小川征二郎のパリ通信


Vol.80 マカロン・グルマン

 サン・ジェルマン・デ・プレのセーヌ通りにマカロンの専門店マカロン・グルマンがオープンした。店のオーナーはヤニック・ルフォールさん、フランスでも有名なマカロンのスペシャリストである。会社とアトリエはパリから南東へ18km離れたイエールと言う町にある。イエール川沿い、印象派の画家カイユボットの別荘が有名だ。

 

 ヤニックさんがマカロン専門の会社を設立したのは1999年。それまではパリでパティスリーを経営していた。数あるスイーツの中でマカロンの評判が良くなり、他の店や企業から特別注文が来る様になる。その間マカロン・コンクールなどで色々と賞を受賞、マカロンのスペシャリストとして評価されるようになる。外部からの注文が増え続ける中で専門の工場設立を決意、現在あるイエールに近代的なアトリエを完成する。
 現在、アトリエには12人のスタッフが常駐してマカロン作りに励んでいる。その種類もカフェ、ショコラ、バニー、ピスタチオ、フランボアーズといったマカロンの定番、オーソドックス商品に加え、シャティニオン、ノア・ド・ココ、シトロン・ジャンジャンブル、ショコラ・パッション、アブソール・カシスなど、ここならではの特色あるマカロンが常時20種類以上も作られている。更に季節季節で旬の果物を取り入れた新商品を開発、次々とラインに新味を加えている。

 

 コストを考えると品数を抑え売れ筋をしぼる方が効果的だが、ヤニックさんの挑戦はとどまる事がない。この様な試みに対応出来るのも、近代化された厨房の中で効率よく生産できるノウハウがあるからだ。
 セーヌ通りの62番地と言えば、有名ショコラティエ、ヴェイスがあった場所である。地方ショコラティエの雄と言われたヴェイスだが1年前にパリを撤退、店が閉まったままの状態であった。そこに新しく登場したのがマカロン・グルマンである。
 白塗りの外観にドアの取り手の部分がグリーンと爽やかな店構えだ。ショーウインドーのハート型大判マカロンが目印、道行く人の目を楽しませている。広いウインドーからは店内が一望できる。

 

 店に入ると白とパープルの洒落た空間、正面に半円形のショーケースがあり、中にパステルカラーの美味しそうなマカロンが形良く並べてある。マカロン・パリジャンと呼ばれる、中にジャムやガナッシュを挟んだ最もポピュラーな物だ。今ではフランスでもマカロンと言えば、このパリジャンが主流になっているが、このお菓子の歴史はそれほど古くない。最初に作ったのがラデュレと言われ、今でもラデュレの看板商品になっている。
 壁面の棚にパッケージ入りのマカロンやマカロンを使った各種ケーキが飾ってある。レジ前の棚にはマカロン・ナンシー、サン・ジャン・ドゥ・ルズ、イエールなど地方色豊かなマカロンが置いてある。パリでは余り見かけなくなった、昔ながらのマカロンだ。
 マカロンがフランスで作られるようになったのは16世紀の半ば頃と言われている。卵白と砂糖、アーモンド・パウダーを使ってオーブンで焼いたこのお菓子は、今でも各地の伝統菓子として市民に親しまれている。中でも有名なのがナンシーやアミアン、ロアール、アルザスなどの地方で作られるマカロンで、味や形も少しずつ違いがある。パリで開かれる地方物産展などで必ず登場する伝統菓子、その素朴な味を愛する人は多い。

 

 ヤニックさんの会社でも主力はやはりパリジャンだそうだ。パリのパティスリーにはどの店でも、必ずと言ってよいほどマカロンがある。パティスリーにとって欠かせぬアイテムなのだ。ブームが起きたのは10年位前だが、今に至も衰える気配はない。
 数あるパティスリーの中でも、これだけの数と種類のマカロンを揃えた店はそれほど多くはない。パリで久しぶりに登場したマカロン専門の店である。

 

