華やかになる。それと同時に、客層も地元住民から観光客や他の地区からの人たちが増えてくる。デリバリーにも力を入れ近くのホテルからも注文が増え、パーティーなどの対応にも備えているそうだ。今回訪れた日はバレンタインデーを過ぎていたが、店内にはハート形の飾りやショコラ商品構成の多さなど、祭りの余韻を残していた。
それにしてもバレンタイン・ショコラ熱は随分と冷めている。原因のひとつと言われているのが原材料カカオ豆の価格高騰だそうだ。気候変動によるカカオ豆の生産減少に加え、生産農家が酪農などへ転職・廃業などマイナス要素が重なり過ぎ、先の見通しも立たないそうだ。特に零細業者はこの様な環境では思うような収穫が成り立たないという。
ショコラ大手の企業は独自のプランテーションを所有し、長年培ったルートで生産を確保しているが、零細業者はそれすらできないのが現状であるという。
私の住むモントローのブーランジェリーでは、独自にショコラ商品を生産販売できる店はほとんどないそうだ。その結果、祭りやイベントがある度に大手企業から仕入れて販売している。値段も毎年上がっているので販売に影響がでている。4月になればキリスト教最大の祝典、復活祭がある。クリスマスに並ぶショコラ祭りともいわれるパックである。果たしてショコラの復活はあるのか、今から楽しみにしているところだ。
2026年02月20日
Vol.182 フランス人若者によるプラスチック駆除運動
フランスでも新年のテレビは一般視聴者を迎えての娯楽番組が多い。日本ほど酷くはないが、各局が歌番組やお笑い番組を構成の中心にそえている。極端な過剰なヤラセ番組が好きでない時代遅れの私である。この手のバラエティー番組に見飽きた某日、リモコンでチャンネルを操作すると、あるドキュメント番組に出会った。私が見た時は番組は既に進行していた。
画面に美しい自然風景が映っている。豊かな緑、山間に続く棚田、そこを流れる澄んだ山水。その流れをカメラのレンズが追いかける。時をかけて流れ込んだ水がやがて住居の間を流れる川となり、淀みとなる。淀みに無数のプラスチックボトルやビニール袋が浮かぶ川の水はいつの間にか泥水に代わっていた。
人々の暮らしぶりが画面に映る。その風貌と服装から場所はインドネシアの様だ。やがてジャワ島の特色ある風物詩がいくつか紹介される。海岸が現れ数多くのサーファーが映し出される。海辺で寛ぐ若者達のすべてが欧米人である。ジャワは西側からの観光客にとって天国の様に映し出される。
画面が再び変わり元の川に戻った。長靴付きサロペットを着た1人の西洋人若者が現れ、そのまま濁った川に入っていく。おもむろに川に張った網を引き寄せると、大量のプラスチックボトルやビニール袋が河岸へと引き上がる。
いつの間にか画面にインドネシアの若い女性が数名映り、同じように網(ネット)を操作して大量のゴミを収集している。そこに「ごみ駆除運動」のジャワ島メンバー達とナレーションが入る。
回収されたペットボトルやビニール袋を細かく粉砕する工場が映る。この工場もゴミ駆除団体が作ったそうだ。ここまで見て過去に見た似たようなドキュメント番組との違いに改めて気付く。
ボトル回収までは今までも何度か番組で見たが、今回見た番組との違いは彼らが処理工場まで作っている事である。工場を紹介しながら、画面は更に先へとすすむ。細かく粉砕されたペットボトルの一部は道路脇や公園などに運ばれ植木や花壇に土と混じって利用される。なるほど、このように処理されるのか。全てではないが再生利用のいち方法だそうだ。
アジアの美しい島が近代化のしわ寄せで疲弊していく。この事を懸念する一人のフランス人若者が自ら立ち上げた環境保護団体である。それに賛同する現地の若者達の姿が清々しい。今世界中でこのような環境保護運動が広がっている。日本でも同様な事がなされているのは嬉しい事だ。
このドキュメントの最後では、インドネシアのとある漁村の海岸を埋め尽くすプラスチック塵を懸命に収集をする子供たちの姿をレンズが追い、その先で操業する漁師たちを映し出していた。
再生ボトルや食品、製菓関連のプラスチックパッケージも明らかに増えている。ミネラルウォーター用ボトルは一時再生品が急増した。ボトルの張りが柔らかくなり、使用後は簡単に潰せる。これも時代の流れと思っていたが、実はプラスチックボトルの再生は意外と遅れているようだ。再生の難しさを訴える業者もいて、政府はプラスチックボトルの生産を抑え、ガラス製瓶(ボトル)の回収を進め、その再利用に力を入れるよう指導しているという。
ちなみに、フランスではプラスチック処理をサーマルリカバリー方式でなされているようだ。年間排出する250万トンの内200万トンを焼却、その率は70%でおよそ10万世帯に熱を給与しているとある。
また別の資料によると、2015年の約4.07億トンへと急上昇している世界の廃プラスチックの14~18%がリサイクル、24%が焼却、残りは不法に投棄・焼却されている。
毎分約トラック1台分のプラスチックごみが海へ流れ込んでいるという。プラスチックはほとんどが自然に還らずただ細かくなっていき、海洋環境に堆積する。海には、現在5兆個ものプラスチック片が存在し、これは地球を400周以上できる量である。
海中のプラスチック袋は、クジラやカメなどがエサと間違って誤飲する例が世界中で報告されており、2018年にはタイ南部で死んだクジラの胃から80袋以上の袋が見つかったケースがある。
細かくなったプラスチック(マイクロプラスチック)は食物連鎖を通して、人間も体に摂り込んでおり、健康影響について多くの研究者が警鐘を鳴らしているようだ。
フランス各地でゴミの不当投棄が問題になり、地方自治体が頭を痛めているという。特に南仏では他県から越境して大量投棄をするゴミ業者がいるようで、捜査を強化する自治体があるそうだ。
今朝のモントローは濃霧であった。5時ゴミ回収車が来て二人のスタッフが次々とゴミ箱からプラスチックや空き紙箱、雑誌古新聞類を回収した。空になったゴミ箱を家々の前に整然と並べていく。その箱を家の中庭に運んで朝一番の仕事を終えた。
今年も1月はガレット・デ・ロワ
新しい年、行きつけのブーランジェリーのショーケースの中には色んな種類のケーキが整然と並べてある。どれも美味しそうだ。そんな中から今年一番に選んだのはやはりガレット・デ・ロワであった。
夕食後のデザートで頂く。4人用を3等分して皿に。中の餡はアーモンドである。同じアーモンド餡でも店によって味が異なる。今回頂いたガレットは幸先良く、甘み、アーモンドの分量、質、香り、焼き具合ともに申し分ない仕上げである。中のフェーブはディズニーのキャラクターであった。
気付いたら昨日買ったガレット・デ・ロワで今年6個目となる。そのほとんどがアーモンド餡だ。ショコラ餡は一度、近所のブーランジェリーで焼きたてであった。未だ温かいガレット・デ・ロワを食したのは初めてである。これはこれで美味しかった。
「とらやパリ」で小豆餡のガレット・デ・ロワが売っているという。機会があったら欲しいと思っていたが、締め切りが1月17日との事で残念ながら購入できなかった。とらやパリは昨年で45年を迎えたという。流石日本を代表する老舗お菓子店、良くぞ頑張られたと感心する。
45年前と言えば、パリでは和菓子と言う言葉さえ知られていなかった。当時、パリ在住の日本人は羊羹や最中など和菓子に飢えたものである。日本からのお土産にこれらの物をお願いする人が多かった。
その後パリの街でも何軒かの和菓子屋が出店しては消えていった。恐らく当時のフランス人の嗜好に合わなかったのであろう。時を経て日本食店の店頭に羊羹や最中が並ぶようになり、今では韓国食品店の棚にも置かれている。日本人経営のパン屋に あんぱんや抹茶スイーツが登場してフランス人客が興味を持つ。今では抹茶ブームなどと呼ばれ、専門店が出来るほどになった。色んな日本食商品が注目される中で、抹茶は日本からの輸出品として増え続けているようだ。最近、パリの中華菓子店でもこの抹茶ブームに注目しているらしく、パンダンリーフなどを使って緑色の菓子を作っているという。
1月17日と18日、モントロー旧市街にあるイベント会場「サル・リュスティック」でガレット・デ・ロワを味わう催しが行われた。モントロー市の自治体主催のイベントである。その対象は地域の皆さんで、大勢のシニアが会場に集まった。
参加者全員にガレット・デ・ロワと飲み物が振舞われ、アコーディオンの演奏、合唱にダンスが会場を盛り上げた。
この自治体活動「ベル・アージュ」と名付けられ、市民の為の色んなイベントが年間を通じて開催されているようだ。日本ではガレット・デ・ロワの普及はまだまだのようだが、フランスでは年始の菓子として市民に定着している。
(イベントに関してはChatGPTからの翻訳)
2026年01月23日
Vol.181 クリスマス・ケーキ
12月13日、今年2度目のブュッシュ・ド・ノエルをMarie Blachere(マリー・ブラシェール)で買った。マリー・ブラシェールは大型のブーランジェリーでフランス全土に展開している。2004年にベルナール・ブラシェールと娘のマリーが南仏サロン・ド・プロヴァンスに創業した。その後ベルギー、ルクセンブルク、ポルトガル、USAにも進出した人気のブーランジェリーである。ここモントローでは、全国展開をしている生鮮食品スーパーGrand Frais(グランフレ)に併設されていて、両店の相乗効果もあり、たちまち人気店となる。
