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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.118 コロナとバカンスの谷間で揺れるパリ

 先日のレポートでフランスのコストコを紹介した。皆さんに興味を持って読んで頂けるか、少し心配しながら書いたレポートである。

 レポートを書き終えパソコンの送信ボタンを押すと、何時も何がしかの安堵感と不安を覚える。これで良かったのか、毎度の事だが送った後暫くは落ち着かない。

 今回送った翌日、日本のテレビ番組を見ていたら、本当に偶然だが日本のコストコを取材している。確かテレビ東京だったと思うが、よじごじDaysと言う番組で、お笑い芸人ノッチ夫妻が買い物をしながらのレーポート中。思わず見てしました。

 バラエティー番組仕立てで、面白可笑しくオーバーに中継している。個人的には普通に店や商品を紹介して貰った方が良いと思うが、日本ではお笑いが暈なら無いと番組がなり立たないのだろう。

 日本のコストコとフランスのとの違いが解り、面白かった。当然だが売られる商品の違いが興味深い。フランスには無くて日本である物、例えばお寿司、プルコギなど。丁寧に仕上げてあり、美味しそう、見ていて羨ましくなる。

 フランスではバドワイザー・ビールを取り上げたが、日本ではベルギー・ビールを選択している。パン・コーナーでは柔らかふわふわの丸いパンが人気の様だ。私が選んだのはクロワッサンだった。こちらは冷凍が出来るビオ商品である。

 コストコのブーランジェリーはビオの粉を使用し、それを売りのひとつにしている。日本では如何なのか、テレビではこの事には触れてなかったようだ。

 

 同じ倉庫型スーパーだが、商品陳列は日本の方がスマートに見えた。入会費については日本が4、400円、フランスは凡そ36ユーロなので、ほぼ似たような金額である。

 フランスでは現在パリ近郊の一か所だけと聞くが、コストコ建物の横で何やら手広く建築中。コストコ拡張か、何か新たな流通企業が出来るのか、今から楽しみにしている。

 それにしても日本ではコストコが26カ所もあるそうだから凄いと思う。やはり日本は消費大国と改めて感心した。新型コロナ後の経済復興も消費面だけを見ると、フランスより日本の方が回復は早いと思える。その根拠のひとつが新しもの好きと、消費意欲の強い国民性が挙げられる。

 現在、フランスはSoldeの最中である。どの店も30%、50%の張り紙を出して必死に営業をしているが、思う様に売れないそうだ。業を煮やして70%の張り紙を出す所も増えている。 

 例年だと6月に始まるソルドだが、コロナ問題でソルドを遅らせたら、バカンスに入ってしまった。と、その矛先を政府の対応のまずさと指摘する商店主が多い。

 「このバカンスを機にパリでも各所で、店を閉める所が増えるだろう」と、テレビの識者討論会で、ある経済学者が発言しているが、それに反論する参加者は居ない。皆さん頷くだけだ。 

 実際、バカンス最中の今でも店を閉めた所が各所で見られる。残念なのは古い店が次々と閉店している事だ。しかも多岐に渉る業種でこの現象が進んでいる。

 先日、パリのオデオン界隈を歩いた。バカンス中の今だからシャッターを下ろした店が多いのは当然の事だが、単に休み中と言う事では無く、店仕舞いをした所の多さである。中には何回か訪れた所もあり、何となく寂しくなった。気の毒さと虚しさが交差する街、通りになっている。

 そんな中に、ショコラの名店Pralusもある。お洒落でカラフルなパッケージのタブレットで業界に注目されたフランソワ・プラリュの店は10年前にパりに進出した。一躍話題となる。本店はロワール県のロアンヌにある有名店。そこの代表的な商品となったプラリュリーヌと名付けたブリオッシュが大当たりして多くのファンを集めるようになる。今では店の看板商品となっている。