 2015年サロン・ド・アグリキュルチュールが開催中である。週末の人出を避けて月曜日に出かけてみた。地下鉄12号線のポート・ド・ヴェルサイユ駅で下車すると、ホームには沢山の人が群れている。地方からやってきた農業、酪農に従事している方達、その風貌、言葉の訛りで、何となくお国がらが推量出来る。皆さん素朴で明るく如何にもお百姓さんといった飾らぬ雰囲気が何とも心地よい。いつもの展示会では感じない安堵感だ。

 駅の階段を上がると会場の方から家畜特有の匂いが漂ってくる。何とも言えない田舎のあの香り、地方出身の私にはこの匂いが妙に懐かしく好ましい。
 会場入り口広場には何台ものパトカーが停車してしている。テロ事件以来人の集まる場所での警備が厳しくなった。入場料15ユーロを払い、会場に向かう。入り口で民間警備員のコントロールを受けた。カバンの中を見せて無事パス。このサロンにも毎年来ているが、今回が初めてのことだ。

   

 ポート・ド・ヴェルサイユ国際展示会場は、大小7つの建物に分かれている。このサロンはこれらの建物全てを使用している。農業国フランスを代表するサロンだけに、政府や関係団体の支援も熱が入り、開催前からテレビや各種メディアを使って宣伝に努めていた。会場内に設けた特別スタジオから、テレビやラジオ番組を通じて、その日々の出来事を放じている。私が行った日も何人かの大臣が会場を訪れていた。

 

 サロン・ド・アグリキュールチュール第1回の開催は1925年、今年で90年の歴史を迎えている。2014年のサロンに集まった牛、馬、豚、羊、などの動物は凡そ4千頭。飼い主の中には会場内に飼育用の藁を敷いて寝泊まりしている方も居るようだ。期間の入場者は70万人との主催者側発表であった。
 どの会場でも人が溢れるような盛り上がりぶりである。冬のバカンスで学校もお休み、子供連れの家族が多い。乳母車使用の家族も多く、歩行もままならない状態だが、お互いさまと言った感じでいたって長閑だ。同じ職業を持つ仲間意識がこんな雰囲気を作っているのだろう。

 

 サロンの盛況とは裏腹に、このイヴェントがマンネリ化してきたと感じ始めて数年が経つ。巨大な行事だけにひとつのカラーを破る事の難しさは理解できるが、それにしてもマンネリ。何か物足りなく、今ひとつ新味に欠ける。こういう状態から脱するには、中身を変えるか形を変えるしかない。

 

 そんな気持ちが通じた訳でもないが、今回のサロンは変化の兆しがようやく出始めた感じを受けた。変化の一つは、メインのひとつ地方物産コーナーのスペースが例年に比べ狭くなり、出展者の数も減少している事だ。意図的に減らしたのか、それとも出展する側が止めているのか定かではないが、今回大幅に減ったのは間違いない。国外企業の出展も減っている。
 理由のひとつは、2年に1度開催される国際食品博(昨年秋開催)や、毎年年末に開催されるフランス・ワイン生産業者販売会などの影響があると思う。更にこのサロンを単なるお祭り騒ぎの場で終わらせたくないと言う、主催者側の思惑があるように見える。
 半面、基礎農業に関する部門の充実や、それに付随する会場のスペースは大巾に広げている。その試みが今サロンの一番の特色で大きな目玉となっている。
 中でも将来の農、酪農業を目指す後継者育成には力を入れており、小、中生を対象にした各種体験コースの数も増えた。漫画やアニメを駆使しての農業のあり方や将来の方向など、遊びの要素を加えながら指導する専門家の育成などにも力を注いでいる。子供達にとっても面白くて役にたつサロンになっている。
 フランスの農、酪農は国の基幹産業、乳製品を含む農産物の自給率は100%を越えている。フランスが豊と言われる背景にはこの完全自給が大きな比率を占めており、国民もその事を良く理解している。農業従事者の若手育成はこれからも最重点課題だ。それを支えるこの様なイヴェントは益々盛んになって行く事だろう。次回が楽しみだ。


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