2025年12月12日
Vol.180 円安に喘ぐ
ここまで酷くなるとは思いもしなかった。円安の事である。ドルも下がり傾向で投資家を一喜一憂させているが、対ユーロの為替で円はさらに下がり続けている。11月18日現在、1ユーロ180円を記録した。
投資に関係ない私だが、この円安には実際お手上げ状態である。酷い事になったものだ。円安の原因はいろいろ言われるが、要は円が弱くなっているという事である。さらに言えば円を基金とする日本の経済が弱いという事に他ならない。間違っていたら申し訳ない。勉強不足、認識不足と言われても仕方ない。
経済大国と言われ続けた国で育った身にとって、日本経済は不滅とまでは言わないが、弱いとまではついぞ思わなかった。本音である。もちろん発展途上国に比べれば日本経済は絶対的に強い。これは間違いない。
先日、パリ2区にある両替屋に行った。もう何十年もお世話になっている両替屋でそこで働くスタッフとも顔見知りである。日本円5万円を両替しながらの対話だ。
「大変だね、日本円どうなってるの。」
「それは私が聞きたい事だよ。実際この円安は私にとって大変だよ。」
「大変なのはこちらも同様、この円安で日本人お客さんの数が大幅に減っている。」
ということらしい。
円が強かった時代は日本人客で賑わった控室も、今椅子に座る日本人は見かけない。以前5万円換えると少なくとも300ユーロは手にできた。ところがこの日手にしたのは270ユーロを切っている。やれやれと思いながら両替所を後にした。
バブルが弾けた1991年代は、パリにある日本企業が大量に撤退した。辛うじて残った所も大幅なリストラで日本に帰国した人も多かった。あれからおよそ30数年、ようやくパリの日本企業も形態を変えながらだが、回復傾向が見え始めていると言われていた。そこにこの円安である。
それでも大企業と言われる所はまだ良い。苦労しているのは小企業の駐在事務所だ。既に円安でユーロ圏からの取引を控えるところが出始めている。事務所の縮小や、スタッフのリストラが当たり前となりつつある様だ。
ボージョレ・ヌーヴォー2025
残り数日で年末である。何がというわけではないが、何となく慌ただしい気分である。11月21日、いつもの年より早くモントローに初雪が降った。わずかの時間であったがぼた雪である。空に舞うぼた雪が牡丹の花にも似てこんなに美しいとは思いもしなかった。
20日の夜は食卓にボージョレ・ヌーヴォーのボトルがのった。解禁日と知って慌ててスーパーに向かい手にしたボトルである。モントローにもワイン専門店があるが、郊外近くわが家からは車を利用する距離だ。
フランスでもボージョレ・ヌーヴォーのピークは過ぎたと言われている。実際お祭り騒ぎをしているのはボージョレ地方だけだという人もいる程だ。ここモントローでも同様で、スーパーの棚に並ぶ新酒の数が毎年減っている。
少なくとも私がモントローに移り住んだ数年前は、解禁日のレストランのお昼時はボトルであれグラスであれ新酒を祝う人を結構見かけた。近くのカフェでも同様な光景を良く見かけたものだ。今年も様子見に出かけてみたが、一向に盛り上がりを見せない。終わったな、というのが正直な感想である。
パリでの昨今の様子は解らないが減少傾向は明らかと言える。5年位前の事だが、10月になるとボージョレ・ヌーヴォーを日本に配送している日系運送御者からの日本への配送注文が止まってしまった。この頃からすでに新酒ブームは減少傾向が始まっていたと思う。今では解禁日のバカ騒ぎが懐かしい。
理由はいろいろあると思えるが、一番の動機はやはりコロナ禍であるように思う。これがお祭り気分を一掃した。さらに正直いうと新酒ワインの不味さが言える。ワインというより「これはジュース」と表現する酒飲みの正直な感想が的を得ている。新酒の旨さが一般消費者にも解らないのだと思う。
それでも新酒ワインの棚を設けたスーパーへ足を運んだ理由は「今年の新酒はどうだろう」の好奇心から。値段は昨年に比して安く設定しているように思える。物価上昇の今ありがたい事だが、安くなったからと言って売り上げが伸びているとは思えなった。
解禁日、夜の食事でいただいた一杯のヌーヴォーは残念ながら旨くなかった。追加の一杯はブルゴーニュ23年産の赤だ。香りと言いコクと言い新酒にない旨さがある。
昨夜のテレビ・ニュースで高級ワイン窃盗犯が逮捕されたと報じている。ボルドーの高級ワインを盗んで、中国へ販売していたようだ。その推定値段を聞いて驚いた。
モントローのゴミ処理
