小川征二郎のパリ通信


Vol.142 ブルゴーニュ サンセール

 7月もほとんど雨が降らなかった。結果は各地での山火事である。環境破壊から来る災害である事は間違いない。もともと、夏場に雨の少ないフランスだがそれにしても異常だ。河川も溜池も水位が落ちて農家に必要な水が足りなくなっている。地域によっては水不足から市民生活、インフラにも影響が出始めている。
 昨年から今年にかけての冬場に各地山岳で雪不足が問題となった。結果は雪解け水の不足で現在河川が干上がっている。ある自治体では自動車の洗車を控えるようにと通達を出した所さえある。

 先日、ブルゴーニュ地方へとドライブした。家に籠もった状態の私への息子の配慮である。私の住むモントローはパリ郊外のイル・ド・フランスだが、どちらかと言えば南の外れに位置する。ブルゴーニュ地方とは目と鼻の地域関係、車で10分も走ると県境をこえる。
 今回の目的地は白ワインで有名なシャブリの産地。およそ1時間20分の距離である。家を出てしばらく走ると広大な畑が広がり、トウモロコシやヒマワリ畑が次々と現れる。その畑に水を散布するおよそ100mのホースを備えた放水機が放水中。とんでもない水量が雨の様に注がれている。 
 道端の畑の中に人工の溜池が点在。広く掘った穴にビニールを張り、そこに雨水を溜めて、河川から水を引くよう作ってあるが、いずれの溜池にも水は溜っていない。本当の水飢饉だ。
 
 シャブリ村にはこれまで三度行った事がある。という事で途中に目的地を変更。まだ行ったことのないサンセールに行く事にした。シャブリよりおよそ20分距離は遠いが、初めての地の方に興味が募り予定変更。ここもブルゴーニュを代表するワインの産地だ。
 高速を降りてナショナルルートに入る。のどかな田園風景の中、ナビの誘導で田舎道をひた走り。電柱とすれ違う車がなければ、中世そのままの街や村を連想する周りの景観。それはまるで夢を見ているような錯覚に陥る光景だ。
 やがて道の回りにブドウ畑が現れた。その先に林があり農家と思える建物が並ぶ。曲がりくねった道を進むと目の前に小高い丘が現れる。丘の上に集落が、道脇の標識にサンセールまで2kmと書かれてある。
 ここに来るまで乗用車を見たのは数台であったが、たどり着いたサンセールの専用駐車場は満杯だった。道脇の空き地にも車が並ぶ。
 
 サンセールを町と表現するのか、村と言うのかは日本人の私には区別がつけにくい。もともと自治体の表現区別が日本とフランスでは違いがある。ふと思い出したのは、ここがフランスの美しい村に登録されている事、ここはやはり町ではなく村なのである。
 幸い駐車場から離れる車があったのでそこに車を停め丘の上へと歩く。頂上近くに展望台(パノラマ)があり、たくさんのツーリストが休んでいた。ここから眺める広大なブドウ畑はまさに絶景、眼下に広がるなだらかな丘陵いっぱいに緑の大地が横たわる。
 展望台でしばらく休んだ後は再び丘の上へと歩く。螺旋階段を登るような道の両側には昔ながらの建物が、土産物屋、ワイン販売店などと並び、道の先に広場が現れた。広場の一部は大きな天幕のカフェテラスになっている。中で観光客が食事を楽しんでいた。
 それにしても大勢の観光客だ。世界中からであろう。聞こえる言葉は英語、スペイン語、ドイツ、北欧、東欧語と多彩。各テーブルには白、ロゼなどのワインボトルが並び男女が楽しげにグラスを傾けている。
 サンセールはブルゴーニュでも有名なワインの産地、何と言ってもサンセール・ワインで世界に知られる存在だ。 ワイン好き の方には一度は訪れてみたいと言われる、いわば垂涎の地である。
 混んでいる店に入り係のお嬢さんに食事がしたい旨を告げると「ちょっと待ってください」と厨房へ向かった。「すみません、もう火を落としたので料理が出来ないそうです」と、申し訳なさそうに断られた。
 「飲物だけで良ければ」と、表のテラス席に案内してくれる。エスプレッソを注文してしばし休む。食事ができなかったのは、返す返すも残念だった。テーブルに置かれた領収書を見ると、カフェ2,80ユーロの表記。1杯が1,40ユーロだ。パリで飲む立ち飲みより安い。観光地でこの安さはある意味特筆ものだ。
 広場の脇をさらに上へと歩くとノートルダム・ド・サンセール教会に着いた。古い塔が有名である様だ。教会前の広場に面した小さなパティスリーが。今回紹介する事になった店である。
 