11月も中盤に入りモントローでも商店街や大通りでクリスマス・イルミネーションが点灯された。それから2週間経った今、クリスマスや歳末気分を盛り上げている。その流れでスーパー・マーケットや各種商店で今年最後の商戦が始まった。
昼間はさほど目立たないイルミネーションだが、夜になると通りの姿が一変して街に華やぎを添える。クリスマス飾りとはこんなにも美しかったのか、一軒一軒の店がまるで豹変したかのように輝き、道行く人の気分を高揚させている。
今年初めてのブュッシュ・ド・ノエルは大型スーパー、ルクレールのものであった。全店そうだがスイーツ関連コーナーも普段以上の商品が並び、飾りも派手になる。見ていてつい手を出してしまうほど食欲と購買欲をそそる。クリスマスケーキには少し早いかな、と思いながらもブュッシュ・ド・ノエルを1個取り上げた。夕食のデザートにいただいたが、結果は作り手の方には申し訳ないが「やっぱりな」の一言である。
やっぱりな、という理由のひとつにスポンジとクリームがうまく繋がらずロールに隙間ができている。作ってから日数が経ち過ぎたのか。昨日今日に作られた物とは思えない味気無さだ。恐らく2、3日前に、いやもっと前に作られたものと思われる。スポンジも既に乾燥気味で、しっとり感、潤いが足りない。改めて物と時、タイミングの大切さを思った。
その後、日を改めて買ったのが2度目のブュッシュ・ド・ノエルで、店はマリー・ブラシェールである。これは当たりであった。ルクレールで買ったのはショコラ風味であったが、マリー・ブラシェールのそれはクリームにマロンを使っている。好き嫌いはあると思うがマロンクリームは高級感を演出するに欠かせない素材のひとつと言える。という事でその夜のデザートはいたく満足し、美味しくいただいた。
クリスマス・デコレーションと言えばやはりパリである。という事でパリへと出かけた。いつもは電車を利用してのパリ行きだが、息子がパリに行くというので彼の車に同乗した。電車だとおよそ1時間、車だと1時間20分のパリ・モントロー間である。
この日の高速道路は大渋滞で、パリを目前にしてノロノロ運転となる。どうしようもない時間を費やし、当初の予定を1時間超過している。家を出たのが11時半、お昼は中華街での予定である。食後は別行動に決めていた。
遅めの昼食を終え、一人でメトロ・ショアジー駅に向かう。レストランから5分足らずの距離だが、この駅を利用するのは初めてである。メトロ7号線に乗りChaussee d’Antin(ショセダンタン)で下車した。地下通路を使ってギャラリー・ラファイエットに出る。エスカレーターで上がりメインホールのクリスマス飾りを見た。
このデパートのクリスマス飾りはパリの冬の風物詩代表のひとつだ。長年パリっ子達が見続けた歴史行事でもある。赤で統一したメインホールの巨大ツリーは高さ16mもあり、華やかでいつもの年より派手な演出である。見事な出来栄えで見物客の注目を集めている。という事でカメラを構えてぱちりと1枚。どうにか無事に収まった。
館内それぞれのデコレーションも相変わらず見事で消費意欲をそそる。各有名ブランドのコーナーでは中国や、アラブの金持ち客が次々と商品を購入していた。ここに来るといつも思うが、ここはある意味世間とは別の世界で、不況知らずのフィーバー振りである。
一部に中国不況を唱える人が居る日本だが、少なくともここパリでは中国人観光客は最大のお客さんである。各デパートの中国人スタッフ雇用状況を見れば明らかで、その同胞への対応ぶりは明らかに特異なものだ。
同じ高級客でもアラブ系への対応はフランス人スタッフの役割であるらしい。館内で働くアラブ系スタッフの少なさを見るにつけ、お国ぶりの違いが垣間見える。そんなことを思いながら館外へと出る。
オスマン通りを挟んだ食品館前に長い行列ができていた。スタッフの若い男性が入館者規制をしながら、館内へと誘導している。並ぶのも面倒だったので別口から入館した。この食品館への出入り口は、実は3カ所あり、2カ所は並ぶことなく通過できる。
入館してすぐにイートインのある場所へ向かった。空席を探して着席する。棚に並ぶ飲み物や軽食類はセルフで選び、それを持ってレジで精算して再び席に戻る。回りは外国からのお客で大賑わい。しばらく休んで館内巡りへと移行した。
このフロアにはフランスを代表するパティスリーやブーランジェリー、さらに有名惣菜店のスタンドが数多く参加している。参加というより選ばれて参入という方が正しいか。今フランスで人気の、話題の有名店を見るには見逃せないフロアである。という事でスイーツ・ファンにここはある意味聖地で、世界中の甘党が訪れている。
最初に見たスタンドはLaduree(ラデュレ)で、マカロン発祥の店と言われるように各種マカロンが品良く展示されている。それらの中に今フランスで人気のアメリカン・マフィンも当然のように飾ってある。
このアメリカン・マフィンはフランスの様々なパティスリーやブーランジェリーでもにわかに作られるようになった流行り菓子だが、何故そうなったのか理由は不明である。
続いて見たのがイタリアのクリスマス菓子、パネットーネで有名なMorandin(モランディン)のスタンドである。食品館でのイタリアンはまずはパネットーネの紹介から始まるのが毎年の恒例である。昨年はこのスタンド横に生ハムやイタリア惣菜を売る店があった様な気がする。今年は気付かないままに通り過ぎたようだ。
私の住むモントローでも毎年クリスマス市が開催される。モントローにどれだけのイタリア系住民がいるのか解らないが、この市でも必ずパネットーネと生ハム、イタリアン・チーズを売るスタンドが登場して、結構売れている。まだ行ったことはないが、わが家の近所にあるイタリアン・レストランではクリスマス特別デザートとしてパネットーネを提供すると聞く。
次のスタンドはショコラの老舗として知られるLouis Fouquet(ルイ・フーケ)である。松ぼっくり型のショコラを使い品よくディスプレイしている。松ぼっくりは今やクリスマス・ツリーに欠かせない定番の飾りだ。他のスタンドなどでも見かけるが、ショコラとして登場させたこのルイ・フーケ店のものが一番お洒落に見える。
ずっしりと本格派とも言えるAlain Ducasse(アラン・デュカス)のスタンド前には大勢の客が集まっている。何しろディスプレイが上手いのだ。いかにもフランス的、あるいはパリ風と呼ばれるのか、飾りにある種の風格がある。見とれていたせいか、物欲しそうに見られたのかスタッフの若い男性に一粒のプラリーネをいただいた。口に入れるとえも言えぬ風味で、しばらく口中に余韻を残すほどのものだった。
ひょっとして、いま食品館バイヤーが一番注目しているパリのパティシエはVincent Salur(ヴァンサン・サルール)ではないだろうか。そんな思いがするほどの扱いである。今年もフロアメインに彼のスタンドを設置した。何しろ商品作りの発想が面白い。絵画で言えばモダン・アートである。伝統的な菓子作りにある種の改革を提案している様なスイーツが並ぶ。
その他のスタンドを見ながら押されるように館外へと向かう。普段は閉じられたままの扉が今日は開いて大勢の客とともに通りに出た。冬の日は既に落ち、目の前にラファイエット本館のイルミネーションが美しく輝いている。
96番のバスに乗りオペラ通りをピラミッドへと向かう。途中下車してオペラ座の巨大シャネルのポスターをカメラに収める予定は中止した。車窓に映るオペラ通り各商店街のクリスマス飾りが美しい。バスを降りてメトロ駅まで歩く。この時間を逸するとメトロも郊外線も混雑間違いなし、と急いで14番線リオン駅行ホームに駆け込んだ。
今回の食品館訪問の一番の目的はクリスマス・ケーキで、中でもブュッシュ・ド・ノエルを各メゾンがどの様に作り上げているのか知りたかった。それを見るのが楽しみで出かけたが、結果は少し早すぎて後悔した。どのメゾンもプレゼント商品は作っているが、スタッフによると本命が数多く登場するのはやはりクリスマス前の数日であるらしい。
そんな中でピエール・エルメのブュッシュ・ド・ノエルは巨匠の評価、貫禄に相応しい出来栄えである。最近マカロンだけが注目されるエルメ店だが、本命のガトー作りも健在である。
わが家イヴの食卓に並んだのはいわゆる洋風料理であった。デザートは再びマリー・ブラシェールの作り立てブュッシュ・ド・ノエルで、申し分ない仕上がりである。この夜の飲み物はシャンパンならぬロワール産のスパークリング・ワインで、ここ数年イヴに飲み続けている。好みに合うというか、とにかく旨い発砲ワインである。
数年前、息子がロワールにある友人の別荘に招かれ、その家の近くにあるワイナリーで購入したもので、それ以来箱買いをしている。少量生産との事だが、上品な仕上げでとにかく喉越しが良い。
シャンパンやスパークリングワインとスイーツがうまく合うと、大げさにいうと至福の時を過ごすことができる。という事で今年のイヴも楽しく過ごすことができた。
このレポートでも紹介している大型生鮮食品で人気のグラン・フレがアメリカの投資会社に買収されたとテレビ・ニュースで報じている。アジア食品なども数多く揃えたスーパーだが、今後どの様に運営されるのか気になる。できる事なら現在通りの品揃え、価格設定を続けて欲しいものだ。
2025年12月12日
Vol.180 円安に喘ぐ
