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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.128 パリの変貌

 「何時行っても変わらない街」多くの人に言い伝えられたパリを表す言葉である。パリと言う街が今の形で出来上がったのは、ナポレオン3世の頃と言われる。

 大改造を実施したのは時のセーヌ県知事オスマンによって行われた。この事は多くの専門家により証明され、語り継がれている。結果現在の美しいパリが出来上がった。

 街の形は変わらぬままに2021年の今も保ち続けている。時代に沿って色々変貌しているのは当然の事としても基本となる街の枠組みはさほど変わる事無く、人々の目を楽しませている。

 景観は変わらずとも街の暮らしは変化をもたらしている。特にこの数年の変化は著しいものが在る。2015年パリ協定採択により人々のCOP関心が高まり、ヨーロッパ全体に環境問題が注目される様になった。

 排気ガスを減らそうと言う運動もその一環と言える。パリ市でも今色んな改革が実施されている。パリの市内を走る主要道路で自動車排除が起きているのは皆さんもご存じの事であろう。各種車両の走行を少なくして自転車道や歩道を増やしていく事で排気ガスを減らす方向である。

 パリ右岸、セーヌ川沿いに走る自動車専用道路を歩行者専用とし、さらにバスチーユからコンコルド広場まで走る、首幹道リヴォリ通りも乗用車乗り入れ禁止にして自転車専用道を拡張した。

 その政策を牽引するのが現市長のイダルゴさん。スペイン人の両親を持つ移民出身の女性政治家。2014年に就任して2020年に再選された。その後も色々と改革が進んでいる。只、イダルゴさんが推し進める改革を市民が揃って賛同している訳でもない。

 車を使って商いをする人達を始め、経済界の一部や車両擁護論者も当然いる訳で、現在色々と摩擦衝突が起こっている。自転車専用道路が増えた事で、影響を受ける通りも出現、問題となっている。

 パンデミック期間中は車の量も激減して渋滞も少なかったが、5月20日からは規制も緩み、渋滞問題が再燃、市民生活の新たな課題になりつつある。

 それでもパリ市はさらに歩行者天国を拡張すると発表している。東、バスチーユ広場、西のコンコルド広場、北サンドニ、オペラ、マドレーヌ、南はサンジェルマン大通りとパリ市のほぼ中心地域がその広大な範囲となる。

 街の形は変わらないが、人の流れ生活形態は従来のそれから大幅な変化をもたらした。パリの新しい改造と言われる近未来像だ。2024年にはパリ・オリンピックも実施され、さらに都市の形態が変化していくだろう。その旗振り役、又オリンピックの顔の役割がイダルゴ市長である。

 そのイダルゴ市長は2016年に女性を過剰に上級職に任命したとして国から4万ユーロの罰金を科せられた。罰金は払ったようだが、フランスのあらゆる場所で女性の進出が必要と反論している。これからも益々女性の要職への登用が増えるであろう。

 同時にイダルゴさんのパリ改革もさらに推し進められる事だろう。主要道路から車を排除して自転車道と歩行者道を増やしていく街作り、この様な改革が東京で実現できるか想像してみた。恐らく東京では実現不可能ではと思う。イダルゴ改革が如何に大変なことかを改めて認識した。

 スイーツとは直接関連無い話だが、環境、人の暮らしの変化と共に食文化も変わってくることは歴史が証明している。と言う事でパリと言う街の現状を少し記した次第である。

 

新しい店、閉めた店
 5月20日からフランス全土でレストラン、カフェのテラス席での営業が再開された。と言う事で久しぶりに馴染みであったcafeに出かけ、コーヒー・タイムをと思いテラス席に向かう。何時もなら知り合いのギャルソンが注文を取りに来るが、この日のギャルソンは如何やら新人、パキスタンかスリランカ系の男性の様だ。

 「食事か飲物か」と聞くので「エスプレッソをお願い」と答えると、もう一人のギャルソンに聞いてひとり席を作る。こちらも同じくパキスタンかスリランカ系。

 注文のカフェが届きテーブルの上に。砂糖を入れスプーンで混ぜ、飲もうとすると「2ユーロ30」の無遠慮なギャルソンの声がかかる。如何やらコーヒーだけの注文がお気に召さなかったようだ。

 2ユーロ30をテーブルに置き、濃いめのエキスプレッソを飲んでいると、店の奥からムッシュが出てきてテラスの様子を見ながら、二人のギャルソンに何やら指示をしている。ここで初めて気がついたが、このムッシュが店の新しいパトロンの様だ。

