小川征二郎のパリ通信


Vol.103 どら焼き 朋

 2019年を迎えた1月18日、日本大使主催の賀詞交換会が日本大使公邸て開催された。木寺在フランス大使主催の恒例の新年会、公邸の大サロンに日仏招待客が大勢集まって盛況、今年は例年より多めの招待客であった。

 大使の挨拶で幕が開き恒例の新酒鏡開き。その後乾杯、お雑煮、寿司、日本料理の振る舞いと招待客は大喜びである。日本人客は勿論フランス人の方達も次々と料理を皿に盛っていく、日本料理がフランスで好評なのも当たり前になった証、日本酒も好評だ。

「お蔭さまで日仏友好160周年記念「ジャポニズム2018」各種行事も大好評の内に終わりました。フランス人の日本への関心も更に高まり、日本へ行って見たいと言う人が増えている。大変喜ばしい事と感謝しています」木寺大使はこの様に挨拶。途中津軽三味線の演奏もあり、会は和やかに進行した。

 

 70年、80年代、パリのオペラ通りは「日本人通り」と言われるほど日本人が集まる通りであった。フランス人がこう呼ぶのか、日本人が勝手にそう呼んでいるのか定かでは無かったが、当時の日本人向け各種ガイド・ブックではこのように表記されていた。

 日本レストランやパリで初めてのラーメン店などもあり、免税店も多く日本人観光客で賑わう通り。この様に呼ばれるに相応しいオペラ通りであった。更にこの通りから斜めに伸びるサン・ターンヌ通りにも多くの日本レストランが並び、昼夜日本人客で賑わったものである。

 バブルと言われた日本の好景気が終わり、日本経営の企業が次々と撤退すると日本レストランも閉店が続く。その跡には韓国レストランや食品店が出現して日本人通りの通称も何時の間にか消えてしまう。

 

 漫画、アニメ、コスプレなど新しい日本文化が台頭すると、フランス若者の間で日本への関心が高まり、再びこの界隈に日本文化に関した新しい店、企業が集まるようになる。ラーメン、うどんなどの日本食レストランや居酒屋、たこ焼きなど今迄無かった店が出現。日本パン屋ではフランスのパン屋で見かけないアンパンやクリームパンなど物珍しいパン類を求めるフランス人客が挙って集まるなど、新しい変化が起こる。
 実を言うとこのパン屋も人気のラーメン屋の何軒かは韓国系や中国系のフランス人オーナーが多い。経営者がどこの国の出身であるかに関係なく、フランスの若者たちは日本テーストの物であれば、その背景に関係なく受け入れているのが現状だ。新しい日本文化の始まり、パリの今はこんな状況になっている。

 

 この界隈に「朋」というどら焼きが売りの店が出店して3年目を迎えた。店のオーナーはロマン・ガイアさんと言う若いフランス人パティシエ。和菓子職人の村田宗徳さんとのコラボで、どら焼きを中心にフランスと和菓子テーストのオリジナル・ケーキ類を発売、人気の店を創り上げている。

 この店に付いてはオープン時から聞いてはいた。聞いてはいたもののわざわざ出掛ける事無く2年が経ってしまった。どら焼きブームを作った店、と言う噂も何となく大袈裟な、と言う感じの受け止めであった。

 この店の近くにsushi Bがある。ここで開催された新年会の帰り、同席の日本人女性の方がどら焼きを買って帰ると言うので、興味本位で同行させてもらった。鮨屋からは歩きで1分足らずの距離である。この事がきっかけで、今回のレポートとなった。

 

 日を改めて出かけた某日、店のサービス担当の日本人女性藤原さんに取材の許可をもらう。店内入り口左側に鉄板プレートがあり、ここで手焼きのどら焼きが作られる。オープン厨房、店を訪れる人の目に先ず留まるのが、ここでの作業ぶりだ。先に訪れた時は、若いフランス女性がどら焼きを作っていたが、この日は生憎不在。

