2025年11月21日
Vol.179 秋故に
夏のパリも良いが、この街を好きな人のほとんどは秋のパリが良いという。街に憂いが加わるそうだ。なる程、納得である。落ち葉の舞うパリの街は例えようがないほど美しい。これも同意である。体感としては今年の秋の訪れは早かった。
パリの街は実に不思議で通りの並木にも季節のまだらがある。9月に黄葉する木もあれば、まだ青葉を残すプラタナスの大木もある。それでも秋の気配を感じるのはこの街が持ち続けた独特な空気ゆえだろう。
憂いと言えばフランスの政治。新しく首相に任命されたセバスチャン・ルコルニュ氏が組閣してわずか14日で辞任、話題となっていた。最短命首相との汚名もついたが、その後奇跡的に復活して再び首相になり、政治的憂いを払拭し国の安定をと呼びかけ国民を驚かせている。現在新たに組閣中だが、果たしてどんな顔ぶれが登場するのだろうか。いずれにしても政治混乱はしばらく続くだろう。いかにもフランスらしい出来事である。元大統領サルコジ氏が金にまつわる不祥事で刑務所に収監されるという事件も政界を揺るがせ、国民の非難を受けている。
一極集中は日本だけの話ではない。一極ではないが、大都市集中現象はここフランスでも問題化している。その昔からフランスは地方文化を大切にする国としていた歴史がある。
パリだけがフランスではないの意識が根強く、頑ななまでに地元意識を大切に育む。その文化は今でも続いている。食では王国を任じ何処にも負けないというリヨン、地中海文化継承の意識を未だに持ち続けるマルセイユなどである。
何時からそうなったのか気が付けばパリが極端に露になっている。今では文化も政治経済もパリに集中し、インフラもまずはパリからという意識が益々増えている。この現象を懸念する人が意外と多いと言われている。特に地方中都市在住者にこの傾向が強いそうだ。地方からの若者の流出、僻地の人口減、高齢者のみが残るという社会構造ができたのはパリ一極集中のせいだと。こういった傾向は他のヨーロッパ国でも問題化している。当然フランスも然りであり、益々深刻な度合いを加えている。
先日、国営テレビが特集を組んでいたのは、フランスのドローム地方のある村の出来事である。財政削減でごみ収集作業員が雇えなくなり、村議会で村の外れに大型のゴミ箱を設置する処理法を制定した。その結果、家で出るゴミはそれぞれの家庭でゴミ箱まで運び捨てるという事になった。
車で運べる家庭は何とかできても、老人家庭にとってはゴミの運送も大変な負担である。大型のゴミ箱と言ってもゴミの排出には追い付かない。入りきれなくなったゴミ袋はゴミ箱の横に捨てられる。野鼠がビニール袋を食い破り、ゴミ箱中には大量のウジ虫が発生し表に出る始末で、おまけに悪臭が周りに漂う。こんな現象をカメラが映し出している。
過疎の村と言っても住民には国民として生きる権利がある。それがなされていないのが現実であるならば、ある意味政治が平等に行き渡っていないともいえる。映像を見ていてある種の虚しさを感じた。カメラは、ひび割れて舗装セメントが欠け落ち無くなったでこぼこの県道を映し出す。「もう何年もこのまま」と呟く老年住民の声を入れている。
過疎で税収も少なく、気候変動で思わぬ水害が頻発し、加えて日照りが農作物を壊す。そんな悪循環で地方自治体が崩壊して行く。今フランスはこんな状態である。
ゴミ問題ではないが、時代の波に飲まれて村が変わっていく様子も伝えている。人口わずか200人足らずの村だが、この村に1軒だけあったレストランが閉店した。ピザ屋、ケバブ屋など新しいスタイルの飲食店が村に登場し、フランスの伝統的な料理を提供していたレストランが立ち行かなくなったという。
レストランのランチは15~17ユーロ、ケバブやピザなら11ユーロで済むとの事だ。さらにハンバーガー店までできるという噂で、レストランの経営者が閉店の決意をしたという。時代の流れで仕方のない事とは言え、伝統的な職業ひいては文化が次々と消えていく現状が実に残念である。
南仏マルセイユ近郊にも大型不法ゴミ捨て場が出現して今問題化している。ここでは港に浮かぶ大量のプラスチック・ボトルの処理が限界に達しているようだ。フランスを始めヨーロッパ各国でゴミ処理問題は行政を悩ます大きな課題となっている。
そんな中、北欧諸国では休日を利用して海岸や運河のゴミ収集をする市民グループが増えているそうだ。福祉国家として世界が注目する国家の住民意識が新たに注目されている。無限に増え続けると言われるゴミとその処理問題は、世界共通の課題となっている。
幸い私の住むモントローはゴミ処理に関しては現状問題なく進んでいる。早朝6時、ゴミ収集車の音を聞くたびに安堵する日常である。
【モロッコ祭り】
ヌー公園の並木が色づき始めた先日、モロッコ祭りが開催された。モロッコの日常を体験してもらいたい。祭りのテーマにそうある。期間1週間とモントローでは珍しく長いイベントの開催である。