ここまで酷くなるとは思いもしなかった。円安の事である。ドルも下がり傾向で投資家を一喜一憂させているが、対ユーロの為替で円はさらに下がり続けている。11月18日現在、1ユーロ180円を記録した。
投資に関係ない私だが、この円安には実際お手上げ状態である。酷い事になったものだ。円安の原因はいろいろ言われるが、要は円が弱くなっているという事である。さらに言えば円を基金とする日本の経済が弱いという事に他ならない。間違っていたら申し訳ない。勉強不足、認識不足と言われても仕方ない。
経済大国と言われ続けた国で育った身にとって、日本経済は不滅とまでは言わないが、弱いとまではついぞ思わなかった。本音である。もちろん発展途上国に比べれば日本経済は絶対的に強い。これは間違いない。
先日、パリ2区にある両替屋に行った。もう何十年もお世話になっている両替屋でそこで働くスタッフとも顔見知りである。日本円5万円を両替しながらの対話だ。
「大変だね、日本円どうなってるの。」
「それは私が聞きたい事だよ。実際この円安は私にとって大変だよ。」
「大変なのはこちらも同様、この円安で日本人お客さんの数が大幅に減っている。」
ということらしい。
円が強かった時代は日本人客で賑わった控室も、今椅子に座る日本人は見かけない。以前5万円換えると少なくとも300ユーロは手にできた。ところがこの日手にしたのは270ユーロを切っている。やれやれと思いながら両替所を後にした。
バブルが弾けた1991年代は、パリにある日本企業が大量に撤退した。辛うじて残った所も大幅なリストラで日本に帰国した人も多かった。あれからおよそ30数年、ようやくパリの日本企業も形態を変えながらだが、回復傾向が見え始めていると言われていた。そこにこの円安である。
それでも大企業と言われる所はまだ良い。苦労しているのは小企業の駐在事務所だ。既に円安でユーロ圏からの取引を控えるところが出始めている。事務所の縮小や、スタッフのリストラが当たり前となりつつある様だ。
ボージョレ・ヌーヴォー2025
残り数日で年末である。何がというわけではないが、何となく慌ただしい気分である。11月21日、いつもの年より早くモントローに初雪が降った。わずかの時間であったがぼた雪である。空に舞うぼた雪が牡丹の花にも似てこんなに美しいとは思いもしなかった。
20日の夜は食卓にボージョレ・ヌーヴォーのボトルがのった。解禁日と知って慌ててスーパーに向かい手にしたボトルである。モントローにもワイン専門店があるが、郊外近くわが家からは車を利用する距離だ。
フランスでもボージョレ・ヌーヴォーのピークは過ぎたと言われている。実際お祭り騒ぎをしているのはボージョレ地方だけだという人もいる程だ。ここモントローでも同様で、スーパーの棚に並ぶ新酒の数が毎年減っている。
少なくとも私がモントローに移り住んだ数年前は、解禁日のレストランのお昼時はボトルであれグラスであれ新酒を祝う人を結構見かけた。近くのカフェでも同様な光景を良く見かけたものだ。今年も様子見に出かけてみたが、一向に盛り上がりを見せない。終わったな、というのが正直な感想である。
パリでの昨今の様子は解らないが減少傾向は明らかと言える。5年位前の事だが、10月になるとボージョレ・ヌーヴォーを日本に配送している日系運送御者からの日本への配送注文が止まってしまった。この頃からすでに新酒ブームは減少傾向が始まっていたと思う。今では解禁日のバカ騒ぎが懐かしい。
理由はいろいろあると思えるが、一番の動機はやはりコロナ禍であるように思う。これがお祭り気分を一掃した。さらに正直いうと新酒ワインの不味さが言える。ワインというより「これはジュース」と表現する酒飲みの正直な感想が的を得ている。新酒の旨さが一般消費者にも解らないのだと思う。
それでも新酒ワインの棚を設けたスーパーへ足を運んだ理由は「今年の新酒はどうだろう」の好奇心から。値段は昨年に比して安く設定しているように思える。物価上昇の今ありがたい事だが、安くなったからと言って売り上げが伸びているとは思えなった。
解禁日、夜の食事でいただいた一杯のヌーヴォーは残念ながら旨くなかった。追加の一杯はブルゴーニュ23年産の赤だ。香りと言いコクと言い新酒にない旨さがある。
昨夜のテレビ・ニュースで高級ワイン窃盗犯が逮捕されたと報じている。ボルドーの高級ワインを盗んで、中国へ販売していたようだ。その推定値段を聞いて驚いた。
モントローのゴミ処理
燃えないゴミは週1回の水曜日、燃えるゴミは週3回の月水金曜日。モントローの家庭用ゴミ回収と、処理の決まりはこの様になっている。それぞれの家庭に指定のゴミ箱が設置され、処理運搬日の前夜、家(アパート)の前、車両道脇の歩道に出して置く。
処理用運搬車が回収に来るのは早朝5時から6時の間で、回収されたゴミ箱は歩道にそのまま置かれる。道路にもよるが、わが家の前の歩道は幅およそ1mで、大人二人が並んで歩ける位の道幅である。
近所に小中学校があり、登下校時に児童が通学路として利用している。フランスでは現在でも小学校の通学時に親が同伴する家庭が多い。それぞれの家庭によるが父親か母親で、時には乳母車を押しながら母親が同伴する事もある。
この様な事情があり、通学時の歩道を歩き易くするため、各家庭では歩道に置かれたゴミ箱を早めに回収する。わが家でもゴミ箱を回収して中庭に置くようにしている。という事でゴミの回収日はいつもより早起きという事になる。夏場の早起きは気持ち良いものだが冬場寒い日の早起きは時に苦痛を伴う。
燃えないゴミの中に生ゴミなどを入れて出すと、回収業者は蓋を幅広のテープで封印、回収せずそのまま置き去りにする。この辺は徹底していて情け容赦なしの処置という事に、結果次の回収日待ちとなる。
これらの方法とは別に常設のゴミ箱を設置した場所があり、そこは時間に関係なく何時でもゴミの処理ができる。わが家でもよく利用するが、少量のゴミしか出さない家庭やたえずゴミを出す飲食店などが多く利用している。最近同じ場所にプラスチック・ボトルなど再生ゴミを対象にした専用ゴミ箱も設置された。
パリでは再生ゴミ用の特別回収車が市内を走っていると聞く。私はまだ見た事がないが、どんな作りの車か興味がある。再生ゴミへの対応はますます必要とされ、さらに細分化されていると聞く。
パリのアパートは常駐のコンシェルジュが居てゴミ箱の整理や、清掃をしてくれる。ゴミ回収日の早朝、コンシェルジュがゴミ箱を歩道に出し、回収車のスタッフがそれを回収、空になったゴミ箱はそのまま歩道に残し、その後コンシェルジュがアパート内のゴミ箱置き場に運ぶ。モントローのアパートでも似たような形でゴミ回収と、処理をしている。
パリのアパートはコンシェルジュが居るが、パリ郊外の町には小さなアパートもあり、コンシェルジュが常駐していない所もあると聞く。そんな所ではアパート、または事務所の清掃やゴミ処理をしてくれる人を雇い、曜日を決めて対処しているようだ。ここモントローでも同様なところがある。
パリなどでコンシェルジュを生業とする人は伝統的にポルトガル系、スペイン系の人が多い。最近では東欧系の移民でコンシェルジュが増えているそうだ。
移民の職業と言えば、レストランやカフェの下働き(キュイジニエ)に多いのがスリランカ系、ホテルの従業員はアフリカ系で、いずれも女性が多い。ファッションの街と呼ばれるサンドニ界隈では、生地や服の運搬や清掃業務にはパキスタン、アフガニスタン系移民が多い。タクシー・ドライバーはラオス、カンボジア系移民が多いと聞く。
余談になるが、移民問題はフランスでも益々深刻化してきた。が、現実には移民労働者抜きには社会が成り立たないフランスでもある。当然ゴミ回収業務で働く人のほとんども移民系住民と言われている。
フランスでは軍の従事者を毎年求めており、今年も大々的なキャンペーンを行った。結果新兵として軍人となった若者男女の訓練が今始まっている。この中には移民系若者が増えたとテレビで報じている。
余り知られていないが、外国からフランスへの移民、住民となるには結構複雑な手続きが必要である。その手続きが面倒で、人によっては何年もかかる。この事は留学希望者も同様で、基本滞在は当初1年、その後毎年の更新が義務付けされている。
このような問題はフランスに限らず、ヨーロッパ各国でも同様である。簡単に外国へ移り住むことの難しさは経験した人でないと解らないと、多くの移民や移住者が語っている。
今日のニュースで、アメリカ合衆国は途上国からの移民に対して、永久居住を停止したと報じている。トランプ政権となってから移民対応が厳しくなる一方だが、先が見えない国となりつつある。
話を戻して、先日、要らなくなった大型ゴミを運んで処理所へ出かけてみた。わが家から車でおよそ15分の距離で、セーヌ川沿いに建てられた工場内部で仕分けして処理をしているそうだ。自分で処理ができない大型ゴミは前もって業者に連絡が必要となる。これはパリでも同様である。
2025年11月21日
Vol.179 秋故に
夏のパリも良いが、この街を好きな人のほとんどは秋のパリが良いという。街に憂いが加わるそうだ。なる程、納得である。落ち葉の舞うパリの街は例えようがないほど美しい。これも同意である。体感としては今年の秋の訪れは早かった。
パリの街は実に不思議で通りの並木にも季節のまだらがある。9月に黄葉する木もあれば、まだ青葉を残すプラタナスの大木もある。それでも秋の気配を感じるのはこの街が持ち続けた独特な空気ゆえだろう。
