小川征二郎のパリ通信


Vol.129 ひと摘みの塩加減

  先日、本当に久しぶりに一風堂のラーメンを食べた。1年振りだろうか。場所は6区のGregoire de Tour通り、メトロ・オデオン駅で下車して凡そ3分の距離である。サンジェルマン大通りから横に入る細い通り、通称レストラン通りとも呼ばれフレンチ、インド、ギリシャなどの各種レストランが並ぶ。

 私にとっては思い出深い通りだ。と言うのも私がパリに住むようになって初めて入った店が、今一風堂になっているこの場所にあったステーキ専門の店だった。店の奥、赤々と燃える炭火の上に鉄網があり、その上に何枚かのステーキが煙に塗れながら焼かれている。

 肉の焼ける匂いは通りまで流れ、それを嗅いだ私は意を決して店内に入った。パリに来ては見たもののフランス語は全く喋れない。ギャルソンが何を言ってるかも解らないままテーブル席に座り、目の前で焼けるステーキを指さした。

 幸い、ステーキ専門の店、他の料理を探す必要もない。フランス語が解らないと察したギャルソンが勝手に注文してくれた。今ならこの界隈のレストランで働くギャルソンはフランス語が話せない客には英語で注文を取ってくれるが、当時この界隈の店は地元住民か労働者階級、庶民派が集まる店で会話はフランス語がほとんどだった。

 テーブルで待つ間も何かと聞かれたが、一向に通じない。恐らく焼きの加減や飲み物を何にするか聞かれたのだろう。やがて焼き上がったステーキが運ばれて来た。皿には分厚いステーキとフリッツが、その横にクレッソンの小さな茎が添えてある。

 熱々のステーキとフリッツに備え付けの塩を少し振り、マスタードを付けて夢中で口に運んだ。ステーキがこんなに美味しいとは。それまでの1週間は今でいうテイク・アウト食品を買ってホテルの部屋で食べ続けていた。未知の世界に飛び込んだ、凡そ45年前の話である。

 この通りで古くから残る店でクレープ店がある。ビオの粉を使っており、長く通う常連が多い。いわばビオ食品の先駆店的存在、当時はビオと言う言葉を使う人すら少なかった。

 

 さて、久しぶりの一風堂ラーメン、入り口カウンターで備え付けのノートに、名前、時間、電話番号を書き込む。コロナ対策の決まり事であるらしい。スタッフに案内されて奥の席に着席。ここからは厨房の様子が良く見える。

 以前来た時は若い日本人女性がフランス人スタッフに混じって2人働いていた。今日はフランス人スタッフだけで5人。どうやら厨房担当は2人の様だ。

 ラーメンと餃子を注文。1人がラーメン、もう1人が餃子を作っている。出来上がったラーメンと餃子がテーブルに運ばれる。餃子は博多風の一口サイズで、味は良し。肝心のラーメンも美味しいが、塩と言うか醤油の所為か、とにかく塩分が濃い。昨年食べた時よりひと味もふた味もスープが塩辛くなっている。

 

 日本で一風堂のラーメンは食べた事が無かったが、これが一風堂本来の味なのかと訝る。調理場のスタッフは恐らくマニュアル通りに作っていると思うのだが。味の好みは人それぞれ、薄味好み、濃い味好みが居てもおかしくはない。ただ、それぞれに限度と言うものがあると思う。とに角、塩辛いのだ。

 この稿の本来の主旨は私が食べた一風堂ラーメンの悪口では無く、マニュアル通りに作れば店本来の味が出せるのか、の素朴な疑問だ。あらゆる料理に共通する事であり、これからの課題でもあるような気がする。

 料理番組で良く聞く言葉に、ひとつまみの塩がある。指で摘まむ少量の意味だと思うが、実は塩の種類でひとつまみの味が全然違ってくる。

 

 フランスの代表的な塩の産地は南仏プロバンスのカマルグと大西洋岸に位置するブルターニュのゲランド。大量産地であると同時に上質の塩産地でもある。どれも美味しいが、その味は微妙に違い、塩分濃度の違いもある。

 知り合いのフレンチ・レストランのシェフは10種以上の塩を用意して、料理の種類毎に使い別けをしている。料理人の世界では当たり前の事であるらしい。塩の加減とは事程左様に微妙で大切である。

 一風堂ラーメン・スープにどんな塩を使っているか解らないが、仮にマニュアルに塩小匙1杯とあっても塩の種類で、味も塩分の濃淡も大きく異なってくる。スープの製法、材料は企業秘密と言う店が多いので、知ることは出来ないが、作る側も味の確認は最小限必要であろう。

 今回食したラーメンのスープが余りにも塩辛かったのでつい余分な事を書いてしまった。この事は一風堂ラーメンに限らないと思う。日本食ブームと呼ばれて久しいが、ここパリでもこれが日本食?と思う物が色々とある。