 今から2年位前だと思うが、オデオンにパリでの3号店となる店を作った。元々はファッション・ブティックであった所で、立地条件も良く客の入りも良かった。

 閉店した原因はコロナ発生後の長期に及ぶ休業、更に観光客の激減と言われている。今回数多くの閉店を見かけたが、その理由の大半はコロナの影響と言われそうだ。

 何となく気になったので、先日ポンピドゥー・センター近くにあるパリ1号店に行って見た。平日の午前中であったが、店にはショコラを求める客がいる。その中には日本人女性客もいた。10年前初めて訪れた時、日本人女性のスタッフの方に対応して頂いたが、今も2名の日本人スタッフいるそうだ。

 「オデオン店が無くなったのは残念ですが、今の状態では仕方がないですね」接客の合間に応えてくれた日本人スタッフの方の答え。マレと言う観光客の多いこの界隈、出来るだけ早く多くの観光客が戻る日を待ちわびる毎日であるようだ。

 オデオンではマカロン専門店として支持されていたマカロン・グルマンもこの夏、店を畳んだ。日本好きのヤニックご夫妻はお元気だろうか、気になっている。洋菓子界にもコロナ影響が幅広く及んでいるパリ、これからが思いやられる。

 

 8月の今、フランスは夏のバカンスの真っ最中である。新型コロナ(フランスでは公式にCovid-19と表現)の影響で今年夏のバカンスは大きく変化すると予想されていた。実際何時もの年に比べ海外でバカンスを楽しむ人達が減っている。

 海外渡航を禁止した政府もその後解除したが、渡航先で入国禁止などの処置もあり、早々に諦めた人が多い。その後スペインやポルトガルなどがバカンス客受け入れの方針を打ち出すが、その後もコロナ感染者は増えているので喜んで出かける状態ではない。

 その結果、国内バカンス組が増えたフランスとなった。8月になってフランス南部へと向かう人達の車で、主要オートルートは渋滞状態が続いている。

 実は私の息子も夏のバカンスは日本行を予定、早々に航空チケットを手配していた。結果はキャンセルしてフランスで夏を過ごす事にしたらしい。

 7月終わり近いある日。友人から電話があり、フランス南西部のベルジュラックに一軒家を借りるので一緒しないかの誘い。スペインからも友人が来るらしい。当地ではレンタカーを借りて地方巡りをするそうだ。息子の話である。

 凡そ10日間の短いバカンスだったが、真っ黒に日焼けして戻って来た。お土産はアルマニャックとスパークリング・ワインである。バカンス中は自炊もしたので朝市にも出かけたそうで、そこで見たのが写真のタルト、この地方の郷土菓子だそうだ。

 クルスタッド・オゥ・ポム、日本風に言えばリンゴ・タルトだが、極々薄いフィロと言う生地を重ねて、アーモンド・クリームを敷き、その上にカットしたリンゴを重ねて焼いたタルト。頂くときアルマニャックを振りかけると独特の風味がでる。

 市場には地元のマダムが出していたと言う。古い話だが、新潟に行った折、地元のおばさんが作ったと言う笹団子を頂いた事がある。小豆餡の程よい甘さ、笹とよもぎの香りが市販のものと一味違いの美味しさを出し、感心した事がある。

 息子達が頂いたと言う手作りタルトも、きっとそんな味であったのだろう。土産にとも思ったが持ち帰りの間に、羽毛のようなフィロが潰れてしまいそうで諦めたと言う。自分達のデザート用には購入、味は結構なものだったそうだ。

 アルマニヤックは好きな酒である。フランス料理にも良く使われるので、日本の洋酒好きな人の中には同じブランディ-でもコニャックの方が上、旨いと言う方がいる。これは好みの問題、アルマニャックにはコニャックに無い野性味があり、この風味を好むフランス人は多い。もう少し涼しくなったら、蓋を開けるのが楽しみだ。

 

今を生き抜く、小さなふたつのパティスリー

 ここ数回、大手スパーなどのパンやお菓子関連で大量生産の商品をレポートしてお送りしている。と言う事で、今回は小規模でも上手くこの荒波を乗り切っている店を訪ねたので、ここに紹介したいと思います。