憂いと言えばフランスの政治。新しく首相に任命されたセバスチャン・ルコルニュ氏が組閣してわずか14日で辞任、話題となっていた。最短命首相との汚名もついたが、その後奇跡的に復活して再び首相になり、政治的憂いを払拭し国の安定をと呼びかけ国民を驚かせている。現在新たに組閣中だが、果たしてどんな顔ぶれが登場するのだろうか。いずれにしても政治混乱はしばらく続くだろう。いかにもフランスらしい出来事である。元大統領サルコジ氏が金にまつわる不祥事で刑務所に収監されるという事件も政界を揺るがせ、国民の非難を受けている。
一極集中は日本だけの話ではない。一極ではないが、大都市集中現象はここフランスでも問題化している。その昔からフランスは地方文化を大切にする国としていた歴史がある。
パリだけがフランスではないの意識が根強く、頑ななまでに地元意識を大切に育む。その文化は今でも続いている。食では王国を任じ何処にも負けないというリヨン、地中海文化継承の意識を未だに持ち続けるマルセイユなどである。
何時からそうなったのか気が付けばパリが極端に露になっている。今では文化も政治経済もパリに集中し、インフラもまずはパリからという意識が益々増えている。この現象を懸念する人が意外と多いと言われている。特に地方中都市在住者にこの傾向が強いそうだ。地方からの若者の流出、僻地の人口減、高齢者のみが残るという社会構造ができたのはパリ一極集中のせいだと。こういった傾向は他のヨーロッパ国でも問題化している。当然フランスも然りであり、益々深刻な度合いを加えている。
先日、国営テレビが特集を組んでいたのは、フランスのドローム地方のある村の出来事である。財政削減でごみ収集作業員が雇えなくなり、村議会で村の外れに大型のゴミ箱を設置する処理法を制定した。その結果、家で出るゴミはそれぞれの家庭でゴミ箱まで運び捨てるという事になった。
車で運べる家庭は何とかできても、老人家庭にとってはゴミの運送も大変な負担である。大型のゴミ箱と言ってもゴミの排出には追い付かない。入りきれなくなったゴミ袋はゴミ箱の横に捨てられる。野鼠がビニール袋を食い破り、ゴミ箱中には大量のウジ虫が発生し表に出る始末で、おまけに悪臭が周りに漂う。こんな現象をカメラが映し出している。
過疎の村と言っても住民には国民として生きる権利がある。それがなされていないのが現実であるならば、ある意味政治が平等に行き渡っていないともいえる。映像を見ていてある種の虚しさを感じた。カメラは、ひび割れて舗装セメントが欠け落ち無くなったでこぼこの県道を映し出す。「もう何年もこのまま」と呟く老年住民の声を入れている。
過疎で税収も少なく、気候変動で思わぬ水害が頻発し、加えて日照りが農作物を壊す。そんな悪循環で地方自治体が崩壊して行く。今フランスはこんな状態である。
ゴミ問題ではないが、時代の波に飲まれて村が変わっていく様子も伝えている。人口わずか200人足らずの村だが、この村に1軒だけあったレストランが閉店した。ピザ屋、ケバブ屋など新しいスタイルの飲食店が村に登場し、フランスの伝統的な料理を提供していたレストランが立ち行かなくなったという。
レストランのランチは15~17ユーロ、ケバブやピザなら11ユーロで済むとの事だ。さらにハンバーガー店までできるという噂で、レストランの経営者が閉店の決意をしたという。時代の流れで仕方のない事とは言え、伝統的な職業ひいては文化が次々と消えていく現状が実に残念である。
南仏マルセイユ近郊にも大型不法ゴミ捨て場が出現して今問題化している。ここでは港に浮かぶ大量のプラスチック・ボトルの処理が限界に達しているようだ。フランスを始めヨーロッパ各国でゴミ処理問題は行政を悩ます大きな課題となっている。
そんな中、北欧諸国では休日を利用して海岸や運河のゴミ収集をする市民グループが増えているそうだ。福祉国家として世界が注目する国家の住民意識が新たに注目されている。無限に増え続けると言われるゴミとその処理問題は、世界共通の課題となっている。
幸い私の住むモントローはゴミ処理に関しては現状問題なく進んでいる。早朝6時、ゴミ収集車の音を聞くたびに安堵する日常である。
【モロッコ祭り】
ヌー公園の並木が色づき始めた先日、モロッコ祭りが開催された。モロッコの日常を体験してもらいたい。祭りのテーマにそうある。期間1週間とモントローでは珍しく長いイベントの開催である。
祭り二日目の土曜日、会場に出かけてみた。広い公園の一角にモロッコ風のテントがコの字型に並んでいる。その数およそ40、中央には舞台ができていた。舞台前は広い芝生の広場である。ポニーに乗った子供が楽しそうで、手綱を少女が引いている。どうやら祭りイベントのひとつで、初日には同じ場所で勇壮なモロッコの伝統騎乗儀式のイベントがあったそうだ。
ぶらぶらとテント巡りを始める。各テントではモロッコの産物展示販売や生活再現の紹介が行われていた。唐草や幾何学模様の陶器、銅製の各種食器やインテリア家具、装飾品などがあった。別のテントではモザイク模様の寄木木工家具や小物、民族衣装やアクセサリー、BIO蜂蜜、香草などを販売していた。スタッフは男女ともに民族衣装を着て客に対応している。
1956年独立するまでフランスの植民地であったモロッコは、現在もフランス語を話す人が多い。祭りの場でもフランス語が行き交っていた。
中央舞台でモロッコ音楽の歌と演奏が始まった。普段聞きなれた西洋音楽とは異なる各種民族楽器を使った独特のリズムとメロディーである。歌い手は何故か男性だけだった。しばらく聞いて再びテント巡りをする。大きなテントはモロッコ料理タジンが中心のレストラン、家族連れの客で賑わっている。お茶でもと思って覗くが、食事を楽しむ客が多いので残念ながらパスした。後で少し後悔の念に駆られる。カルチェラタンのレストランでよく飲んだモロッコ特有の甘くて濃い薄荷茶の味を思い出す。
いろいろな出店の中で、アルガンオイルのスタンドがあった。アルガンオイルはモロッコ特産の伝統的な有機オイルである。その希少性から世界中の美容界が注目しているそうだ。砂漠地帯に生えるアルガンの木になる果実から取れる油で、古くからこの地に住むベルベル人が食用や肌の乾燥などを補う薬用として使用していたという。
この油にヨーロッパの美容界が注目し、今注文が殺到しているそうだ。モロッコでは現在砂漠にアルガンの木を植樹して、アルガンオイルの生産増加を目指している。さらに女性の職場確保、社会進出の場としてアルガンオイル生産を奨励しているという。
出展者カディジャさんの話を聞いてみた。コスメとは他に食用オイルとしても人気があるという。そんな事で食用のオイルを一瓶購入してみる。家に持ち帰り早速サラダ用ドレッシングとして使用してみた。まず蓋を外し香りを味わう。独特の香りが鼻腔をくすぐる。ごま油に似た風味であるが、独特な香りが何とも良い。思ったより癖は強くなく、野菜のうま味を引き立てる。ベルベル人は古くからタジン料理にアルガンオイルを用いたそうだ。
パリ2区サンマルク通りに古いタジン専門のレストランがある。狭く小さな店だが、お昼時になるとアラブ系の客の中にヨーロッパ系の人も混じる実に不思議な雰囲気の店だ。古い話だが、一度だけ昼時にこの店を訪れた。ここはタジン料理を初めて食した思い出の店でもある。いただいたのは鶏肉と野菜の入った土鍋料理で、独特の味と風味の記憶が今も残る。マダムひとりで切り盛りしていた庶民にとって貴重な店だ。
機会があったらもう一度あの味をと思うが、いまだ実現しないでいる。ひょっとしたらあの時の風味はアルガンオイルのものであったのかもしれない。ただ、オイルの値段を思うといただいた料理の値段とは相当のずれがある。
アルガンオイルはオリーブオイルなどに比べ値段はかなり高価だ。同じ容量で比較すると格段の違いがある。アルガンオイルの希少性を思うとこの高さも妥当な値段なのだろう。カディジャさんの話では美容用としての輸出量が多いという。
世界にはまだまだ知らない沢山の珍味食材がある。遅ればせながら、それらに出会える機会を楽しみにその場を歩きたい。今朝の朝市、行きつけのチーズワゴン売り場で長い行列ができている。行列に並ぶムッシュの話では、モントローの名物チーズ、ブリ・ド・モントローこの秋初物の初売りに並んでいるという。
ブリ・ド・モントローは普段に買うチーズだが、初物、初売りがあるとは知らなかった。それを買う為に、寒空の下、長い行列に並ぶ人たちがいる。まだまだ知らないことが沢山ある。改めてここはフランスだと思った今朝の朝市だった。
モロッコ祭りに比べると規模は小さいが、この週末サル・リュスティックでポルトガル祭りが開催された。モントローに住むポルトガル系のいわば懇親会である。日曜日の午後に、祭りの様子を覗いてみた。実は昨年同じ祭りが開催され見物した。祭りのメインはモントロー始め近郊に住むポルトガル系方々の民族ダンスである。
ポルトガル民族衣装を纏った老若男女とその子供達が伝統的な踊りを披露して、今年も同じ催しがメインとなった。ポルトガル地方によって振り付けも若干変わるようだが、基本は男女カップルが輪になって踊る。古い絵画を見ているような異国情緒たっぷりな舞台に、改めてポルトガルという国に住む人々に興味が沸く。
帰りに夕食後のデザート用にポルトガル・ケーキを買う。ケーキの名前はボラ・デ・ベルリンと呼ばれ、生クリームたっぷりの素朴な風味がなかなかの味だった。
