2022年06月23日
Vol.140 水不足
5月から晴天が続くフランス、まれに降ってもお湿り程度の雨に農家がお手上げ状態になっている。地球規模での気候変動の影響だと思われるが、それにしても異常だ。このまま行けば、一部の地方は河川も農業用ため池の水も枯渇は免れない。そんな状態まで来ていると言う。
フランス農家の1軒当たり耕地面積は、日本農家のそれに比べ数倍広いと言われている。その広い畑に給水する訳だから、水は農家にとって命綱である。時によっては水確保で農家同士、村同士の争いも発生するとか。
幸い主食である小麦の収穫は所により7月頃から始まり、水不足には余り影響が無いと言われるが、その他の野菜類などには水不足は大いに影響してくる。さらに秋に収穫を迎えるトウモロコシ育成に欠かせないのがこの時期の水である。行政も対策を重ねているが、対応が追い付かないのが実情のようだ。
そんな陽気の中、4日土曜日パリに出かけた。朝から気温が上昇してパリには珍しい多湿、異常に蒸している。これまた珍しく雷注意報が出ている。雲間から太陽が見えたり隠れたりするが陽光は眩しいほどに強烈、道行く人もカフェのパラソル下に席をとったり、木陰を探して休んでいる。
これでは熱中症が出るなと思った矢先、救急車のサイレンが。少し先に老婦人が横たわり傍でご主人と思える男性がおろおろと、近くに居た若い男性が救急車を要請したようだ。夫婦と見える老カップルは旅行者にみえた。
フランスの若者で感心するのはこういう場合の対応の素晴らしさだ。子供の頃からボーイ、ガールスカウトの訓練を受け、中には軍隊経験者も多い。こうした対応は自分では出来ないな、と思っている内、救急車が到着した。
ご存知のようにパリのカフェでクーラーを備えた所は少ない。夏場になると扇風機を取りつけ、これに水分を撒布する事で涼をとる所もあるが、これとて一時しのぎ、それもテラス席のみの対応である。
パリでの予定を早めに終え帰宅する事にした。土曜日の夕方列車は満席、通路に立つ人もいる。出発時間になっても列車は止まったまま、ようやく20分遅れで出発した。日本だと乗客が騒ぐだろうなと思ったが、ここはフランス。列車の遅れなど慣れたものか皆さんいたって平気の様子、改めて国民性の違いを思った。
パリを出発する頃から、にわかに上空が暗くなり雨が落ち始めた。列車の進行に沿うように窓を打つ雨が激しくなる。ムランに着くと雷雨も激しくなり、列車を下りた乗客が駅舎に走り込む。全員雨宿り状態、近年では珍しい豪雨ある。
フォンテンブロー・アヴォン駅を通過する頃は豪雨に風も加わり、駅舎周りの並木が左右に大揺れしている。まさに台風の渦中に入る様な状態だ。列車が遅れた理由がようやく理解できた。モントロー駅に着いたが、大雨の止む気配はない。雨の中バスに駆け込んだが僅か1分の距離でずぶ濡れである。最寄りのバス停から家までも同じような状態、本当に久しぶりに集中豪雨を体験した。
翌朝のニュースでフランス各地の豪雨、強風、雹被害の様子を伝えている。ボルドー地方からはブドウ畑が80%の雹被害が出た所もあるとの報。ルーアンからは集中豪雨で河川が氾濫、さらに雹被害は各地に広がり、家屋の屋根や乗用車の屋根、窓の破損、農家のビニールハウスの崩壊や収穫前の果樹園、野菜畑の惨状を伝えている。落雷で家が燃えたりパリ・ヴァンセーヌの森で開催中のロック・コンサートでケガ人が出て急遽中止など、各地の被害は広がる一方である。
今回の気象変動の怖さは、たった一日、突然の出来事であった事。今までも台風や豪雨被害は数多くあったが、これらは数日続いての風雨災害であった。気象災害のパターンも変化している。たった一日、数時間での急変災害は、恐らく記録に残ると言われている。
パリを離れる数時間の合間にスーパーマーケットの食品売り場を回ってみた。まず探したのはマスタードである。この3週間、モントローのスーパーの棚からマスタードが消えた様に無くなった。
流石にパリにはあるだろうと思っていたが、その思惑は見事に外れ、カリフールもモノプリにもひと瓶も無い。いつ入荷するか解らないとスタッフは言う。仕方なく日本食品店で和辛子を購入した。フランスの店でマスタードが無くなるなど初めての経験だ。
物のついでと生鮮食品コーナーを回ってみる。棚に季節の果物、野菜が並ぶ。目に付いたのは、まずはサクランボとアプリコット、さらに各種類の桃、メロンやスイカなど。物によってはスペイン、ポルトガル産が多い。さらにアフリカ、イスラエル産も並ぶが、今年は運送費の高騰か例年より値段が高く感じる。
流石にパリと感心したのは、商品の種類がモントローのそれより遥かに多い事。値段も安めに設定されている。物によってはモントローの方が鮮度も良く値段も安いが、総合的にはパリのスーパーの方が安定して見えた。田舎は物が安いとの神話は過去の話となるのではと心配になって来た。
