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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.130 バカンス徒然

 グラン・バカンスの最中である。先日、久し振りに友人からメールがあり「お出かけ予定が無かったら、お昼でもご一緒しませんか」のお誘いを受けた。コロナ発生来家族以外の方と食事を一緒する機会が絶えている。「承知しました。宜しくお願いします」の返事を送ると、「では、適当にレストランを探してみます」の連絡あり。

 二日後に再度連絡があり「当てにしていたレストランがバカンスで休業中。他も当たったがどれもバカンス休業。どうしよう」と今度は電話連絡があった。

 色々手間を取って頂いたお礼を言い、その後よもやま話を暫く続け「では、会食は9月に改めて」と言う事になった。

 

 8月のパリでレストラン探しの難しさは経験がある。何年か前になるが日本の知人が久しぶりにパリに行くので一緒に食事をという。ついては「どこかリヨン料理を食べられる店に行きたい、今回はリヨン迄足を延ばせないので」とのリクエスト。

 リヨン料理を出すレストランには何回か行った事があるので早速当たってみた。Chez Marcelは連絡取れず、エドガーキネのBistro Lyonnaisも夏休み休業、知ってる店殆どが夏休みである。ようやく予約が取れたのが2区にあるAux Lyonnais。この店はアラン・デュカス系列でリヨン地方の料理が有名。食通なる方々に知られる店である。ここなら不満無いだろうと予約を入れてホッとした。

 それにしても、特別にリヨン料理が食べたいとこだわる知人にはちょっと驚いた。リヨン料理が美食かどうかは別として、日本には美食家が多いと兼ねがね思う事だ。彼もその一人である。

 今では少なくなったが、パリの三つ星レストランに行くと客の大半が日本人と言う時代もあった。そんな人達の中にはワイン通なる方も多く、結構うるさい、と言ったのは某三つ星レストランでソムリエをしていたフランス人の知人である。

 

 1970年代後半頃から東京を始めとする大都市でフランス・レストランやイタリア・レストランが増え始め、ワイン・ブームなる言葉が各種雑誌に登場するようになる。新宿伊勢丹に十勝ワイン・バーが出来たのもこの頃であったと思う。

 私が東京にいた時代で、このワインバーにはワイン好きと言う友人と時々訪れた。そんな方達の集合場所が当時の十勝ワイン・バーである。肝心の私はワインの味がさっぱり解らず戸惑ったものである。今でもあるなら一度訪れてみたいと思っている。

 この当時ワインはまだまだほんの一部の方達の飲み物であったような。その後徐々にだがワインの消費量が増え、フランスやイタリア・ワイン輸入も増える様になる。若い女性の間でもワインに馴染む人達の数が増え、新たなブームが起きたと言われる。

 本格的なワイン・ブームが始まったのは、いわゆるバブル全盛の頃。高級ワインが人々の口に上がるようになる。「東京のフランス・レストランでは1本1万円のワインが普通に飲まれています」などの話を聞くようになる。

 グルメなる言葉がもてはやされ、美食を求めての団体ツアーがパリやリヨンに大量に押し寄せたのもこの頃である。今思えば不思議な時代だった。

 

 

 肝心のリヨン料理レストランは、もの珍しかったのか気に入って貰ったようだ。前菜にリヨン風サラダ、メインは「食べた事は無いけど、折角だから」と豚の腸などを詰めたアンドィエットを注文。私は同じサラダの前菜にメインはクネルを注文した。ワインはブルゴーニュのCorton赤、リストにある安い方を選んだ。

 さて、後日談。知人と電話で話したが、もう暫くはリヨン料理は食べなくて良いですとの事。食べるなら普通のステーキが食べたいと大笑いした。

 

 フランスで食の都と言えばリヨンが知られる。ポール・ボーキューズを始め数多くの料理人を輩出して美食の街を創り上げた。どのレストランに行ってもまずは外れが無いと食通なる方々が異口同音に仰る。

 古くは絹産業で栄えた街。金を持った商人も多く、更に世界中から絹商人が集まる事で食産業も恩恵を被ったという歴史がある。

 数多く入った訳ではないが、旧市街にある名もないレストランでも満足出来る料理が頂ける。という事で美食の街リヨンに異議を挟む気は毛頭ない。ただ、ひとつ言えることはリヨン料理の美味しさはフランス料理を食べなれた人達の口、胃袋に合い、不慣れな方にはいかがだろうかの懸念がある。

 リヨン料理の代表的な一品にクネルがある。カワカマスをすり身にして円筒型に型作り、ザリガニから取った出汁とクリームを合わせたソース・ナンチュアを使いオーブンで焼いた物。出来上がった一皿は、独特の香りで食欲をそそる。例えが良いかは解らないが日本のはんぺんの様な舌触りと食感がある。

 豚や牛の内臓を使った料理も多く、これを好むフランス人は多い。今は無くなったがレアールのレストランでトリップ料理が有名な店があった。ミッテラン大統領が良く行く事で、この手の料理を好む人達の間では聖地的存在のレストランだった。

 店を閉めた後日、使われた食器類が売りに出されたが、店のファンが大勢集まりたちまち売り切れた。様子を見に行っただけで終わったが、今思えば皿の1枚でも買っておけば良かったと今でも思っている。

 フランスでは各地で、その地独特のトリップ料理があるが、リヨン風トリップも良く好まれる。日本のもつ鍋同様人気の一品である。コロナが落ち着いてパリに来られる機会が出来たら、内臓料理を食べて知られざるフランスを体験して頂きたい。

 

 オリンピックの閉会式を見た。日本時間の午後7時30分開始とある。ここフランスでは午後の2時半になる。次のオリンピックはパリ市の開催、国営テレビのニュースに寄るとオリンピック旗引継ぎにイダルゴ、パリ市長も出席するとある。