 パリ4区、アールゼメチエは元々各種職人工房の多い事で知られた街。その一角に小さいながらも独立した中華街がある。中でもMaire通りは中華系レストランが路の両側に建ち並び、その中に中華系のスーパーが2軒ある。何時行っても通りはアジア人で埋まると言った、ちょっと特殊な界隈である。

 そんな通りの中に今から3年前、小奇麗で小さなパティスリーが出現した。店の名前をatelier de patisserie(甜品工房)と言う。店のオーナーはヴィヴィアンヌさんとご主人のケレさんの若いカップル。

 中華菓子とそれを洋風に旨くアレンジした各種ケーキがお洒落で評判になった。商品にセンスがあると、忽ち人気のパティスリーとなる。この通りにある中華レストランは値段も安いが味も良いと言う事で賑わうが、今ではフランス人若者間でも人気がある。

 甜品工房も開店当初はアジア系の客が多かったようだが、今はフランス人客が増えているそうだ。実際私が訪れた時もアジア系客に混じって、二組のアジア人、フランス人カップルが商品選びをしていた。

 店内左側にショーケースがあり、中にケーキ、パン類が並ぶ。基本は中華菓子。中でも特有のロール・ケーキがこの店の主役と思える。各種ロールの中には抹茶やピスタチオ味のものもある。面白いのは四角いプラスチック容器入りの各種ケーキだ。

 食パン、餡パン、クリームパン、更に蒸しパン各種、マーラーカオと何れも普段目にする中華系菓子よりデザインもお洒落、上品に仕上げてある。ヴィビアンヌさんの話では一番拘っているのがこの事だそうだ。「味は勿論だが見た目の美しさ、商品に品を持たせる」ことであるらしい。

 伝統的な中華菓子の餅類やゴマ、小豆、芋餡などの揚げ菓子、月餅などはない。13区にあるチャイナ・タウンの中華系パティスリーは何方かと言えば伝統菓子が多く、私は好きな胡麻団子を良く買う。これが無かったのはちょっと残念だった。

 甜品工房が上手く軌道に乗ったもうひとつの理由は、3年前オープンの時、店の看板のひとつにバブルティーを売り出した事。タピオカ・ミルクティーとも呼ばれ、パリでも大流行りで関連の店が雨後の筍の様に林立した。

 このバブルティーの他にフルーツ・ティー、チーズ風味ティーなど21種類を取りそろえて発売、店内にイートインも併設した。若者層を上手く取り入れたアイデアである。今でもこのバブルティー目的で来る若いお客が多いそうだ。

 直ぐ近くにある中華スーパーにもお菓子を並べた棚があり、各種中華菓子が並ぶがやはり大量生産された物、作りが少し大雑把にみえる。値段も安くボリュームもあるが、ここ甜品工房で買う人の方が多い。既にブランド商品として客が認めていると言う事だろう。

 パリには中国人を始めアジア系の人々が多数住んでいる。レストランの数も多く、フランス人で食べに行く人も多い。そういう背景であるが、不思議な事にアジア系のパティスリーは意外と少ない。

 そんな中での甜品工房の成功はアジア系住民、特に若い人達に良い刺激になったのでは。後に続く人の出現が楽しみである。

 

 

 Moret sur Loing(以下Moretモレーと記す)言う小さな町にフランスで一番古いSucre d’orge(キャンディー)を作る所があると言う話を聞いたので出かけてみた。モレーはパリから郊外線で凡そ50分乗車の距離、中世の建物が今に残る街である。

 中世に作られた、ふたつの門と美しい運河が有名で、パリからも観光客やハイキングを楽しむ人が訪れる。街の中央部に古いノートル・ダム・デ・ザンジュ教会がある。今回目的の店は教会のすぐ横にあった。

 コロンバージュ様式の建物とでも言うのか、木枠で出来た大きな建物の1階がブティックになっている。建物表にSUCRE D’ORGEの文字があった。店名はLa Maison de Sucre d’orge、店自体はそれほど大きくなく、どちらかと言えばこじんまりとした感じである。