 前のパトロンは良く知っている。娘がマネージャーのような役割で外を担当、時々ギャルソンも変わるが、皆さんそれぞれにサンパ(フレンドリー)であった。常連客も多く和気あいあいと心地よい時間を過ごしたものである。

 そんな思いのある店であったが、今の心境は見知らぬ土地で初めて入った店に共通する何んともない居心地の悪さだ。お上りさんに対する店の対応、今迄も何回か体験した。

 パリのカフェの良さは、寛げることのできる場を提供してくれる事にある。この店も通い慣れてくると他の馴染みの店同様になれるのか。そんな思いをしながら席を立った。

 

 ドーフィーヌ通りはポンヌフ左岸からオデオン方向へと走る長さ268メートル、道幅16メートルの狭い路である。歴史的にも古く、パリで最初にガス灯が点いた通りとして知られるらしい。

 通りの両側には各種ブティック、レストラン、ホテル、カフェなどが建ち並ぶ落ち着いた通りだ。今はコロナを避けてモントローと言う田舎暮らしをしているが、ドーフィーヌ通りには30年と長く住んだ。私にとっては馴染みの通りである。

 20日、規制が緩みカフェのテラス営業が始まり、まず出かけたのがこのドーフィーヌ通りである。凡そ1年以上に及ぶ商店街の休業状態。世話になった商店やカフェやレストランその後の様子を知りたいとの思いがあつた。

 ポン・ヌフからブラブラと歩き始める。1年前との違いは、まずレストランやカフェの前にテラス席が増えた事、カフェなどは以前からテラス席があったが当時より席数が大幅に増えている。

 カフェ・ドーフィーヌのテラス席で顔見知りのムッシュ連がビールを楽しんでいる。アルゼンチン・レストランのパトロンや近くの美容院の経営者などだ。「一緒に一杯どうだ」と誘って頂いたが、昼間からこの調子だと抜けられそうにないので、断って暫し立ち話に付き合う。

 私が住んだアパートはこの通りの18番地で、入り口門のすぐ隣りは小さなファッション・ブティックだった。中国系のマダムがメイド・イン・チャイナの商品を売っていた。今では中国製のモードを扱う店も多いが、その走りみたいな存在の店でありマダムだった。

 その店が洒落たフランス・モードのブティックになっている。その隣が先に立ち話をしたアルゼンチン・レストランVolver。店にはメッシーとディ・マリアのユニホームが飾ってある。ここはアルゼンチンのサッカー選手が食事に来る事でアルゼンチン・サッカー、ファンの溜まり場でもある。

 小さな店だがショコラの専門店であった「ショコラ・サンジェルマン」も店を畳んだ。その後に出来ていたのが100年の歴史を持つ、フォアグラの名店Valetteである。書籍問屋であった所にベトナム・レストランがオープン。クレープ店の後にはマダカスカル料理のレストランとすっかり様変わりした。

 そんな様子を見ながらさらに進むと、新しいファッション・ブティックが2軒登場している。残念なのは50年以上の歴史があった木製専門の玩具屋が店を閉じた事、素朴な作りの玩具は多くの人に愛された貴重な店だった。時代の流れがこんな所にも影響したかと思うとある種の感慨を覚える。

 この通りでちょっとユニークな存在であったチベット装飾品店も無くなっている。店の前を通る度に、今日は客が居るだろうかと思いながら覗いた店である。知り合いのファッション・ブティックも店仕舞している。

 その隣は中華系の鮨屋であったが、韓国レストランになっている。6月10日からオープンするそうだ。店内を覗くと未だ工事中であった。

 僅か268mのこの通りでもコロナ期間中にこれだけ変化が起きている。パリ全体ではどの様な、想像できない位の街の変わり様であろう。改めてコロナと言う災害の大きさを思ったドーフィーヌ通りのブラ歩きであった。

 歩きながらふと気づくと、商業車専用駐車スペースにテーブル席が並んでいる。一時的な対応か分らないが、ひょっとしたらこの通りも歩行者専用になるのでは。改めて通りを振り返り眺めてみた。

 

 

ブーランジェリー、パティスリーLIBERTE

 先日、久しぶりにパリ6区のサンタンドレ・デザール通りを歩いた。パリのレストランやカフェがテラス席での営業が可能となり、その様子見で出かけた次第である。

 サンジェルマンにある色んなカフェの様子を見ながら辿り着いたのがこの通り、私にとっては色々と想い出のある場所でもある。と言うのも私が住むアパートから歩いて5分足らずの距離にあり、よく歩く通りのひとつである。