LE LICHOU DE SANCERRE ル・リシュー・ド・サンセール
 サンセールのリシューは長い歴史を持つ銘菓であるそうだ。この村を訪れる観光客がお土産として必ず持ち帰ると言われる三つの品。そのひとつがワイン、そして山羊のチーズとリシューと名付けられたお菓子であると言う。ワインと山羊のチーズは知っていたが最後のケーキについては今まで知らなかった。
 リシューはアーモンド・ペーストをベースにしたケーキである。同じ様なものは過去に何度か食べた事があるが、どれもスーパーで買ったものだ。見た目は日本のカステラに似た何でもない形のケーキで地味である。それ故最初に見た時は興味をそそった。
 スーパーで買った時はセロハンで包んでアーモンド・ケーキと張り紙があった様な。その日夕食のデザートとしていただいたと記憶している。「こんな味か」食後の感想はこんな感じであった。そうは思いながらもその後も何度か買ったのは何かがあったのだろう。
 このケーキをサンセールで最初に作ったのは当地のパティシエ、エミール・ラグと言われている。1928年の事だそうだ。名前の由来は指をなめる程の美味しさをイメージしてつけられた。1933年から商標登録しているそうだ。
 菓子製造の技術は多くのパティシエが研鑽を重ね、時代と共に発展向上した。およそ100年前に現在に通じる技術を生み出し、名物として完成させた事は流石である。
 リシューに似たケーキは他の地でも見て食した事がある。中でも記憶に残っているのはスペイン、マジョルカ島のパティスリーでいただいたアーモンド・ケーキである。マジョルカ島はヨーロッパを代表するアーモンドの産地。上質のアーモンド風味が抜群の味に仕上がったケーキであった。

 外で店の様子を見ていると観光客らしき人が入っていく。決して大きくない店、中に人が居ると入り口で待つ人も。店内に二人の客が居て、店のムッシュに何やら説明を受けている。前の客は地元の人か、パンを買って出て行った。
「店を見ていいですか」「どうぞどうぞ」の答で店内を見る。ひと言でいえば観光地のお土産屋風の店、焼き菓子類が多い。レジ横のショーケースに並ぶケーキ類もタルトなどのいわゆる生菓子は少なかった。
 店に入ったのが3時過ぎであったので、生菓子類は既に売れたのだろう。クロワッサンなどのパンも残っていたのは数個だった。
 息子の選択でお土産用の菓子を買う。ル・リシューとル・クロケ・ド・サンセールの2種類に、残っていたクロワッサンを1個。
 幸い、客が途切れたので店のオーナ・シェフ、アルノー・エモリヌさんと立ち話。いきなり「日本人だろう、どこから来た、東京か」と。いつもの事だが外国人から日本人かと問われた後には東京か、が続く。
 エモリヌさんがここに店を構えて23年が過ぎたという。今ではサンセールを代表するパティスリーとなっている。店の表に書いてあるがリシューが店の代表商品の様だ。エモリヌさんが作るリシュー一番の特色は10日間柔らかさを保つ食感にあるらしい。先にも触れたがリシューはサンセールを代表する郷土菓子、その事に誇りと賛意を持っての店先の表記と言う事だろう。
 表にはPATISSIER CHOCOLATIER CONFISEURの表記もあるが他にパン類も販売している。店内に並ぶ商品は干し菓子類が多い。当然お土産を意識した戦略と思えた。そんな中から選んだ一品がLe Croquet de Sancerreである。
 ル・クロケ・ド・サンセールは今から凡そ150年前、1872年に開発されたビスケット。当時のサンセール・ワインは現在のワインの様に完成されたものではなかった。 
 美味しさを出すためにアーモンド入りの硬いビスケットをワインに漬けて、ワインの味を和らげていたそうだ。という事でサンセールでは当時すでにビスケットが作られていた事になる。その伝統手法を継承しているのがエモリヌさんだ。
 ビスケットでワインの美味しさを加味していた。現在の完成された美味しいサンセール・ワインからは想像もできない製造法である。

 エモリヌさんのクロケは3種類ある。サンセールの干しブドウ味 、プラリネ味 、ショコラ味 とそれぞれの風味を生かしたものだ。どれもサブレタイプのアーモンドクッキーである。カリカリサクサクに仕上げた生地に、たっぷりのアーモンドを粒ごと加えてある。切り分けてから焼き上げると言う工程、表面にアーモンドやプラリネの模様が現れ見た目も楽しい一品である。
 エモリヌさんとの立ち話に戻る。エモリヌさんが修業時代、同じ厨房に日本から修業に来ていた若い日本人男性が居たと言う。名前は中西さん(確か)現在藤沢在住との事、お互い切磋琢磨した懐かしい思い出であり、今でもその思いを大切にしていると言う。
 エモリヌさんの2軒目と言う店は、先程カフェを飲んだ広場に面してあった。店の表にはLES CROQUETS DE SANCERREと書かれてあった。
 初めて訪れたサンセールで偶然見つけたパティスリー。そこで出会えたオーナー・シェフの若き日の思い出話は最高のお土産となった。

 帰りの道で車を停めてブドウ畑に入って見る。葉の下に小さな実を付けた房がある。暑さ続き、水不足の今夏だが、実りの秋を迎えることが出来るのか。畑の遥か奥でワイン農家の家族が草取りをしていた。
 スペインを旅した時、ワイン農家を訪ねた。地元に住む日本人画家の案内だった。ワイン製造元で瓶買いではなく、ポリタンク持参で売ってもらった。地元名産の白ワインである。その時農家のご主人に聞いた話が「ワイン用ぶどうの木は根が地下100m以上に伸びて地下水を探す。少々の日照りには耐えられるのがぶどうの木だ」という事であった。
 それが本当ならフランスも同様、少々の日照り続きでも良いブドウが採れるだろう。今年のワインの出来はいかがだろうか、今から楽しみである。
  もし当たり年であったら秋に今一度サンセールを訪れたいと思っている。その時は当然エモリヌさんの店にも寄るつもりだ。
 
 持ち帰ったリシューとクロケの二品は夕食後のデザートでいただいた。どれも想像以上の美味しさ、名物に旨いものなしのことわざを覆す味だった。

 

 


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