 中に中年のマダムー人がカウンターの中にいて、友達と思えるムッシュと世間話をしていた。店内の棚やテーブルに各種菓子のパッケージやシロップなどの瓶が。更にメインのSucre d’orge(キャンディー)を始めビスケット、ジャム、ショコラなどが並ぶ。

 商品も豊富だなと思いながら、よく見るとキャンディー以外のもの殆どはセレクト商品、何れもフランスの有名店から集めたものだ。店のオリジナル商品は少ない。プラリネで有名なMazet(マゼ)の物などが多く並ぶ。マゼもこの店も老舗店として知られるが、マゼの方がより古い店だ。各種パッケージからも老舗高級店の雰囲気が伝わってくる。

 例年だと夏のバカンス期が一番賑わうそうだが、コロナで客が減った今夏は客は少なく、店も静かだった。それでも観光客らしい人が三々五々と入って来る。

 長い伝統と銘菓の評判を勝ち得た強み、一種類の銘菓があればこの店の様に生き延びる事が出来る。まれな例かも知れないがこういう店がある事に、改めて感心した。

 Mazetの本店はモンタルジにある。私がモントローに移った当初、パリ・リオン駅からの帰り、間違って乗った列車の終着駅である。春先のまだ寒い夜、街は眠った様に暗く静かだった。そんな縁もあり、一度ゆっくり行って見たいと思っている街である。

 

 肝心のモレーのキャンディーだが、起こりは1638年、ルイ13世の時代に遡る。モレーのノートル・ダム・デ・ザンジュ教会のベネディクト会に属する、シスターによって作られた。

 ブティックを出た後、運河の中州にある小さな美術館を訪れた。受付で2ユーロ払って中に、奥に小さな展示室がある。そこに写真を始め、古いキャンディーのパッケージや各種資料が展示してある。何組かの家族連れが熱心に資料を見ていた。

 ここはモレーのキャンディーに関する歴史資料館であるを。地元では美術館と呼んでいるのだろう。小さいながらも、興味深く結構面白い美術館だった。

 資料によると、モレーのキャンディーは、砂糖と大麦を材料として作られた物。ルイ13世も好んで食したとある。1792年フランス革命が起こり、修道院でもキャンディー製造を中止する。

 修道院の閉館でキャンディー製造のレシピも無くなったと思われていた。ところがこの修道院にいた一人のシスターが、亡くなる直前にレシピがある事を伝え「レシピを大事に保存して、モレーに新たに修道院が開かれたら、このレシピを継承する様に」と遺言する。

 この遺言は守られ、修道院再建後キャンディー製造が再開される。再び人気を取り戻し、ナポレオンやサラ・ベルナールも愛用するようになる。特にサラ・ベルナールは舞台登場前にこのキャンディーを一粒飲んで、喉の調子を整えたそうだ。

 

 1972年修道院はキャンディーの製造を中止。レシピは民間人に引き渡される。現在キャンディは300年前と同じ製法で作られている。

 修道院からどの様な経緯を経ていまに至ったのか詳しくは解らない。現在、製造法を継承商品化しているのが先に訪れた教会横のブティックであるそうだ。

 ミュゼで2ユーロの入場料を払ってチケット貰うと、受付のマダムが缶の中から一粒のキャんディーを取り出して、笑顔で手渡ししてくれた。黄金色の小さな一粒を口に含むと、昔懐かしいキャンディーの味がする。何だか嬉しくなった。

 

 8月10日、室温32℃。窓を開けると更に気温が上がる。ここ数日38℃前後の猛暑が続いている。先日は42℃まで気温が上昇した。我が家もそうだが、一般家庭にクーラーが無いフランスではこの暑さは流石に応える。

 特にパリなどの大都市では屋根裏部屋で暮らす若者が多い。夜になっても気温が下がらない毎日、眠れぬ夜が続いていることだろう。

 60年に一度と言われる大干ばつに見舞われた今夏のフランスである。各地で水不足が起きている。特に農家の被害が大きいとメディアで報じている。新型コロナ被害に加えてのこの大干ばつ、恵みの雨を待つ人が多い。

 

 


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