2025年10月10日
Vol.178 フランス・エトセトラ
総じて言えば、今年の夏は涼しかった。いかにもフランスらしい乾いた季節である。地方によっては何日かの猛暑日や豪雨日があったが、ニュースで見る日本の夏とは正反対であったと言える。ただ各地で干ばつが起こり、農家泣かせの日が今も続いている。
干ばつの被害は市民生活に直接影響する。例えば夏野菜である。朝市やスーパーの野菜コーナーからサラダ菜やトマト、キュウリなどの出荷が極端に減ってきた。フランス人家庭の食卓に欠かせない夏の必需品で、サラダにも不可欠の野菜群である。偶に見かける白菜(シューシノア)も今夏は一切見えなくなった。
トマトなどは輸入品頼りになっている。朝市にしろスーパーにしろお客のほとんどは庶民層である。安くて新鮮な商品を探して買う人々だ。国産品に比べ輸入品は安い。主な生産地はスペイン、ポルトガル、さらに北アフリカのモロッコやアルジェリアなどの国々である。最近はセネガルなども輸出量を増やしている。9月も後半に入りスーパーの野菜コーナーや朝市の野菜果物スタンドに商品が増えてきた。とは言え価格は高騰したままの状態である。フランスの不況は先が見えない。
今日は9月23日。暦では秋分の日、彼岸の入りである。日本ならおはぎを買う今日の日、と思いながら向かったのは大型スーパーのルクレールだ。特別目的がある訳でもないが、先日息子が買ったポルトガル・ケーキが美味しかったのでもう一度伺った。先週、ここではポルトガル・フェアがあり賑わったそうだ。
残念ながらフェアは終わり、目的のケーキは買えなかった。その代りにケーキ・コーナーで小規模ながら地方銘菓展を開催している。ボルドーのクネル、ブルターニュのブロウニューなど並ぶ中からBrownieとCaneleを選ぶ。
銘菓展は小規模だが次のイベントとして準備しているのがワイン・フェアである。こちらはかなりの大掛かりで、広い会場を確保して準備中である。ここ数年ワイン販売が低迷しているフランスだが、ここに来て国内大手のスーパーで一斉にワイン・フェアを開催始めた。若者のワイン離れに加えてアメリカの税関問題にワイン農家が苦慮しているため、ワイン復興に懸命に対応している。
ルクレールでの買い物を終え、次に向かったのがポルトガル物産を販売するリュサ・テロワールに行く。かねてより気になっていた店だが、初めての訪れである。ポルトガル食品やワインの品揃えも豊富で、少数ながらスイーツ・コーナーもある。私のようなポルトガル・ファンには貴重な店だ。
数ある冷凍食品の中からタコを買う。フランスの魚屋でもタコはよく見かけるが、国内で獲れる物は値段が高く、セネガルなどのアフリカ産が多い。モントローの魚屋でも時々売っているが鮮度がいまいちで買い控えていた。
今回は買わなかったが大振りの冷凍イワシもある。フランスでイワシと言えば日本でも多いマイワシやカタクチイワシ。これらはよく見かけるが、ウルメイワシはほとんどない。それがここにはある。次回の訪れが楽しみになった。
Angeはモントローで一番新しくできたブーランジェリーで、今人気の店である。パティスリーに力を入れており、最近良くお世話になる店である。ここで作るタルト・プラリネはパリのどのパティスリーでも見かけなかったもの。ピンクの色合いとともに甘みの調整が実に見事な一品である。ここではタルト3種とクロワッサンを買う。シェフはまだ若いムッシュとの事で、機会があったら一度お会いしたいと思っている。モントローのパティスリー作り手としては一番期待される楽しみな店、シェフだ。
クロワッサンと言えば運河の町モレ・シュール・ロワンで貴重な店を発見した。極ごく最近の事である。この町については以前レポートで紹介した記憶がある。印象派の画家シスレーがパリから移り住んでここの風景を描き続けた美しい町で、世界中のシスレー・ファンが今も訪れる。
その昔、この街にある修道院の尼さんが作ったというシュクレ・ドルジュはフランス歴代王家に献上されていたと言われる銘菓である。そのレシピは長い間密封されていたそうだ。スイーツ愛好家の間では一度は食してみたいと言われる名品であるらしい。現在、この街の教会前にあるパティスリーで当時と同じレシピで作られている。
その近くにあるブーランジェリーのクロワッサンが実に美味で、フォンテーヌブローからわざわざ買いに来る人もいるという人気のパンである。良質なバターを使い焼きの具合が絶妙で歯触りが心地よい仕上がりである。クロワッサン好きの私には実に貴重な店との出会いとなった。
秋というより冬の装いのパリジャンが急に増えたパリの街である。9月でこの寒さは40年振りと気象庁が報じている。Tシャツ1枚の日常から厚手の長袖に替えて先日パリに出かけた。相変わらずの観光客で賑わうサンジェルマンやシャトレ界隈を巡り、オペラ界隈を歩く。
その昔、パリの観光客と言えばまずはシャンゼリゼ大通りであった。今も変わりはないが大通りだけに見た目は意外と静かだ。
今パリで観光客が一番多く集まるのはオペラ界隈であるそうだ。知り合いのガイドの話である。その中心になるのがギャラリー・ラファイエットで、今回もその食品館を覗いてみた。食欲の秋という季節に相応しい秋の味覚が揃っている。
中でも一番目に付くのが色鮮やかな秋の果物類だ。市場などでも果物を並べる棚が増え始めたが、さすがと言えるのがここ食品館果物野菜コーナーのディスプレイの巧みさである。国内品はもちろん、広く海外から取り寄せた珍味、珍品の品揃えは見事である。
デーツ(ナツメヤシ)などは、スーパーや市場でもよく見かける果物で見た目も地味で影の存在である。その上質デーツをイスラエルから取り寄せ、生・乾燥品を対象に揃え、主役の座を与えている。
贅沢なランチが楽しめるイートイン ・コーナーには麺類を中心とした中華スタンドもある。オープン・キッチンで次々と作られる各種麺類と、その前に腰掛ける中華本土、台湾、東南アジアから訪れた観光客がいる。カウンターの横には順番待ちの人が並んでいる。
有名ブランドが並ぶスイーツ・コーナーの賑わいは相変わらずだが、9月のパリは食に関する祭事が少ないせいか、普段の月に比べると幾らか客数も少なく感じる。いつもの様に出店コーナーや棚のパッケージをチェック。高級品メーカーの出店が多い食品館のコーナーでは、商品パッケージのデザインも大型スーパーなどに比べ上品、豪華に纏まった物が多い。相対的にはクラシックな印象を受ける。
そんな中で有名どころ、ピエル・エルメのマカロン、アランデュカス、ピエール・マルコリーニのショコラをお土産に買う観光客が多く集まっていた。
スイーツ・コーナーの奥にあるイートイン・コーナーの充実ぶりは特筆ものである。設えのケースに並ぶ各スイーツ(各種パンやサラダ類もあった)を選び、レジに運んで支払い、フロアに並ぶテーブル席でいただく。商品が少なくなると、スタッフが絶え間なく補充する。完全セルフ・サービスのシステムである。贅沢なサービスを優先する高級デパートの演出としては目新しい。食後の紙や、ゴミ処理も客自らが行っていた。
2025年09月19日
Vol.177 家賃1ユーロのレストラン
私の住むモントローはパリ郊外南東部に位置する。人口3万人足らずで、セーヌ川沿いにある。パリからはSNCF(国鉄)列車を利用しておよそ1時間の距離だ。この事は以前のレポートで書いた。
ワインで有名なブルゴーニュ県との県境にあり、その昔はブルゴーニュ文化に近いとされた。パリからは南下しながら、フォンテーヌブローの森を通過する延長線上に位置し、有名なフォンテーヌブロー城がある街までは列車で15分だ。広大な平地の中に作られた古い街である。
ノートルダム教会を中心とする旧市街と、移民対策に作られた新興住宅地に二分された特異な文化を共有するコミューンである。旧市街と新興住宅地とはセーヌ川を挟んで分離し、それぞれの文化を育む。モントローを市と書いたが、フランス流に表現すると書類上ではコミューンと表記してある。
日本の様に人口数による市町村の名称とは異なるので分かりづらいと思うが、住民は町では無く市との意識が強い。という事で私も市という表現を多く使用している。現在の市長ジェームス・シェロン氏は若手ながらなかなかのやり手との評判である。
フランスの上は大統領から下は小さな村の村長さんに足るまでその役割役職を終えると、業績を称え記念の建造物や通り名を残す慣例がある。例えばポンピドゥー大統領はポンピドゥーセンター、ジスカールデスタン大統領はオルセー美術館、シラク大統領はケ・ブランリー美術館、ミッテラン大統領はルーブル美術館のピラミッドといったように、有名建造物に名を残した。これらの遺産は世界に知られる。
ここモントローでも規模は小さいが地元政治家の名を冠した記念広場や、建造物がある。そのひとつ、元市長を記念したPlace Claude Eymard Duvernayは市庁舎の正面に作られた。この広場には彫刻などが飾ってあるが、広場の一辺に市が運営する郷土産物を展示販売する建物がある。広場にはテント付きのテーブルを設え、注文すると物産店販売の地ビールや地産のジュースなどが飲める。
その建物に並び、奥にあるのがフレンチ・レストランLa Table de Montereauで、今年夏にオープンした。モントローの中心は旧市街にも関わらずフレンチ・レストランが少ない。住民にヨーロッパ系が少ない訳でもないが、今まで2軒位しかなかった。昨年駅近くにフレンチ店がオープンした。少し遠いのでまだ行ったことはない。
