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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.163 5月 メーデー

 

 5月1日水曜日、今日は労働者の祭典メーデーである。毎年、パリでは盛大なデモ行進があるが、ここモントローはデモも無く、静かな休日となった。モントローもそうだが、フランスの田舎町は祝祭日、日曜日はほとんどの店が休業となる。営業しているのはアラブ系の店や、アジア系の店のみ。驚くほどの徹底ぶりだ。
 メーデーが労働者の祭典で休日となったのは確かアメリカが最初である。これはフランス暮らしをするようになって知った事だ。それまではソビエトが最初だと思っていた。日本にいた頃、テレビでメーデーの様子を報じていたのは東京のデモ、海外の報道ではモスクワ、赤の広場の盛大なセレモニーであった。それ故、メーデー発祥もソビエトと思い込んでいた。社会主義イコール、メーデーの図式である。
 今年のメーデー、パリでのデモ行進は大荒れと予測したが、反して比較的静かなデモであった様だ。今年は欧州議員選挙が6月開催される。その事もあり今回のデモでは政党色を面前に打ち出した各党のPR戦の様相でもあった。
 メディアによると各国ともに右派、民族主義政党が議席を増やすと予測されている。フランスでもマリーヌ・ル・ペン率いる国民連合が議席を伸ばすだろうと改めて注目されている。
 さらに、パレスチナ支持を訴えるグループの存在が際立つ1日でもあった。結果、いつもの年よりアラブ系デモ参加者が多かったと言われている。停戦合意が発表された今日だが、先行きは不透明だ。


 フランスでは5月1日を鈴蘭祭りの日として、街の通りや街角で鈴蘭が売られる。この日は誰でも自由に街頭で鈴蘭を売ることができる特別な日でもある。パリでも朝早くから鈴蘭売りの掛け声が通りに響き、あの独特の甘い香りが街に漂う。
 今は見かけなくなったが、パリの各広場でアコーディオンの音に合わせて、市民によるダンスの輪が見れたものである。拘る訳ではないが、昔はよかった。そんなパリだった。
 残念ながらここモントローでは鈴蘭売りの姿は見かけられなかった。幸いわが家の小さな庭の片隅、6株に白い鈴蘭が咲いてくれた。5月には鈴蘭の白い花と香りが欠かせない。

 

【移民労働力頼りのフランス、パン業界】
 ネットニュースによると、アメリカのバイデン大統領が「日本は外国人嫌い」といった趣旨の発言が日本で問題になっている様だ。アメリカと日本の政策違いを指摘しているようにも受け取れる。背景には日本の移民対応に対するある種のリストリクション(牽制)もあると思われる。
 この事が正しいか否かに付いては、個人的には正確に把握できていない。というのはアメリカも、特に共和党政権下では長年、移民を問題化して、時に排除した歴史があるからだ。特にトランプ政権下ではこの傾向が強かった。
 ただ、アメリカが数多くの移民を受け入れて来た歴史は誰も否定できないだろう。第二次大戦前は労働力として当時の中国、または日本人、さらにメキシコからの移民も受け入れた。大戦後は数多くのユダヤ人難民を、ベトナム戦争後はベトナム難民を受け入れている。

 率直言って、日本政府が積極的に移民を受け入れているとは思えない。他の先進国に比べると少ないのは事実である。あえて受け入れた歴史は戦前朝鮮併合後労働力としての対応くらい、とする歴史家の発言もある。ベトナム、ボード・ピープルを受け入れた事もあるが、それとて他国に比べ少ないのは事実である。
 移民問題は先進国いずれもが抱えている。ヨーロッパ諸国が掲げる共通の政治課題だ。ここフランスとて変わりはない。歴史的背景からも避けて通れない問題と言われてきた。それ故に歴代政権が対応に苦慮、神経を配り続けた。
 それでもこの問題にフランスはうまく対応していると、個人的には思っている。理由のひとつは労働力として活用。移民無くしてフランスの低所得労働力は成り立たない。不満はあっても不平を抑えているのは、最低賃金の確保ができているからだ。さらに労働組合の力、団結力の強さが挙げられている。