去年は何故かサクランボを食べる機会が少なかった。今年はその分を思い残す事なくいただこうと思っている。フランス産が安く出回るのは7月なので今しばらくは辛抱、待ち遠しい。それには今回の雹被害が少ない事を祈るのみである。
サラダが中心のフランス野菜だが、今はアスパラガスとアンディーブがコーナーの主役になっている。先日モントローのスーパーで買った白菜はポルトガル産だった。形や色は日本の白菜と変わらないが水耕栽培なのだろう、土壌で育った白菜に比べ茎の部分がスカスカだった。白菜特有の香りも薄い、日本の美味しい白菜が無性に懐かしく食べたくなった。無い物ねだりをしても仕様が無いが、本音である。
ブーランジェリー界注目のふたつの名誉賞が5月に発表された。最優秀バゲットと最優秀クロワッサンの賞である。最優秀バゲットに選ばれたのはパリ15区にあるBoulangerie Frédéric Comyn、最優秀クロワッサンはBoulangerie Carton 店である。いずれも興味ある店だが今回はBoulangerie Cartonに。
Boulangerie Carton
最優秀クロワッサンを獲得したBoulangerie Cartonを訪ねてみた。場所はパリ10区、北駅正面を出ると道幅の広いデナン通り、その6番地にあるのが今話題の店Cartonである。北駅からは歩いて3分の距離、明るい店内が通りから見える。
黑い天幕の下にカフェテラスがあり、テーブルではプチ・デジュネ(朝食)を楽しむ人達が寛いでいた。店内を覗くと長い行列が、その列は店の外まで続いている。
店内右側にショーケースがあり、各種ケーキ、パン類、サンドイッチなどが並ぶ。ケースの横にレジがある。さらにその奥にカウンターがあり、客が注文をするとそこでスタッフが注文の品を仕分け。袋に入れたり箱詰めに、さらにトレイに乗せて並べていく。客はレジで支払い、自分の分を受け取ってと言った具合に完全に流れ作業になっている。
客の列は相変わらず途切れることなく、5人の女性スタッフも休む暇がない忙しさだ。注文以外に声を掛けるのもはばかるくらいの状態だ。外国からの旅行客が多いのもこの店の特色だろう。旅行鞄を引きながら列に並び、言葉も英語で注文、そのほとんどがクロワッサンを、他のパンを注文してもこれを欠かす事は無い。
最優秀賞を獲得する事がいかに商いに影響するかを目にしたCartonの売り場だった。店内にはイートインもあり、飲み物とのセット朝食も注文出来る。私もこの席でクロワッサンとコーヒーのセットを注文した。
賞に相応しいクロワッサンの出来栄え、サクッとした歯触りが何とも良い。思ったより甘めだがバターの香りが味の良さを引き立てている。
Cartonの創業者はマルティーヌさんとジャン・ピエールさんの夫婦、1956年にYVONの名で店を立ち上げた。パリでの1号店は14区、創業当初から高評価を受けた様だ。1976年から店名をCartonと変更。同時にパリ6区ビュシ通りに店をオープンする。
余談になるがビュシ通りのこの店には随分とお世話になった。私がパリ暮らしをするようになったのが1976年、グランズ・オーギュスタン通りに最初のアパートを借りた。Cartonまでは歩いて5分の距離である。
近所にも何軒かのブーランジェリーがあったが、Cartonのパンとの相性が良く、ここで良く買った。クロワッサンの味を覚えたのもこのCartonともう一軒ジェラール・ミュロ店である。
今思えばかれこれ40年位Cartonのパンを食べ続けた事になる。店の表を仕切っていたのはマルティーヌさん、愛想は無いが親切なマダムだった。何年かはっきり覚えていないがCartonが16区に出店したのは知っていた。さらにプラス・モベール・ミュチュアリテにもオープンした。
この両店はその後手放してモベール・ミュチュアリテの店は現在メゾン・イザベル店となっている。メゾン・イザベルは2018年最優秀クロワッサンを獲得している。そして2022年にはCartonが同じ賞を獲得した。何とも不思議な縁ではないか。
2011年には息子ジャン・ミッシェルがパリ10区に新しい店をオープンした。今回私が訪ねたCarton店である。ビュシ通りのCartonが店を閉めたのが確か3年位前の事、この事は当時のレポートで報告したと思っている。
マルティーヌさんとジャン・ピエールさんが引退した今、Cartonはジャン・ミッシェルさんと妻のアマンディーヌさんが引き継ぎブランドを守り続けている。
Boulangerie Carton
6 Bd de Denain, 75010 Paris