 その多くは現地で採用された日本味を知らないスタッフの方達が作るものに多い。与えられたマニュアル通りに作った結果にあるようだ。これからも増えるであろう日本料理や日本食品。老婆心ながらその先が懸念される。

 

 

店より朝市での売り上げが多いと言う話

 ちょっと興味ある話を聞いた。パリ郊外、ボワ・ル・ロワと言う駅前広場に毎週日曜朝市が立つ。その朝市にワゴン車販売をするショコラ屋があり人気だと言う。

 ショコラ職人の名前はロムアード・サドアンヌさん。と言う事でボワ・ル・ロワの朝市に出かけて見た。パリからは郊外電車で凡そ40分の距離、フォンテーヌブロー森に近い小さな町だ。出かけた日は幸い快晴、気温21℃と爽やかな朝。初めて行く朝市である。

 列車を下車すると目の前の広場にテントやワゴン車が店を拡げている。その数凡そ20軒、小さな朝市だ。時間は午前10時、買い物かごやカートを引いた人達が三々五々と集まっている。中年以上の買い物客が多いのが田舎の小さな町、朝市の特徴である。

 買い物客に混じって市場をブラ歩きしながらロムアードさんのワゴン車を探す。八百屋、魚屋、肉屋、チーズ屋と並ぶテントの中に目的のショコラ・ワゴン車は見つからない。ふた回りしても見つからないので朝市広場に面したカフェのテラス席に座りエスプレッソを注文する。

 

 この町に来たのは初めてで、町の様子も掴めない。カフェのテラス席は地元住民と思える人達で満席だった。朝食をとる人、カフェを飲みながら新聞を読む人、朝からビールでご満悦の老人グループなどなど、皆さん知り合いの様子である。

 パリからの列車が再び到着して駅前が賑やかになった。フォンテーヌブロー森歩きをする人達だ。何組かのグループには案内の旗を持った女性もいる。この駅から森歩きを始める人達がいる事を知らなかった。

 何回かこの森歩きをした経験があるが、車で無い時はフォンテーヌブロー・アヴォン駅で下車して森へと向かった。それが森歩きの基本コースと長年思い込んでいた。

 以前、このレーポートでお伝えした記憶があるが、現在パリのタバコ(宝くじ、場外馬券売り場を兼ねる)売り場があるカフェやビストロなど、多くの店を経営しているのは中国系の人である。個人経営かグルーでの経営かは不明だが、以前の経営はそのほとんどがフランス人だった。

 ここ10年位前頃から、フランス人の店を中国人が買い上げ営業をするようになる。と同時に店で働くスタッフも中国人に入れ替え、所謂ファミリー経営の店の様に変化してきた。タバコ、宝くじ、場外馬券売りなどは政府統制の下、各種機関が管理しており、そこの営業許可がない限り誰でもが自由には営業できない。

 と言う事で、これらの権利を持つカフェやビストロの値段は普通のカフェなどより高値で取引されると言う。そんな店を次々に買い取り、営業を続ける中国人パワーはフランス人にとってもある種脅威であるようだ。かってパリのカフェ経営者はそのほとんどがオーヴェルニュ出身者と言われていた。

 

 ボワ・ル・ロワの朝市、広場横のカフェも中国人経営である。客と親しそうに話しているギャルソンも中国系の若い男性だった。ちなみにエスプレッソの値段は1・6ユーロ、パリのカフェの平均的値段より安い。

 テラスの席で朝市の様子を眺めていると、一台のワゴン車に次々と客が集まって来る。時に長い行列になったりと。その様子を見ながら席を離れ再び朝市に向かう。小さなワゴン車はブーランジェリーに改装されていた。

 車内には上手く設計された棚に各種パンが並んでいる。中で2人の男性が忙しく働いていた。小さいワゴン車だから動きもままならない様子だが、慣れたもので手を拡げられる範囲に各種パンが置かれて、客の注文に素早く対応する。

 ショーケースに並ぶクロワッサンがあっと言う間に売り切れた。残るパンケーキ類はパン・オ・ショコラとショソン・オ・ポムだけ、様子を見ているとバケット・トラディションやパン・カンパーニュを買う人が多い。次々と客が訪れ次々とパンが売れていく。

 ボードにFARINE DE LEVAINの手書き文字がある。ライ麦粉、天然酵母を使い、伝統的な製法で作ったパンの意味、パン職人の手によって作られたと証明している様なものだ。

 

 客が少し途切れた。中で働くひとりがワゴン車から降りて一服始めたので、「休憩中済みませんが少しお話を聞いて良いですか」と、話しかけてみる。

「良いよ、何か」の返事。

「店をお持ちですか」と尋ねると「いや、店は持ってない、このワゴンが僕の店だよ」との事。暫く立ち話をしてもらう。以下がその簡単な対話の内容だ。

 相手をしてくれたワゴン・ブーランジェリーのオーナーはジェロームさん。同じイル・ド・フランスのとある小さな町に厨房を持ちパン作りをしているとの事。出来たパンをワゴン車に積んで各所に点在する朝市で販売を続けているそうだ。