郊外に行けばファストフードのマクドナルドやケンタッキー、ステーキが売りのグリルなど数多くの店があるが、ここでもフレンチ専門のレストランはあまり見かけない。
近所に新しいフレンチ・レストランの誕生は実に嬉しい出来事だ。理由のひとつは日本やパリから友人、知人が訪れてくれた時にご一緒できる店が欲しかった事である。またはたまにだが家族で出かける店が増えたという事につきる。モントローの旧市街にはアラブ、中東、インド、アフリカなどのレストランは数多くあるが、わざわざ来ていただいた方とご一緒するには今ひとつの感があった。
わが家の近くにイタリアン・レストランがあるが、まだ行ったことはない。客のほとんどはヨーロッパ系でそれなりに賑わう店である。落ち着いた佇まいで料理も美味しそうだ。時々見かけるオーナーシェフ夫妻も感じが良さそうで、イタリアン好きの方ならここで良いかなと思っているので、一度行ってみようと楽しみにしている。
モントローの旧市街にはピザ屋が何軒かあり、それぞれに賑わっている。モントローに移り住んで驚いたのはピザ店に行きピザを1枚注文すると同じ料金で2枚焼いてくれる。1枚はサービスという事であるらしい。これで良く成り立つなと思うが、いずれの店も同様のシステムをとっている。
そうそう、ピザと言えばイタリアの有名ピザ・コンクールで2位になった店で人気のピザ・ジョージョがある。ここは固定販売店では無く、ワゴン(キッチン付き)・カーによる販売だが、いつも同じ場所で営業しているので、言ってみれば固定販売店と同じである。客がせっせと通う店だ。わが家も時々利用しているが、まず電話で予約して、焼き上がり時に受け取りに行っている。味は申し分ない本格的なピザである。惜しむらくはピザの種類がさほど多くない事、もう少しバリエーションを増やして欲しいと思っている。
肝心の新しいフレンチ店、今回取り上げた理由はひと月1ユーロという破格の家賃にある。実はこの店の持ち主は市役所との事である。昨年まではデンマーク料理のレストランであった。当時も同じ家賃であったかは定かでないが、確か2年ほど営業していたと思う。
店を畳んだ時、やっぱりと思ったものだ。モントローとデンマーク料理の店がどう見てもうまく繋がらない、と思い続けていた。一度も行ったことはなかったが、店の前を通る度にそんな思いが、客の少なさも気になっていた。
今年の春、市の広報誌に「家賃ひと月1ユーロで店舗貸します(1ユーロは開店月から1年間だけ)、興味ある方は連絡を」の報を見てほんの少しだが関心が湧く。店は物産店と同じ建物である。間違いなく元デンマーク・レストランの在った所だ。
モントローに本格派の寿司店か日本レストラン、または居酒屋、焼き鳥店ができたら良いなと想い続けていた。要は自分が行きたい食事処があればという事である。ならば自分で店をとの想いが浮かぶが、それには資金もスタッフも必要だ。とは言え手元にはいずれもない。あれこれ思い重ねるうちにいつしか思いも薄れていく。
8月も終わりに近い某日、件のレストラン、ラ・ターブル・ド・モントローに家族で出かけランチを取る。今年も残り1週間で夏のバカンスが終わる。店にはひと夏のバカンスを終え、肌をブロンズ色に焼いた何組かのカップル客がいた。
モダンなインテリアと広場に面した広い窓、明るく洒落た空間におよそ18(二人掛け)のテーブルがある。店内入口正面には長いカウンターもある。以前ちらっと見た時はカウンターにも席があった。その右奥がキッチンだ。ヨーロッパとアジア系の混血と見える若いシェフが時々表に顔を出す。
12時半、店の女性スタッフに案内されて店内の席に着く。表のボードにアントレ、メイン、で18ユーロと書いてあったが、いただいたメニューをざっと見て、アラカルトの鶏の炭火焼き、ソース・シャンピニヨン。フィレ・ステーキ、ブルーチーズソース。ガルニチュールはふた品ともに皮付きポテトのソテー。チーズ載せ平麺パスタを注文。昼間という事でワインをやめて飲み物は水に。
運ばれてきた料理はそれぞれに納得の行く出来栄えである。ステーキは量も多く肉質も良い。特にソースが良い。初めての店だが次の期待が持てた。スタッフの話によると煮込み料理がお勧めとの事であった。3品プラスコーヒーで合計およそ60ユーロと値段も手頃だ。
レストラン前の広場にはパラソルを付けた10のテーブルと、テラス席がある。この日は気温も下がり吹き抜ける風も爽やかで、陽射しも柔かい。そのせいか日傘は畳んであった。フランス人の特性で、外での食事を好む人が多く、のんびりとランチを楽しむ年金生活者と思える何組かのカップルが目に付く。その他アラブ系の女性グループが一組いた。
店のお勧めはカクテルとボードに書かれてある。さらに珍しいジュース類も多く揃えているそうだ。アイスの種類も多く、人気との事である。そう言えば、隣のテーブル席にいた中年カップルが注文した飲み物は、西アフリカ・セネガルで有名な乾燥ハイビスカスの花で作るビサップだった。次回訪れたらこの飲み物を試したいと思っている。
2025年08月22日
Vol.176 サンドイッチ・ブーム
夏のバカンス真っ最中のフランスである。パリも盛り場以外の地域は観光客も少なく閑散としている。商店街の各種ブティックは恒例の夏のソルドに入っているが、聞くところによると売れ行きはいまいちであるらしい。
市民がバカンス地へ出かける夏場であれば当然と言えば当然である。諸物価値上がりで市民の購買意欲も減少し、ソルドの割引数値は日を重ねるごとに上昇しているが、それでも在庫処理に苦労しているとテレビのインタビューに答えるブティック・オーナー達、その苦渋の表情が気の毒である。
そんなパリだが観光客数は減らないそうだ。実際、観光地の代表のひとつともいえるオペラ座界隈のカフェなどは観光客があふれる感じ、席待ちの人が多い。ノートルダム大聖堂界隈も人ひと人、パリ観光名物のセーヌ河クルージングも大盛況であるらしい。世界中から訪れる観光客だが、異常ともいえる物価高、特にホテル代の高騰に懸念の声が高まっているそうだ。今シーズンは客とホテル側とのトラブルも多いと聞く。
パリを訪れる人たちの楽しみのひとつにグルメ探訪は欠かせぬ要素だが、バカンス期間の今は休業の店が多い。意外に思われるだろうが、ミシェラン星付き、二つ星のレストランなどは休んでいる店が多い。大勢の観光客が訪れるこの時期は、稼ぎ時と思えそうだが。
美食を楽しみにしていた人には実に気の毒だが、ある意味これはフランス国の宿命である。夏のバカンス期でも今はその頂点で、これはもう諦めるしかないのだろう。そんな状態でも、盛り場などでは営業しているレストラン、ビストロは結構ある。ガイドブック片手に、行列ができる店のほとんどの客はツーリストだ。想像以上の賑わい振りである。
テレビのニュース時間になると、毎日避暑地でのバカンスの様子やパリの様子を報じている。そんなバカンス期の中、先日パリに出かけてみた。
パリの表玄関ともいえるリヨン駅は想像通りであった。外国から着いた人、これから避暑地へと向かう人、家族連れ、グループと大混雑である。普段空いている待合コーナーも席の奪い合い、荷物の置きあいは競争の様相である。
パリにはこのリヨン駅の他にグラン駅と呼ばれる大きな駅が他に4カ所あるが、いずれも似たような大混雑という。ふたつある空港も同様との事である。
この混雑というか大勢の来訪客に対応して国鉄SNCFはスタッフ人数を増やした。リオン駅でも切符売り場や案内所を増やしている。初めて訪れる外国人にとってこの対応は有難い。大勢の旅行客を歓迎しているのが、キオスクや各種売店だそうだ。特に飲食関連の店やスタンドが売り上げ好調との事で、普段の月の20~30%の売り上げ上昇であるらしい。
確かにキオスクや軽食店には普段より客が多い。中には普段見ない行列のできた店もある。そんな中で特に目を引くのがサンドイッチを扱う店である。専門店もあるが、ブーランジェリーやパティスリー、クッキー専門のスタンドが通常の品揃えに加え、各種サンドイッチを増やして販売している。
しばらく様子を見てみる。客のほとんどは旅行者で、食品、中でもサンドイッチを買う人が多い。買ってその場で食べ始める人、手に持ってホームに向かう人、待合コーナーに席を探して座っていただくと食べる姿もいろいろ様々だ。立ち食い、歩き食いはヨーロッパ文化のひとつ、お行儀が悪いなどと批判されることはない。
リオン駅のホール1は出発、到着ホームと繋がる広大な広場だが、そのほぼセンター、電光掲示板の下にスターバックスがあり、ここでコーヒーを買う人が多い。ここでもサンドイッチが買えるが、何故か別のスタンドで買う人が多く見えた。
フランスのサンドイッチは基本、バケットを中開きにしてハムやチーズ、サラダ菜を挟む。バケットを半分に切って一個分にしている。ブーランジェリーによってはサンドイッチ用に、ドゥミ・バケットと呼ばれるパンを作る店もある。ドゥミとは半分の意味である。いずれフランスでは基本サンドイッチはバケットなのだ。
日本で主流の食パンを使ったサンドイッチはフランスでは少数派である。一般的に食パンという文化が育たなかった事がその由来であると言われる。食パン文化はイギリスが主流でサンドイッチもイギリスが起源と言われる。