 オデオン駅からアンシエンヌ・コメディ通りを北に向かいセーヌ川方向へと歩くと4つの路が交わる交差点に出る。そこを右へと折れるとそこがサンタンドレ・デザール通り、長さ320mの通りの先方にサンミッシェル広場がある。

 古い歴史のある通りで、路の両側に靴屋、アクセサリー、古着屋、美容院など各種ブティックが並ぶ。どちらかと言えば地味な通りだ。

 この通りの中ほどに新しいブーランジェリー、パティスリーがオープンしている。店の名前はLIBERTE(リベルテ)、テラス席が無ければ気がつかず通り過ぎただろう。元は確か古本屋であったような気がする。

 栗の実色の木枠の入り口を中に入ると、左側に大理石台の上にガラス張りのショーケースがある。スタッフの女性が出来上がったケーキ類を手際よく並べていた。壁面に設えた木枠の棚にはこんがりと焼き上げた各種パンが並ぶ。パンもケーキも美味しそうだ。

 壁と天井は改装前の状態をそのまま活かしている。工事途中と言う訳はないから意識してのインテリア演出なのだろう。

 ショーケースの反対側にフロワーを挟んでベンチ仕立てのイートインがある。横並びに腰をかけてカフェやケーキが頂けるようなスタイルだ。ドライフラワーの飾りが並ぶが、木目を生かした渋みのある壁面やベンチ、大理石の飛び出しテーブルとのバランスも良く新しい試み、コンパクトで上手く出来ている。

 ガラス張りの奥に厨房があり、そのなかで若い女性スタッフがクロワッサンの制作中、手際よく仕上げていく。清潔な作業現場は、商品製造工程が良く見えるよな演出に。客にある種の安堵感を与えてくれる。

 パン類はBIO製粉を使っているそうだ。その他の素材も充分に吟味されている。結果は出来上がったパンケーキやパティスリーにさらに付加価値を添えている。作る側としては商品の単価計算は欠かせない要素だが、ぎりぎりの線で勝負する事も大切だろう。良い材料で作られた物はやはり旨い。 

 

 マネージャーのステーヴンさんにお話を伺う。リベルテは2013年ミカエル・プニシーさんがパリ10区に立ち上げたブーランジェリー、パティスリーである。サンマルタン運河の近く、パリでは比較的目立たない地域と言える。

 記憶を手繰る内に、創業当時に一度店に行った事があると。確か日本の製パン関係者の方とご一緒したような。ステーヴンさんの話を聞きながらその時の事を思い出した。

 サンタンドレ・デザールのこの店は昨年10月にオープンしたそうだ。パリでは3軒目になると言う。昨年10月と言えば確か月末に2度目のロックダウンが始まった月、デモ騒動の後、パリの街がゴーストタウン状態になった時である。

 当時、この通りも廃業する店が多く、売り店や休業中の貼り紙を多く見かけた。そんな中でのオープンは不安も多かったと察する。経営者としては果断の思いであったろう。幸いロックダウン中もブーランジェリー、パティスリーは営業ができた。

 サンタンドレ・デザール通りはサンミッシェル広場に近づくほどレストラン、クレープ店など飲食店が多くなる。そんな中でブーランジェリーも1軒あるが、小さな店で角切りピザなども置き、どちらかと言えばテイクアウト専門の便利屋的な店だ。本格的なブーランジェリー、パティスリーと言えば、新しくオープンしたこのリベルテくらいで地理的条件は実に良い。

 

 この通りにはパリジェンヌに人気のリセ・フェヌロンがある。お昼時になるとこの学校前の通りが、賑やか華やかになるのは生徒たちの休憩の場になるからだ。フランスのリセの生徒は実におおらかと言うかいい加減と言うか、休憩時間になると学校前で煙草を吸う子が多い。

 リベルテとこのリセは目と鼻の先、おやつを買いに来て休み時間に食べる子供達も多いそうだ。ブーランジェリーとしての地の利の良さはこんな所にも言える。

 お昼が近づくにつれ客が増えて来た。様子を見ているとまとめ買いをする人が多い。中でもパン菓子の人気が良い様だ。

 

 ステーヴァンさんの話では日本にもリベルテがオープンしていると言う。私は知らなかったが、評判も良く客も増え続けていると聞いているそうだ。情報伝達の早い日本の事、皆さんも既にご存知の事と思う。パリの本店と同じコンセプトの商品構成と聞くので、個々の商品内容説明などは省略させて頂いた。

 写真を撮り終えてお礼を言い、クロワッサンとパン・オ・ショコラを買う。セーヌ川岸のベンチに腰掛けて頂いたが、両方とも満足いける味であった。

 


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