 毎週日曜日はここボワ・ル・ロワの朝市で、土曜日は違う場所の朝市で、と。朝市が無い時は、場所を変えながら路上や広場に駐車して販売をするそうだ。

 自前の店は持ってないが、店は無くてもワゴン販売で商売は充分成り立つと言う。ここの朝市でも買いに来てくれる人はほとんど常連、何を買うかは予測が付くので無駄が少ない。ワゴン販売の良さは人件費が少なく出来る事、さらに店舗に必要な経費も少なくて済む。

 個人的にはこれから伸びるビジネスだと思っているそうだ。この朝市を訪れたのは始めてと伝え、訪れた理由を話すと「それは残念、彼は友達だよ。今日から夏のバカンスに入った」と教えてくれた。「良いショコラを作っている」とも。

 「またお客が増えているので、失礼」とワゴン車に戻った。ロムアードさんには会えなかったが、ジェロームさんに会えて立ち話が出来たのは今日の収穫だった。

 

 折角のボワ・ル・ロワ、少し街の様子をと思ったが日曜日でバスの本数も少ない。時間も未だ昼前、予定を変えてフォンテーヌブローの朝市へ向かう。

 幸い、15分待ちで列車に乗れた。乗車時間凡そ10分でフォンテーヌブロー駅に着く。フォンテヌブロー日曜日の朝市が賑やかなのは聞いていた。只、開催される場所が何処かは解らない。この街で朝市が立つならこの広場ではの見当は付く。街の中央にあるリパブリック広場。昨年フォンテーヌブロ―、ブラ歩きをした時小休止した広場だ。

 駅前からバスに乗車、隣の席にムッシュ、マダム4人が楽しそうに談話中、中のマダムの膝上に籐かごがある。この人達も朝市行きでは、と目検討を付け下車を待つ事に。幸い感が的中してリパブリック広場前のバス停で下車してくれた。4人の後に付いて少し歩く。

 

 広大な面積の広場にテントが並び、数多くの買い物客で賑わっている。出店数も多く、業種も多彩、予想した以上の規模である。ここには毎週土曜日、モントローの朝市に出店するチーズ店オディール&ジルが参加すると聞いていた。

 大勢の客に混じってブラブラと見物。途中で同じくモントロー朝市に出店している八百屋を見かける。レゲ風に髪を纏めたお兄さんだが、その彼が気付いてくれて「ボンジュール・サヴァー」と声を掛けてくれる。

 これだけ多くの店、その賑わいを見るとブラ歩きも何となく楽しくなる。パリの朝市に似た雰囲気、流石にフォンテーヌブローはイル・ド・フランスを代表する街のひとつと感心した。ひと際長い行列の出来ている店があるので近づいて見る。長い屋台に沢山の商品を並べたブーランジェリー。余ほど評判が良いのか客の列が途切れる事無く続く。

 客も多いが働くスタッフの数も多い。美味しそうに焼けたパンが次々と売れていく。列に並びクロワッサンとパン・オ・ショコラを買う。相手をしてくれたスタッフとほんの少しだが立ち話が出来た。

 毎週日曜朝市に出店しているが、実はフォンテーヌブローにブラーンジェリーを構えているとの事。店の名前はLes Petits Pains Mathilde、店内にはカフェもあるそうだ。パティスリーの評判もいいですよ、と言う。

 日曜日ここに出店するのは、お客の数が多い事。一日の売り上げも比較にならない程店売りを上回るそうだ。と言う事で店は日曜日は休みと言う。それにしても良く売れる。

 歩き疲れたので、広場に面したカフェでひと休み。ここにもタバコと宝くじ売り場があるので奥のカウンター席を覗いて見る。カウンターの中では中国系の人達が忙しそうに働いていた。マネージャーと思えるまだ若い中国系男性がスタッフに指示をしている。

 店と広場との境に路があり、広場にはテラス席が出来ている。同じカフェの経営。フランス人のギャルソンがトレーを手にカフェとテラス席を往復していた。客のほとんどは朝市に来た人達とみえ、テーブル脇には籐かごや布製の買い物袋が置かれてある。

 買い物を済ませた後は一杯やりながらのんびりと寛ぐ。フォンテーヌブローの長閑な時間と市民達の関係。コロナ禍の中でもこんな光景がある。価値あるひとつの発見だった。

 たまたま回ったふたつの朝市で見かけたブーランジェリー。店を持たずワゴン売りでビジネスを続ける人、店を持ちながらも朝市に出店してさらにビジネスを拡張する人。キーワードは朝市と言う特殊な空間と人出の多さ、長い歴史にあるようだ。これからのビジネスに何がしかのヒントを貰えたような朝市巡りの一日だった。

 


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