燃えないゴミは週1回の水曜日、燃えるゴミは週3回の月水金曜日。モントローの家庭用ゴミ回収と、処理の決まりはこの様になっている。それぞれの家庭に指定のゴミ箱が設置され、処理運搬日の前夜、家(アパート)の前、車両道脇の歩道に出して置く。
処理用運搬車が回収に来るのは早朝5時から6時の間で、回収されたゴミ箱は歩道にそのまま置かれる。道路にもよるが、わが家の前の歩道は幅およそ1mで、大人二人が並んで歩ける位の道幅である。
近所に小中学校があり、登下校時に児童が通学路として利用している。フランスでは現在でも小学校の通学時に親が同伴する家庭が多い。それぞれの家庭によるが父親か母親で、時には乳母車を押しながら母親が同伴する事もある。
この様な事情があり、通学時の歩道を歩き易くするため、各家庭では歩道に置かれたゴミ箱を早めに回収する。わが家でもゴミ箱を回収して中庭に置くようにしている。という事でゴミの回収日はいつもより早起きという事になる。夏場の早起きは気持ち良いものだが冬場寒い日の早起きは時に苦痛を伴う。
燃えないゴミの中に生ゴミなどを入れて出すと、回収業者は蓋を幅広のテープで封印、回収せずそのまま置き去りにする。この辺は徹底していて情け容赦なしの処置という事に、結果次の回収日待ちとなる。
これらの方法とは別に常設のゴミ箱を設置した場所があり、そこは時間に関係なく何時でもゴミの処理ができる。わが家でもよく利用するが、少量のゴミしか出さない家庭やたえずゴミを出す飲食店などが多く利用している。最近同じ場所にプラスチック・ボトルなど再生ゴミを対象にした専用ゴミ箱も設置された。
パリでは再生ゴミ用の特別回収車が市内を走っていると聞く。私はまだ見た事がないが、どんな作りの車か興味がある。再生ゴミへの対応はますます必要とされ、さらに細分化されていると聞く。
パリのアパートは常駐のコンシェルジュが居てゴミ箱の整理や、清掃をしてくれる。ゴミ回収日の早朝、コンシェルジュがゴミ箱を歩道に出し、回収車のスタッフがそれを回収、空になったゴミ箱はそのまま歩道に残し、その後コンシェルジュがアパート内のゴミ箱置き場に運ぶ。モントローのアパートでも似たような形でゴミ回収と、処理をしている。
パリのアパートはコンシェルジュが居るが、パリ郊外の町には小さなアパートもあり、コンシェルジュが常駐していない所もあると聞く。そんな所ではアパート、または事務所の清掃やゴミ処理をしてくれる人を雇い、曜日を決めて対処しているようだ。ここモントローでも同様なところがある。
パリなどでコンシェルジュを生業とする人は伝統的にポルトガル系、スペイン系の人が多い。最近では東欧系の移民でコンシェルジュが増えているそうだ。
移民の職業と言えば、レストランやカフェの下働き(キュイジニエ)に多いのがスリランカ系、ホテルの従業員はアフリカ系で、いずれも女性が多い。ファッションの街と呼ばれるサンドニ界隈では、生地や服の運搬や清掃業務にはパキスタン、アフガニスタン系移民が多い。タクシー・ドライバーはラオス、カンボジア系移民が多いと聞く。
余談になるが、移民問題はフランスでも益々深刻化してきた。が、現実には移民労働者抜きには社会が成り立たないフランスでもある。当然ゴミ回収業務で働く人のほとんども移民系住民と言われている。
フランスでは軍の従事者を毎年求めており、今年も大々的なキャンペーンを行った。結果新兵として軍人となった若者男女の訓練が今始まっている。この中には移民系若者が増えたとテレビで報じている。
余り知られていないが、外国からフランスへの移民、住民となるには結構複雑な手続きが必要である。その手続きが面倒で、人によっては何年もかかる。この事は留学希望者も同様で、基本滞在は当初1年、その後毎年の更新が義務付けされている。
このような問題はフランスに限らず、ヨーロッパ各国でも同様である。簡単に外国へ移り住むことの難しさは経験した人でないと解らないと、多くの移民や移住者が語っている。
今日のニュースで、アメリカ合衆国は途上国からの移民に対して、永久居住を停止したと報じている。トランプ政権となってから移民対応が厳しくなる一方だが、先が見えない国となりつつある。
話を戻して、先日、要らなくなった大型ゴミを運んで処理所へ出かけてみた。わが家から車でおよそ15分の距離で、セーヌ川沿いに建てられた工場内部で仕分けして処理をしているそうだ。自分で処理ができない大型ゴミは前もって業者に連絡が必要となる。これはパリでも同様である。
パリ通信
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