祭り二日目の土曜日、会場に出かけてみた。広い公園の一角にモロッコ風のテントがコの字型に並んでいる。その数およそ40、中央には舞台ができていた。舞台前は広い芝生の広場である。ポニーに乗った子供が楽しそうで、手綱を少女が引いている。どうやら祭りイベントのひとつで、初日には同じ場所で勇壮なモロッコの伝統騎乗儀式のイベントがあったそうだ。
ぶらぶらとテント巡りを始める。各テントではモロッコの産物展示販売や生活再現の紹介が行われていた。唐草や幾何学模様の陶器、銅製の各種食器やインテリア家具、装飾品などがあった。別のテントではモザイク模様の寄木木工家具や小物、民族衣装やアクセサリー、BIO蜂蜜、香草などを販売していた。スタッフは男女ともに民族衣装を着て客に対応している。
1956年独立するまでフランスの植民地であったモロッコは、現在もフランス語を話す人が多い。祭りの場でもフランス語が行き交っていた。
中央舞台でモロッコ音楽の歌と演奏が始まった。普段聞きなれた西洋音楽とは異なる各種民族楽器を使った独特のリズムとメロディーである。歌い手は何故か男性だけだった。しばらく聞いて再びテント巡りをする。大きなテントはモロッコ料理タジンが中心のレストラン、家族連れの客で賑わっている。お茶でもと思って覗くが、食事を楽しむ客が多いので残念ながらパスした。後で少し後悔の念に駆られる。カルチェラタンのレストランでよく飲んだモロッコ特有の甘くて濃い薄荷茶の味を思い出す。
いろいろな出店の中で、アルガンオイルのスタンドがあった。アルガンオイルはモロッコ特産の伝統的な有機オイルである。その希少性から世界中の美容界が注目しているそうだ。砂漠地帯に生えるアルガンの木になる果実から取れる油で、古くからこの地に住むベルベル人が食用や肌の乾燥などを補う薬用として使用していたという。
この油にヨーロッパの美容界が注目し、今注文が殺到しているそうだ。モロッコでは現在砂漠にアルガンの木を植樹して、アルガンオイルの生産増加を目指している。さらに女性の職場確保、社会進出の場としてアルガンオイル生産を奨励しているという。
出展者カディジャさんの話を聞いてみた。コスメとは他に食用オイルとしても人気があるという。そんな事で食用のオイルを一瓶購入してみる。家に持ち帰り早速サラダ用ドレッシングとして使用してみた。まず蓋を外し香りを味わう。独特の香りが鼻腔をくすぐる。ごま油に似た風味であるが、独特な香りが何とも良い。思ったより癖は強くなく、野菜のうま味を引き立てる。ベルベル人は古くからタジン料理にアルガンオイルを用いたそうだ。
パリ2区サンマルク通りに古いタジン専門のレストランがある。狭く小さな店だが、お昼時になるとアラブ系の客の中にヨーロッパ系の人も混じる実に不思議な雰囲気の店だ。古い話だが、一度だけ昼時にこの店を訪れた。ここはタジン料理を初めて食した思い出の店でもある。いただいたのは鶏肉と野菜の入った土鍋料理で、独特の味と風味の記憶が今も残る。マダムひとりで切り盛りしていた庶民にとって貴重な店だ。
機会があったらもう一度あの味をと思うが、いまだ実現しないでいる。ひょっとしたらあの時の風味はアルガンオイルのものであったのかもしれない。ただ、オイルの値段を思うといただいた料理の値段とは相当のずれがある。
アルガンオイルはオリーブオイルなどに比べ値段はかなり高価だ。同じ容量で比較すると格段の違いがある。アルガンオイルの希少性を思うとこの高さも妥当な値段なのだろう。カディジャさんの話では美容用としての輸出量が多いという。
世界にはまだまだ知らない沢山の珍味食材がある。遅ればせながら、それらに出会える機会を楽しみにその場を歩きたい。今朝の朝市、行きつけのチーズワゴン売り場で長い行列ができている。行列に並ぶムッシュの話では、モントローの名物チーズ、ブリ・ド・モントローこの秋初物の初売りに並んでいるという。
ブリ・ド・モントローは普段に買うチーズだが、初物、初売りがあるとは知らなかった。それを買う為に、寒空の下、長い行列に並ぶ人たちがいる。まだまだ知らないことが沢山ある。改めてここはフランスだと思った今朝の朝市だった。
モロッコ祭りに比べると規模は小さいが、この週末サル・リュスティックでポルトガル祭りが開催された。モントローに住むポルトガル系のいわば懇親会である。日曜日の午後に、祭りの様子を覗いてみた。実は昨年同じ祭りが開催され見物した。祭りのメインはモントロー始め近郊に住むポルトガル系方々の民族ダンスである。
ポルトガル民族衣装を纏った老若男女とその子供達が伝統的な踊りを披露して、今年も同じ催しがメインとなった。ポルトガル地方によって振り付けも若干変わるようだが、基本は男女カップルが輪になって踊る。古い絵画を見ているような異国情緒たっぷりな舞台に、改めてポルトガルという国に住む人々に興味が沸く。
帰りに夕食後のデザート用にポルトガル・ケーキを買う。ケーキの名前はボラ・デ・ベルリンと呼ばれ、生クリームたっぷりの素朴な風味がなかなかの味だった。
パリ通信
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