フランスで食パンを使ったサンドイッチを見かける様になったのは、イギリスのスーパーマーケット「マックス&スペンサー」の進出が影響したとよく言われる。残念ながらこのスーパーはフランスから撤退した。イギリス風サンドイッチが好評であっただけに悔やまれる。
各国から多くのツーリストが集まるパリ大型駅のキオスクではイギリス風サンドイッチを売る所が多い。個人的には、白い食パンを使ったサンドイッチが少ない事が残念である。たまに見かけるが、何か物足りない感である。できればもう少し増やして欲しいと思っている。
食パンには全粒粉を多く使われるそうだ。分量配合で色も味も違ってくる。白より茶色が圧倒的に多いフランスの食パン・サンドイッチ、最初はこの事に戸惑った。パリ住まいを始めた当初は、日本の白い食パン文化に慣れた身に、茶色の食パンはパサパサと味気なく感じたものである。今ではこの茶色い色にも味にも慣れ、自分で驚いている。食の志向はいろいろとはよくいったもんだ。伝統の違いもあるが、慣れるには時間がかかった。
という事で、白い食パンが欲しくなると、わが家ではパリまで出かけ日本食パンを作るブーランジェリーで買っている。フランスでも白い食パンを作る大手パンメーカーはある。代表的なメーカーと言えばHarrysで在仏日本人に人気があると言われる。販売ルートは主に大手スーパーなどに置かれている。
フランスでもパン・ド・ミという食パンがあるが、何故か傍流の扱いである。確たる理由ではないが、菓子パンの風味が常用食としては受け入れられないのかも知れない。特別な、例えばクリスマス料理の添え物に使われる程度の存在である。
駅のキオスクで最近増えているのが、アラブパンや北欧風のパンをサンドイッチに使用する店だそうだ。北欧風サンドイッチと言えば歴史も古く、これらの国々の食生活に欠かせないと言われるほど、言わば常用食である。中でもスウェーデン風のサンドイッチが人気があると聞く。駅のキオスクなどで多く売れるという事は、バカンス期の今、北欧からのツーリストが多いという事と繋がりそうだ。
フランス人に言わせると、北欧ツアーには憧れても美食への興味は少ないという。言われてみると何となく頷ける。食はやはりイタリア、スペイン、ポルトガルなどヨーロッパの南の国々という。
一方のアラブパンを使ったものは、最近になり増えているそうだ。今やピザ屋を凌ぐ勢いで増え続けるケバブ店。その人気ぶりは容易に想像できる。一口にアラブパンと言われるものでも、その国、地域に寄って製法も味も違う。ピタからセム―ル・パンまでと種類も多いが、多く見かけるのはピタを使ったサンドイッチだった。
pain Semouleは粗びき粉を加えたアラブ独特のパンである。日本では余り作られてないが、アラブ系移民の多いフランスのブーランジェリーではよく見かける。
パリ、しかも駅のキオスクや販売スタンド調査だけでブームというのは何なので、私の住むパリ郊外都市のモントローでブーランジェリーとスーパーを駆け足で回って見た。バカンス中の今は、店も暇だという。サンドイッチも数を減らして作っているそうだ。
スーパーも同様で客数が少ない。パンコーナーでも生産を調整して数を減らしているそうだ。そんな中でのサンドイッチは結構売れていた。考えてみれば5ユーロ以内で食事を済ませるにはこの手しかない、そんなところだろうか。
主な客は各種工事従業者である。作業着姿の中年男性がサンドイッチに、ミネラルウォーター、桃1個を手にレジに向かった。
2025年06月23日
Vol.175 Fete du Pain パン祭り
ひょっとしたら4年振りになるのだろうか。本当に久しぶりのフェット・ド・パンへの出かけである。パリとイル・ド・フランス・ブーランジェリー協会主催のこのフェット、以前は毎年出かけていた。
場所はシテ島ノートルダム大聖堂前広場、大テントを設営しての開催である。コロナ期間中は開催中止であったので、すっかり忘れていたイベントだ。陽気も少し暖かくなり天気快晴の日で、いそいそと出かけたのは良かったが、5月恒例ともいうべき交通ストに遭遇した。何とも大変なパリ行きとなった。
幸い列車の便は問題なかったが、国鉄労組に同調してパリでのバスが、間引き、途中停止、遅れと混乱になった。さらに道路工事と重なり通常路線を勝手に変更する有様である。乗り換え、歩きを繰り返し、会場に付いたのは午後も2時過ぎとなった。
サン・ミッシェル橋たもとでバスを下車した。大勢の観光客に混じってノートルダム大聖堂へと歩く。修復なった大聖堂に行くのは今回が初めてだ。今までは遠くで眺めるに留めていた。それにしても訪れる人が多い。
あまりにも長い行列で予定していた大聖堂内部の見学は中止にする。聞くところによると、以前通りに完全修復との事、それならば何度も見ているので悔いはない。次の機会を待つことにした。
昨日、新しいローマ教皇が誕生したばかりである。パリ、ノートルダム大聖堂でミサが行われる事は信者以外でも予想できた。キリスト教徒は全世界でおよそ20億人居るそうだ。
ウィキペディアによると世界3大宗教はキリスト教でおよそ20億、以下イスラム16億、仏教4億人の信徒数であるらしい。因みに世界最古の宗教はユダヤ教との事である。
それにしても今日のノートルダム大聖堂参拝者は大変な数である。中にはキリスト教信者以外でパリへの観光客も多くいるだろう。現在パリとイル・ドフランスを訪れる観光客は年間およそ5千万人と言われている。これはもう飽和状態と言われてもおかしくない。
さて、肝心のフェット・ド・パン、こちらも大盛況である。パン愛好者や協会関係者に加え、観光客も多く訪れている。大聖堂広場の一角、大きなテント張りの中にブーランジェリー同様な各種設備が完備され、その周りでイベント協会の会員諸氏が忙しくパン作りをしていた。
テント正面、左側から中央に向けてショーケースが並び、中に世界の国を代表するパンを紹介している。恐らくこれらのパンがその国、地方の主食と思われる。それにしてもいろいろな種類のパンがあるものだ。中にはパリやフランス各地のブーランジェリーで普通に見かけ作られるパン類もある。
少し列記して見ると、フランスはバゲットとクロワッサン、セルビアはコーン・ブレッド、サウジアラビアはピタ、ベルギーはリエージワッフル、メキシコはコンチャ、パン・ド・メトロ、エストニアはカリンジェル、フィリピンはウベチーズパンドセル、スペインはパンカンディアル、ウルグアイはパンマルセル、イギリスはホットクロスブン、ポーランドはパブカ、アルジェリアはマトロー、イタリアはフォカチア、アメリカはべーグル、ロシアはプロディンスキーなどがある。
見た事はあっても知らない名前、初めて見るパンとその名前、見た事はあっても食した事のないパンなど、パンの世界も奥深い。まるで美術館の名作を見るような状態で後ろの人に押されながら見物した。
中で働く人たちもヨーロッパ、アラブ、アフリカ、アジア系といろいろ、パン作りに国境はないなと改めて感じる。若手が多いのはこのお祭りがある意味試練の場、ベテランのパン職人が作るパンを見学したり、指導を受けたりしている。時々焼き上がったパンの試食もあり、祭りの場がさらに盛り上がる。
今年のゲストは中華菓子の職人たちである。パリには何カ所かのアジアタウンがあり、そこにはアジアン・パティスリーもある。私も時々立ち寄って買う事があるが、いろいろな菓子類の中から毎回買うのは胡麻饅頭で、中でも気に入りの店はベルビルの豆腐屋である。
この店は豆腐も旨いが、ここの胡麻饅頭が実に旨く上品で、柔らかい皮と餡のバランスが絶妙である。他の店の物に比べ形も大きく、食べて満足感がある。豆腐屋で作る胡麻饅頭は何とも不思議な組み合わせだが、これぞ中華食文化の本領とでも言えるだろう。
この日展示されたのは主に中華菓子だった。いろいろな種類がある。いずれも西洋菓子とは違うジャンルで、桃の形をした紅糖技桃包、貝の形の貝売包など見た目でわかる名前の菓子、さらに各種饅頭、包子が並び見物客の目を集めていた。
祭り最大の場は即売場だった。会場では多くの職人たちが見物客の前でパンを作る。クロワッサン、パン・オ・ショコラ、ショソン・オ・ポム、パン・オ・レズン、ブリオッシュなどヴィエノワ―ズリーの代表に加え、バゲット、パン・カンパーニュと各種パンが作られ、次々と焼き釜に運ばれていく。焼き上がったパンはそのまま籠の中に入る。
販売コーナーの前には長い行列ができている。組合員のマダムと思える女性達が注文を聞き紙の袋に入れ、レジで支払い後に手渡し。仕事ぶりに無駄がない。これだけ多くの客対応が無駄なく行われるという事はやはり普段の経験からだろう。
クロワッサン3個、ショソン・オ・ポム3個を買ってテントの外に出る。歩きながら焼きたて温もりの残るクロワッサンを頬張る。久しぶりに美味しいクロワッサンをいただいた気分は最高だった。これだけでわざわざ出かけた分を十分に回収できた。できたら来年もまたと思っている。
この日の夕食は13区で中華レストランFLEURS DE MAIにする。40年近く通う店で、ここアジア・タウン数ある中華レストランの内で、味の好みが最も私に合う店である。毎回変わらず注文するのが「エビ入りワンタン麺」と「ピリ辛揚げ豆腐」である。今回は息子も同席したので、この二皿に加え計4品を注文した。量も多く値段もリーズナブルで、どの料理もはずれがない稀有の店である。調理職人もベテランの腕前揃い、という事で地元客が多い。久しぶりの本格中華料理に満足した。余った料理は持ち帰りにしてもらう。