 今回の東京オリンピック開催については、コロナ禍での下、日本でも賛否両論であるとこちらのメディアも大会前から伝えていた。結果については国民の皆さんの判断に任せられると思う。

 個人的には膨大な予算を使っての大会運営については、大会運営側の思惑が外れた事は疑いないと思っている。コロナと言う予想外の出来事で、海外からの観客が日本に入国出来なかった事、これによる経済損出は大きい。その他諸々の予想外出来事が重なった。

 メディア報道などを見ると、日本は金メダル獲得で3位となったようだ。その意味で開催を良しとする人も多いとある。フランスは金メダル7個を獲得、予想より少なかったとの関係者の話も伝え聞く。

 閉会式ではスクリーンを通して、パリ大会開催のイメージ映像が流された。フランスらしい映像作成、お洒落で良い出来栄えであった。今朝の事だが日本の知人から、パリ大会のイメージを見て是非見に行きたいのメールを頂いた。

 これから3年、パリ大会の準備期間がある。どの様に準備運営され、どの様にパリが変っていくのか興味を持って見て行きたいと思っている。

 

 

パティスリー、ショコラトリー、フレデリック・カッセル

 4年前位の事と思うが、サロン・デュ・ショコラの会場で、長年パリに住まれている日本人女性ジャーナリストと偶然お会いした。主にスイーツ関連の記事を書かれている方で、食に関するコーディネイトもされているそうだ。

 久し振りと言う事で、プレス・ルームでお茶をご一緒した。四方山話をする中で「小川さん、フォンテンブローのショコラ店、フレデリック・カッセルをご存知ですか」と聞かれた。その時のサロンには出展してなかったと思うが、名前は聞いた覚えがある。

「良いショコラを作っているので、機会があったら是非行って見て下さい」とのお薦めを頂いた。フォンテンブローには色々美味しい店があることは色んな機会に聞いている。とは言えパリからわざわざ出かける事は滅多にない。この話も時間と共に忘れかけていた。

 

 先月のレポートでフォンテンブローの朝市に出かけた様子をお知らせした。朝市を見終えた後、バスに乗って駅へと向かうが、バス停の手前でお洒落なショコラ、パティスリーの店が目に付く。店の名前を見て4年前のサロンでの会話をを思い出した。

 フレデリック・カッセルの店はフォンテンブローに数あるスイーツ関連の店でも、ひときわお洒落な店作りである。何はともあれこれはチャンスと飛び込みで店を見せてもらう。フレデリックさんは会議でパリにお出かけと言う事であったが、責任者の方が応じてくれた。

 道路に面して店の両側に出入り用のドアがある。左側のドアを開けて中に入ると店の中央に大きなショー・ケースがある。中で揃いのユニフォームを着たスタッフ男女が忙しそうに商品陳列をしていた。午前中に売れた分の補充と陳列の再確認だそうだ。

 左側入り口のショーケースは主にショコラを、右側入り口を利用すると各種パティスリー、バランス良く構成された店の作りである。正面奥にはパン類のコ―ナがある。お昼を過ぎた今は品数が少なかった。

 店の左側棚にはショコラ関連のパッケージが飾ってある。ルージュ、ブラウン、オレンジ色の円型や四角形パッケージ、高級感溢れる作りだ。全体的にはオレンジのパッケージが多いと感じた。このカラーは店のイメージ・カラーとなっている。

 それらのパッケージにはエンジェル(天使)のイラストが描かれている。フレデリック氏自らが描いた天使だそうだ。

 右側入り口奥の棚にチョコレートで作つたナポレオンの騎馬像が飾ってある。ナポレオンはフォンテンブローのいわば代名詞的存在。住民の中には今でもこの英雄の信奉者が多いと言われている。

 

 店内の写真を撮っていると、スタッフのひとりが「日本にもうちの店がありますよ」と教えてくれた。何の予備知識も持たず店に飛び込んでしまった事を後悔。詳しくは解らないが東京銀座三越に店があると言う。

 という事は、日本のスイーツ関連に従事されている方は殆どの方がフレデリック・カッセルの東京店も既にご存じの事だろう。

 フレデリック氏率いるフランス・チームが2013年クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーで優勝した事も、世界的なパティシエ集団「ルレ・デセール」の名誉会長である事も同じ様に皆さん既にご承知では。

 フレデリック氏はピエール・エルメ氏との繋がりでフォションでの仕事経験があるそうだ。似たような関係で今一番の人気パティシエと言われるセドリック・グレロがいる。パティシエにとってフォションはある意味世界トップ・クラスへの登竜門と言っても過言ではない。

 

 フォンテンブローについては、2020年10月のレポートで触れた記憶がある。日本風に言えばフォンテンブロー宮殿の城下町と言った感じが今も残る。凡そ700年と言う長きにわたり、王侯貴族が住んだ街、現在に至るも住まいや住民の意識にその名残を感じる。詳しくは解らないが、よく言われる都人、京都人堅気に似ているのかも知れない。

 パリ、リオン駅を基点に走るSNCFのR線で凡そ40分の距離。このラインについては今まで何回か書いているが、朝夕のラッシュ時には郊外住民、特にアフリカ、アラブ各国からの移民が多く利用する事で、移民列車などと言う人もいる。

 そんな中でフォンテンブローからの通勤者は白人系の人達が多い。住民比率で分けるなら、白人の数が多い街である。世界有数のビジネス・スクールINSEADのヨーロッパキャンパスもあり、いわゆる現在のエリート集団が多く住む特異な街でもある。

 フレデリック氏がこの街に自分の店を持ったのも、そんな背景があるような気がする。パリ郊外で一番お洒落な街と言われるフォンテンブロー、異議を挟む人は少ないだろう。

 


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