 マルシェ・オ・ブレ広場は、わが家から歩きで1分の距離にある市民広場。年間通して市や民間団体の野外各種イベントが行わる。イベントがない時は子供達の遊びの場、さらに市民憩いの場でもある。
 植木市、花祭り、6月恒例の音楽祭では大きな舞台が作られ各種演奏会が行われる。秋はリンゴ祭り、冬にはクリスマス市と市民に欠かせないイベントの場である。 
 広場の周りにはいろいろな商店や各種事務所、カフェ、レストランなどが建ち並び、人々の交流も盛ん。そんな中で、特に目に付くのがアラブ系の店である。テイク・アウト料理店、アラブ菓子屋など、さらに2軒のブーランジェリーもある。オーナーはトルコ(ケバブ店)、アルジェリア、チュニジア、モロッコと、それぞれに出身国は違うがいずれもアラブ及び中東系の方である。


 現在、広場にある2軒のブーランジェリー・オーナーはいずれもチュニジア系のフランス人である。広場北側にある店は現在のオーナーになって3年になるが、その前のオーナーはヨーロッパ系、いわゆる白人系の方だった。
 もう1軒南側の店マルシェ・オ・ブレも、以前の経営者はヨーロッパ系の方でこの界隈では老舗店だった。オーナー・シェフは店の表にはめったに顔を出さない職人気質の人、ひたすら厨房でパンと菓子作りをするムッシュだった。理由は解らないが、こちらも3年前に経営者が代わった。
 当時、表を仕切っていたのは、オーナー夫人と、長年勤めているというポルトガル系のマダム。モントローのこの業界に精通していた方だった。この街に住み始めて慣れない私にいろいろとアドバイスしてくれた親切なマダムである。今はお二人とも、年金暮らしを楽しんで居られることだろう。


 3年前、店はそのままに新しいスタッフで営業が始まる。代替わりをした後も店の看板はそのままに掲げられている。代わってオーナーになったのはアルジェリア系の方だった。パリを始めイル・ド・フランスに5軒のブーランジェリーを構える一族のフランチャイズ店的な存在となる。店で働く人も、このファミリーの縁続きの方達と聞いた。


 今年3月、何の前触れもなくオーナーが代わる。新しいオーナーは未だ若手、名前はAMINEさん。パンを買いに訪れた日、その事を知る。オーナーが代わった事を尋ねると、照れくさそうに「私が新しい経営者兼パティシエです」との答え。モントローの何軒かのブーランジェリーでパティシエと自己紹介した人は彼だけである。
 という事でお互いに名前を名乗り挨拶した。幸い客が少なかったのでほんの少しの時間だが会話ができた。チュニジアの生まれ、チュニジアのパティスリーでお菓子とパン作りを修行された。7年前フランスに渡り何軒かのブーランジェリー、パティスリーで働き、今この店を経営している。「宜しく」との挨拶を受ける。
 この日買ったのはクロワッサン2個とショーソン・オ・ポム2個。クロワッサンは大振りである。夜の食事後デザートでいただいたショーソン・オ・ポムはパイ生地の上に砂糖を塗し、バーナーで焼いた変わり種、中に詰めたリンゴ・ジャムも果肉が残る特殊な物である。他の店とは食感も異なり新しさを感じた。

 「パティスリーに少し力を入れたい」といった彼の言葉を思い出しながら、美味しくいただく。昔の店の名前を継続しているせいかも知れないが、ヨーロッパ系住民客が多いこの店、どの様に変化していくか楽しみである。
 今や旧市街にある6軒のブーランジェリー全てがアラブ系オーナーの店になっている。ある意味、アラブ系フランス人によって成り立つフランスのパン業界と言っても過言ではない。

 

【アルジェリアの地方菓子店 Samias】
 マルシェ・オ・ブレ広場から横道に入った場所に小さな店ができている。店ができて間もないのか、明るく清潔な感じの店である。ついでがあり、先日店を覗いてみた。先客が一人いてお菓子を買っている。その客は男性だった。店名はSamias、オーナーの名前で女性名詞サミアさん。
 モントローにはアラブ関連の店が多い。そんな街だが、特にケバブなどの飲食店では男性客を多く見かける。アラブ、中東系住民の多くは未だに男性中心の家族構成の家が多い。ブーランジェリーなどでもバゲットを5~6本、小脇に抱えて店から出てくるのはほとんど男性客である。

