Vol.87 パパブブレ

 切っても切ってもの金太郎飴は日本の飴菓子界を代表する優れ物と予々思っている。最近のお祭り現場は知らないが、昭和期のお祭りと言えば綿菓子と共に、どの地方の縁日、どの神社のお祭り場でも必ず登場していた。この時代を通った方なら一度は目にして口にした事があるのでは。懐かしさのこもる庶民の味、金太郎飴はその代表格であった。

 時代は替わり最近の飴細工は様々に変化している。特にフランス菓子の影響で、日本でもパティシエの方々が飴菓子に大きな変革をもたらした。今ではアートな領域へと移り変わっている。
 世界中で色んな料理のコンテストが開かれる今日だが、お菓子の世界でも各種コンテストが盛んである。個人での参加もあるが、大きな大会となると世界中の国で予選を突破した各国代表が参加する。国の威信をかけて世界の頂点を目指す権威ある大会である。

 世界的に有名なコンテストと言えば、先ずは2年毎にフランスで開催されるクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーやアメリカで開催のワールド・ペストリー・チーム・チャンピオン。2008年から開催された男女ペアで競うモンデアル・デ・ザール・シュクレ、更に日本でも人気のサロン・デュ・ショコラなどのコンテストが有名だ。

 過去の大会では日本代表が優勝したり上位入賞する事で日本のレベルが世界的水準に達していることを証明している。大会は色んな部門に分かれているが、必ずあるのがシュクル・ダール、砂糖菓子の部門である。

 シュクル・ダールとはフランス語で砂糖菓子をアート(芸術)にまで高めた工芸菓子のことを言う。通常はデコレーション・ケーキとして用いられる事が多い。伝統的なものとしては花や果物、又は建造物などをテーマにした物が良く作られている。最近はその時代時代を反映する色んな出来事などを立体的に、更に華美に表現してひとつの作品を作る傾向が主流となっている。特にドラマ、アニメをテーマにしたものが多く目につき人気も高い。出来上がり後でも長期保存が可能なのでパティスリーなどのディスプレーで見かけられた方も多いと思う。

   

 飴菓子技法のひとつ、引き飴技法を使った飴専門の店が今回紹介するパパブブレである。
日本の金太郎飴を洋風に仕上げた物と言えば解り易い。大きな違いは金太郎飴は味が単一だが、こちらは味のバラエティが多岐に渡っていることだ。それだけでは無いよ、と、異論のある方も居られるかも知れないが間違っていたらご容赦を。
 パリ1区オペラ通りの中程、有名なオペラ座を正面に見て右に曲がるとプティ・シャンという名の通りがある。角にスターバックスがあるが、通りの遥か先にヴィクトワール広場があり、ルイ14世の騎馬像が見えるので解り易い。この通りの13番地にパパブブレの店がある。
 店のオーナー・シェフはブナウさん。南仏生まれのまだ若いイケメンのオーナーだ。アシスタン一人にスタッフ2名の陣容だが、それぞれの役割を上手にこなす明るいチームである。それほど広くない面積の店だが、厨房スペースは贅沢に取っている。ブナウさんが作業をする様子は通りからも店内からも見えるようになっている。
 デモンストレーションとも言える作業が始まったので暫く見させて頂く事にした。予め作る飴の完成をイメージに、白色の平らな飴を板状に切り、それを磨きぬかれた鉄板の上で丁寧に伸ばし始める。同様に色のついた飴を同じ寸法に伸ばし、出来上がった棒飴を先に出来た白色の棒飴に絡めながら丁寧に伸ばしていく。紅、緑、黄色の棒がバランスよく絡み艶のある一本の棒飴が完成。それを温かい内に規定の長さに切って仕上げる。
 飴のデザインは色々、シトロン、フレーズ、ポム、パッション・フルーツ、マンゴ、キウイ、ミントなど味も香りも様々だ。同じような手法や更に手の混んだ手法で色んな模様の飴が出来るとの事、その考案が面白くこの飴作りの醍醐味であるらしい。
 パパブブレはスペインのバロセロナがその発祥と言われる。2002年トミー・タングさんが伝統的な飴に工夫を加えて新しいタイプの飴を完成した。店の名前をパパブブレとして売り出し、アッと云う間に評判の店になったと言われている。現在、オランダ、ニュヨーク、東京にもフランチャイズ店がある。
 ブナウさんの店もフランチャイズ店のひとつ、パリでの1号店だそうだ。もともとコンフィズールとして飴作りの経験があり得意とする分野だっただけに、パパブブレの存在を知りフランチャイズ、パリ店を思いついたという。
 爆発的な売上では無いが、日々お客が増えているそうだ。観光客も寄るようになりお土産用に買う人が多いという。パッケージの袋や壜の可愛さも女性好み、更にお手頃な値段設定も買いやすい要素となっている。最近子供連れの客が増えたとの事、店としては思惑通りの方向だそうだ。
 今から15年位前まではパリの幼稚園や小学校の近くには必ずと言っていいほど駄菓子屋さんがあった。授業が終わる4時頃には学校の前に迎えの母親やおじいちゃんが集まり、教室から出て来た子供を連れて駄菓子屋へと向かう。買ってもらったキャラメル、ボンボン、グミ、焼き菓子などを紙袋から取り出して口にしながら家路へ帰る姿が、何とも微笑ましい光景であった。
 駄菓子屋の数は減っても、学校帰りの買い食いの習慣は今でも残っている。脈々と続くこの伝統、出来る事なら無くなって欲しくないと思っている。駄菓子屋には子供の夢が詰まっている。

 

 約1周間のゴミ収集ストが漸く終わり、道端に山積みとなっていたゴミが無くなった。幸い気温が下がり街自体が冷蔵庫状態だった為、悪臭被害は少なかったが、カフェやレストランの前は魚や肉の匂いが立ちこめ、避けて通る人もいた。
 フランス革命で自由の権利を獲得したこの国の市民は、当然の如く自己主張をする。デモやストに関しても平等の立場で受け入れる習慣が出来上がっている。本音は解らないがストをやっている人達へ文句を言ったり抗議をする市民は見当たらない。今回のごみ処理ストでも市民はいたって冷静に受け止めていた。次に我々がストをやる時は宜しくの感覚なのだろう。
 バスが突然止まって運転休止、理由の説明もない。「ここで終わり」だけの運転手のアナウンスがあるだけだ。慣れた人なら様子を察して下車、次のバスを待つが、海外からの旅行者などはこうは行かない。只々戸惑うだけで見ていて本当に気の毒になる。
 この街に滞在したことのある、又は旅行で来られたことのある方なら、一度や二度はこのような出来事に遭遇されたことがあるだろう。国が違えば文化や習慣も違う。当たり前の事だが中々慣れないものだ。