2014年03月04日
Vol.68 バレンタイン・ショコラ
窓の外に置いた鉢植の紫蘇の葉が緑色を残したまま風に揺れている。いつもの年なら、葉を落とした茎だけが残る2月、今年は未だ色鮮やかな葉がついている。紫蘇を育てるようになって初めての経験である。穏やかな冬だ。
明るい日差しの中ですくすく育った緑鮮やかな葉を刻み、冷たい素麺に添えて頂く夏の日。秋には手作り餃子にその葉を包み、時には醤油に漬け込んで白いご飯にのせる。我が家の食卓に欠かせぬ日本の味だ。今では異国での暮らしに欠かせぬ大切な物になった。
明るさを増した日差しに誘われてセーヌ河畔を歩く。シテ島の柳に小さな若芽がついて風にそよいでいる。2月のパリはは東京の3月と似たような陽気、吹き抜ける風にも春の気配が色濃く漂う。ポン・デザールに出て板張りの橋を渡る。いつの間にか手摺りの錠飾りが新しい名所となってしまった。今日も大勢のカップルが隙間を探して錠を取り付けている。人々願いとは裏腹に、何とも味気ない橋になってしまった。風情のあった橋である。
バレンタインの日、パリは朝から雨に降られた。その前日パティスリー、ショコラティエール巡りをする。どの店を覗いてもハート形のショコラやパッケージのオンパレードだ。ハートの形とリボンがキーワードと言われるだけに、この二つの要素に拘る店が多い。普段は1種類だけのリボンだが、バレンタインのプレゼント用にはリボンの種類を増やして客の要望に答える店もある。色んな店を巡って意外だったのは、今ひとつ盛り上がりに欠けたと言う事。これはちょっと予想外のことであった。
有名店と言われる所はそれぞれにアイデアを凝らし、購買意欲をそそるに充分な対応をしている。ショーウインドーを見ているだけで幸せ気分になるほど見事な演出だ。少し残念なのは、多くのパティスリーが、以前に比べバレンタイン・ショコラを扱う比率が少なく成っていること。特別扱いをしなくても売れるのか、それともそれほどの手を掛けても売れないのか、理由は解らない。
前にも書いたが、こちらのバレンタイン・プレゼントはショコラに限らない。勿論ショコラをプレゼントする人が多いと言う事に変わりは無いが、バレンタイン=ショコラの日本とは随分と趣きが変わってくる。商業主義の上に成り立つての日本のバレンタインと宗教行事の一環である、こちらの違いは想像以上に大きい。
フランスのある調査機関が調べたバレンタインのプレゼントに関する数字がある。2013年の資料だ。それによると、男性から女性への贈り物、第一位は花で全体の30・5%、レストランへの招待22%、アクセサリー15%、エステへの招待9%となっている。その他本などが続くが、ショコラは入ってない。ちなみに女性から男性へとなると第一位がレストランへの招待で35%、続いてウイーク・エンドに一緒に何処かへ出かけるが10%、アクセサリー5%、エステへの招待5%で、ここでもショコラの上位登場はない。
バレンタイン用にショコラを世界で初めて売ったのは1868年、イギリスのあるショコラ・メーカーと言われている。このことを契機に世界中でバレンタイン・ショコラが売られるようになる。特に日本ではバレンタイン・ショコラと言う特別なジャンルが成立、売上の頂点を確保し続けている。もっともこのピークが終わると売上数字が目に見えて落ち込んでくるようだ。
フランスでショコラが売れる時はと言えば、クリスマスとパック(復活祭)がその代表である。業界が一番ちからを入れるのもこの二つのイベント、いずれもキリスト教からみの行事である。日本との違いはイベント無しでも普段にショコラが売れるという事。フランス人のショコラ好きはつとに知られるところだが、男女を問わずよく食べる。通りを歩きながら、板チョコを頬張る男の姿が珍しくもなく、職場の机の抽出しにショコラを入れている男も少なくない。スーパーのショコラ棚の前に立つ男の数の多さも日本の比では無い。老いも若きもご同様である。
では、世界で一番ショコラを生産している国は何処かといえば、アメリカがダントツの1位である。フランスは5位、日本は7位となっている。一人当たりのショコラ消費ではドイツ人が1位、ちょっと意外だ。フランス人は8位、日本人は12位だそうだ。
ショコラと言えば、フランス又はベルギー、スイスなどが有名だが、このイメージが定着したのは、ショコラを芸術の域まで高めた各国職人達の努力がまず挙げられるだろう。更にカカオ原産地でのプランテーション育成保護なども挙げられる。
特にフランスでは各職業別に優秀な職人を選び、国が最優秀職人の称号を授与、各分野の育成を奨励している。この事が業界のイメージ・アップにも大きく貢献、働く人達の励みになっている。
この称号、ショコラ部門でも1990年に創設され、現在18人が認定されている。それ以前にもパティスリー、コンフィズール部門での称号受賞者がいて業界を盛り上げていた。長いショコラの歴史で見ると、この認定いささか遅すぎと思うのは私だけでは無いようだ。
東京に住んでいた頃、海外旅行に行った人のお土産といえば、チョコレートかウイスキーがその殆どだった。ウイスキーならジョニー・ウオーカーの赤ラベル、たまに黒ラベルを頂くと蓋を開ける日を選んだものである。チョコレートと言えば不思議とハワイアン・チョコと呼ばれる物だった。
ハワイ土産ならともかく、アメリカ土産も同じ物で、ハワイアン・チョコが一番有名なのだと思い込んでいた。当時アメリカへ行くにはハワイ経由の便しかなかった時代である。ハワイでの待ち時間の間に免税店で土産を買うのが便利と知ったのは随分後の事である。1ドル360円の時代だ。その当時バレンタイン・ショコラがあったのか記憶にない。
パリに移り住んで、チョコレートをお土産に頂く事は殆ど無くなった。チョコレートをショコラと呼ぶようになったのもパリ暮らしを始めてからである。同じようにショコラの専門店があると知ったのもこちらに来てからだ。当時の日本にもショコラ専門の店はあったのであろうが、私は知らなかった。
先日、ドイツのフランクフルトに行った知人からモーツアルト・クーゲルを土産に頂いた。モーツアルトの肖像画が描かれた金色包装紙に包まれた丸いショコラ。中にアーモンドが詰めてある。フランス・ショコラと一味違の風味が妙に新鮮だった。元々はオーストリアの銘菓だが、頂いたそれはドイツで作られた物だった。10年前、バルセロナ、アマリエのアーモンド・ショコラを頂いて来の出来事である。