 サミア店に入ると左側にショーケースがあり、棚にアラブ菓子が並べてある。初めて入った店だ。店内奥右のスペースが、マダム専用の仕事場との事だ。一台のガス付き、円形鉄板焼き器が置かれ、そこでマダムが仕事中である。このような鉄板焼きは、アラブやトルコ料理店、パリの朝市などでよく見かける。
 この台で焼き上がったクレープに各種材料を包んで仕上げたのが、アルジェリア風ガレットである。この店自慢の料理だそうだ。黙々と仕事をするマダムの様子をしばらく見物する。もちろん了解を得ての事である。そこに若い男性が入ってきてレジ前に立ち、レシートの集計を始めた。
 徐に「スナップです、宜しく」と自己紹介をしてくれる。マダムの名前はサミアさんと教えてくれたのも彼である。親子で店を切り盛りしているそうだ。この日はカメラを持参していなかったので、お礼を言って店を後にした。

 先日、家の食卓に珍しいものが並んだ。アルジエリアのガレットである。息子が買ってきたとの事、Samiasの前を通ったので買ってみたのだそうだ。わが家では時々、昼食時にだが食卓にトルコ料理ケバブが並ぶ事がある。それ以外のアラブ風料理と言えばクスクス位である。こえは朝市や週末に出店する広場の屋台で買う。
 この夜、前菜としていただいたのがGalette farcie(ガレット・ファルシ)と呼ばれる物。こんがりと焼き上がったクレープの中にひき肉とゆで卵が入っている。同じようなガレットでも中に挟んだ材料で名前が違うようだ。
 例えばBourekは鶏肉または牛、羊のひき肉、さらに鮪入り。同じようなガレットBrikはツナ(マグロ缶詰の詰め物。微妙に味が違う。
 アラブ料理は時に香辛料を多種大量に使う事が多いが、Samiasのガレットはその香辛料が控えめで、食べやすい。初めていただくアルジェリア風ガレットだったが美味しかった。


 日を改め、カメラ持参でSamiasに行ってみる。了解を得て店内外、パティスリーなどを撮影。息子が買ったガレット・ファルシが美味しかったとサミアさんに伝えると、その秘密を少し語ってくれた。
 サミアさんが作る料理はアルジェリアでも北部にあるMeklaを中心とする地方の郷土料理との事。この地方、その昔Kabylieという王国で栄えたそうだ。ここで採れる良質オリーブ・オイルを使う事で、独特の風味が出るとの話である。正直いうとその微妙な味の違いは私には解らない。
 ショーケースの横にオリーブの木を植えこんだ鉢がある。メカラから運んだ木との事、このオリーブの実から採れる油が美味しさの秘密だそうだ。鉢植えのオリーブに実は未だ付いてなかった。
 店内壁にKabylie王国歴代皇帝の彫像写真が飾ってある。Mekla住民、出身者にとって誇りの彫像、大切なものだそうだ。アルジェリアという国を一括りで受け止めていた私には意外であり、改めて強い民族意識を知る写真となった。
 話を聞いた後、帰りにお菓子をいただいた。俗にアラブ菓子と呼ばれる蜂蜜たっぷり、甘みの強いお菓子である。サミアさんの店ではオリエンタル・ガトーと表記して販売している。オリエンタル、アラブ菓子、その違いも余り解らないが、ひょっとしたら独特のあの甘み、風味に少し違うように思えるから不思議である。


 アラブ料理で思い出すのはパリ5区サン・ミッシェル、カルチェラタンにあるクスクス店である。ここはチュニジア出身のオーナーが経営する店だが、アルジェリア系のフランス人客も多い。クスクスが食べたくなったら自然と足が向くのがここChez Hamadiだった。ここでの気に入りは子羊のグリル添えクスクス。特別にメルゲーズを添えるのがいつもの食べ方だった。
 スープのお変わりは自由、スムールは濃い黄色、店のパトロンの話ではベルベル風との事であった。ベルベル人とは北アフリカに広く分布する民族の総称である。今でも特殊な文化を持ち続ける人たちと言われている。
 マスター引退後は息子か引き継ぎ、今も営業し続けている。何故かパリに長年住む日本人客も多いという。Samiaさんの店にはクスクスはないが、せっかくの出会い。アラブ料理やお菓子に関心を持ってみようと思っているところである。

 


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