 この作業場近くにレジ用テーブルとショーケースがあり、焼き上がったどら焼きが並べてある。その隣には店のオリジナル・ケーキが、見た目はフランスケーキだが中身には和の要素が色々と取り入れられているそうだ。

 店の奥、別部屋左側にカウンターがあり、その奥にも厨房がある。カウンター前のスぺースに二人掛け4席のテーブル、客席の一番奥には長椅子、その前に短い脚のテーブルが添えてある。フランス人やアジア系の方が席を占め、テーブルの上にはどら焼きと抹茶が置かれ、皆さん楽しそうに時間を過ごしておられる。お客は殆どが女性客だ。

 正直言うと、この光景にはちょっと驚かされた。どら焼きを食べに訪れる人がこんなに沢山集まるとは。抹茶もどら焼きも決して安い値段ではなく、庶民感覚では結構高めの設定である。

 席が空いたのでどら焼きとコーヒーを注文、皆さんは抹茶とのセットでどら焼きを注文されていたが、私が注文した物は小豆餡の上に抹茶アイスが乗っているもの。抹茶を添えなくても、充分に抹茶味を堪能出来る。と言う事で飲物はコーヒーにした。

 日本のどら焼きは生地に小麦粉、砂糖、卵、店によっては蜂蜜を使っている様だが、朋ではバターやクリームなどを使っているそうだ。京都産の小豆を使うと言う餡もすべて手作り、程よい甘さの良い味に出来上がっている。コーヒーにも拘りがあるのか上質の豆を使っていた。

 

 隣の席で抹茶セット楽しんでいた若い二人の女性、ひとりはベトナム系、その友人と言う女性はアルジェリア系、何れもフランス生まれのフランス育ちだそうだ。二人とも日本大好きのフランス人で、行って見たい国の一番が日本と言う。

 奥に広い別室があり、更に多くのテーブル席が、ここも殆どのテーブルがお客で埋まっていた。若いカップル、家族連れ、日本人の姿は見られない。パリのどら焼きブームを作った店、と言う言葉は決して誇張で無いと実感する場がそこにあった。

 ロマンさんは日本テーストのお菓子に興味を持ち、凡そ1年日本の和菓子店で修業をした経験がある。村田さんとの出会いでこの店が出来たそうだが、日本とフランスの融合をお菓子の世界で上手く作り上げ、成功した先駆者である事は間違いない。

 

 古い話になるが、息子の誕生日に何人かの友達を招いた事がある。当時小学生で色んな家で誕生会が行われていた。そんな折日本から訪れた友人が土産のどら焼きと最中を持参してくれた。当時真に貴重な日本のお菓子である。

 お茶の時間となり、近くのパティスリーで買ったケーキと一緒にどら焼きをだした。アッと言う間にケーキは無くなったが、どら焼きには手が出ない。後で聞いた息子の話で「小豆餡を食べる事が無いのでみんな食べないよ」と言う。

 パリでどら焼きブームと言う言葉を聞き、最初に思ったのはこの事だった。あれから数十年今ではフランス人が経営するどら焼き屋が繁盛している。感慨深いものがある。

 では何故今どら焼きが売れるのか。藤原さんの話では映画「あん」を見た人達が興味を持ち始めたのが、その動機であるらしい。この事は藤原さんがロマンさんから聞いた話だそうだ。ロマンさんもこの映画を見て影響を受けたひとりだそうだ。

 ブームと言うものは色んな要素が絡み合ってひとつの現象となる。どら焼きブームもその例のひとつだろう。私は「あん」と言う映画も本も知らなかった。時代に遅れ、流行りに付いて行けてない自分に悔い、反省しているところである。

 私が取材をした時は春バカンスの最中、こんなにもと思うほど店に次々と客が訪れている。カウンター奥でフランス・メディアの取材を受けていたロマンさんが厨房に帰って来たので、写真を1枚撮って店を後にした。


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