13区に出かけたもうひとつの理由は、昼間見たパン祭りの中華菓子のせいもある。イヴリー通りの中華専門菓子店Nouveau Yv Nghyはこの業界の老舗で、名実ともに13区を代表する店である。中華菓子の種類も多く、味への信頼も厚いと聞く。ここに来て毎回買うのが胡麻饅頭である。中の餡も小豆餡の他に何種類かあり、時にはさつま芋餡などの変わり種にも出会える。何といっても好評なのが中華銘菓のひとつ月餅で良く売れるそうだ。
その近くにあるのが新興のPatisserie de Saisonで、人気急騰で多くのアジア系客を集めている。その他路面店ではないが、高層ビルの地階に並ぶ商店街の中にも大小のアジア菓子店が数多くある13区である。
夕食を終え表の通りに出て、ふと目を向けた先に新しい台湾菓子の店ができている。パリのタピオカ・ミルクティの火付け役と言われる幸福堂XING FU TANGの新しい店のようだ。折を見て一度覗いて見ようと思っている。
2025年05月16日
Vol.174 復活祭のできごと
今年も復活祭がやってきた。カトリック暦では4月20日日曜日がこの日に当たる。毎年この月になると復活祭関連のレポートをお送りしているが、主にショコラに関する報告が多い。復活祭が近づくと、意識がショコラに触れるのはもう長年の性だ。パティスリーやブーランジェリーに行く度にショーウィンドーにショコラを求めてしまう。
フランス人にとって復活祭はわれわれ日本人の想像を超える祭事である。キリスト教徒の多いこの国、国民にとってこの儀式を大切にする事、また守ることはある種の義務ともいえる。復活祭と言えば子供達には待ち遠しいパックのバカンス。雪山最後のスキー、暖かい南仏への家族旅行、または臨海学校と集団での楽しい想いで作りと、春一番の行事であり、今その最中である。
ここモントローでは移動遊園地が開催中である。これもまた毎年恒例の行事である。何処にこれだけの人が居たのだろうかと驚くほどの人出、賑わい振りだ。このお祭りのテーマはSAINT PARFAITとある。
サン・パラフェはキリスト教の殉教者。イスラム教とキリスト教の選択を迫られイエスを信じキリスト教を選んだことで殺害された。その偉業を称えてのタイトルであるらしい。正直いうと、毎年行われるパックのバカンスに行われるお祭りにこの様なタイトルが付く事を知らなかった。このFOIRE(お祭り)今年で184回目を迎えるという。フランス人にとって当たり前の事だろうが、まだまだ知らないことが多い私である。
今年のお祭りの呼びものはBRESILブラジルである。ブラジルと言えばカーニバルのサンバだろう。パックとカーニバルの繋がりも今ひとつ解らないが、とにかく初めての事で出かけてみる。
いろいろなテント販売が並ぶ会場でひときわ巨大なテントがブラジル会場である。その中に舞台が設けられていた。舞台の前にはテーブルが並ぶ。その横にブラジル料理や飲み物を販売するコーナーや厨房が。いよいよランチタイムの始まり、会場に美味しそうなにおいが漂う。
3時になると、食堂のテーブルが片付けられ、まるでディスコのような巨大空間ができた。そこに大音響のブラジル音楽が鳴り響く。しばらく音楽を楽しんだ後、二人の女性があの独特なカーニバル衣装を纏い舞台の袖から登場する。強烈なサンバのリズムに乗り踊りが始まった。
見物客からの手拍子や指笛の合いの手が会場に響く。フランス人は一見大人しく静かに見えるが、実は調子もので乗りがいい人が多い。見物客の中からひとりまた一人と踊り子の真似をしてサンバを踊り始めた。
踊りの後はブラジルの格闘技カポエイラ。逞しい若者男性が二人、サンバのリズムに合わせて技を披露する。踊りの体裁を取っているが実は強烈な格闘技、沖縄空手に通ずるものである。サンバの踊りやカポエイラの披露が続く中会場を後にした。
出演者の方達はブラジル出身のフランス人との事である。ブラジルのテントを出た後はぶらぶらと他のテントを覗き見しながら公園を巡る。最後に移動遊園地に辿り着いた。いろいろな遊戯施設がある。その代表ともいえる射的場や超近代的なスペース遊戯場の前に行列ができている。
先日、あるテレビ局がパリで開催中の移動遊園地ロケを報じていた。その規模の大きさ、ここで働き生活する人たちの様子は私が想像していた以上のものだった。大きな家族集団そのもの。一番感心したのは近代化された人々の暮らしぶりとその明るさである。改めて知らない世界がある事に驚かされた。
【フランシスコ教皇の逝去】
4月26日土曜日は朝からテレビの前に釘付け状態だった。フランシスコ・ローマ教皇の葬儀中継放送を見るためである。恐らく世界最大の葬儀、サンマルコ広場に集まった人たちは中継時で25万人と報じている。翌日のニュースでは凡そ40万人が参列したとある。実数は恐らく二つの数字の中位ではなかろうかと推察される。
日本のニュースでも既報の事と思うので詳しい事は省くが、間違いなく世界最大規模の葬儀であった事は間違いない。パリに移り住むまでキリスト教に付いてはそれ程の関心はなかった。今でもさほど関心があるわけではない。
とは言え、フランスで暮らす中でキリスト教のあらゆる行事を避けることは事は不可能だ。生きてゆくあらゆる事に宗教儀式が関わってくる。例えば昨日のでき事、現在サッカーのヨーロッパ・チャンピオン大会が開催中だ。サッカー行事では一番歴史あるこの大会、ワールド・カップ同様の注目を集める国民的スポーツ行事である。
その準決勝がイギリスで開催された。フランスのパリ・サンジェルマン対イギリスのアースナル戦である。ゲーム開催前にコートの中心で両チームが円陣を組み、凡そ1分の黙祷を捧げ、大観衆も全員起立でこれに応じた。フランシスコ教皇追悼の黙祷である。サッカー試合では時々見られる光景だが、そのほとんどはサッカー関係者を追悼しての儀式、今回の様な事は珍しい。
パリでの住所がノートルダム大聖堂の近くで、ほとんど毎日大聖堂を眺め、鐘の音を聞くという暮らしをしていた。偶には家族連れで大聖堂見物をしたりでその規模の大きさやミサに集まる信者の多さに感心したりした。改めて外国に住んでいると実感したものである。
驚きと言えば、先の教皇ヨハネ・パウロ2世のパリ訪問である。世界中の首脳が一度は訪れるというパリ、当然街頭パレードも行われる。私もできるだけ沿道に立ってパレードを見続けるよう心掛けていた。
そんな中、断トツに観衆を集めたのがヨハネ・パウロ2世であった。これ程にもと思える観衆を集めるその事実にまず驚かされた。フランスに国教はない。カソリックがフランスの国教と思い込んでいた私にはある意味意外の事であった。改めて潜在教徒の多さを気付かされたパウロ2世フランス訪問パリでのパレードであった。
フランシスコ教皇の逝去に伴い新しい教皇の選挙が5月7日から始まるという。このコンクラーベの結果はバチカンにある煙突の煙で発表される。白い煙が出たら新しい教皇の誕生でその後氏名が発表される。
前回のこの儀式もテレビで見た。アジア、アフリカからの教皇誕生は未だない。ひょっとしたらの期待もあるが果たして。3度目のコンクラーベ見物がたとえテレビ放映にしろ経験できたらある意味有り難いと思っている。
フランシスコ教皇が亡くなったのは、パックのミサを済ませた後入院。その翌日と報じている。アルゼンチンの出身、庶民的な教皇であった。
【今年のパック・ショコラ市場は低調】
その一番の原因はショコラに欠かせないカカオ豆の不作にあるらしい。ここ数年カカオが不作である事は業界一番の懸念事項であるという。実際今年の取引は昨年に比べ18%アップだそうだ。この高騰影響はショコラ零細業者を直撃している。
カカオ豆不足の原因は世界的な天候不順に加えカカオ農家の減少にあるという。その生産地はアフリカや中南米だが、生産の大半はショコラ大手メーカーが独占状態にあるらしい。新たな生産地開発が求められているが、カカオ生産に必要な条件地はそれほど多くない。赤道直下の国々が多い。インドネシアはアジアでのカカオ生産代表国だが今注目されている国は東南アジア諸国という。とは言え収穫までにはしばらくの時間がかかりそうだ。
という事でショコラを作らないブーランジェリーなどでは、パックのショコラを販売しない所が増えているようだ。既製のショコラを仕入れて販売しても利益が少ない、さらに残品が出ても返品が効かないという業界システムなど影響もあり、その結果仕入れ量を減らす店が多い。
毎年パックのショコラ行事をしている近所のスーパーマーケットが今年は特別展示を止めた。珍しい事である。毎年買っているわけではないが残念なことである。
一方で家庭用ショコラ制作を行うためのNGOの製菓教室が広がるなど、別の角度からのパック・ショコラが注目されている。学校の課外授業にショコラ作りを導入する所も増えているそうだ。
また、カカオに代わる商品開発に力を入れる企業も出始めていると聞く。すでに試作品もできて市場調査では本物のカカオを使った物に遜色ない味のでき上がりという。できたら一度食べてみたいと思っているところだ。それにしても、諸物価値上がりが市民の懐を直撃しているフランスの昨今である。






































































































