Vol.70 パトリック・ロジェのプチ・ミュゼ

 緑一色に包まれたパリである。プラタナスの街路樹も公園の並木も一斉に若葉が開き、日ごとに色を増す木々の間を春の風が吹き抜けていく。その爽やかな風に乗ってマロニエの白い綿帽子が空中を舞う。まるで緑のキャンバスに粉雪を描いたように映る一瞬の動きが実に美しい。

 日差しにも一段の輝きが加わってきた。心に弾みがつく季節の始まりだ。

 

 パックを一週間後に控えた日曜日。ラスパイユの朝市で取立ての卵を買い、少し回り道をしてウクライナ正教会に行った。パリに住むウクライナの人々の心の拠り所とも言える教会である。日曜礼拝の時だけ開く正面の玄関だが、外からも金色に輝く祭壇が見える。その祭壇の前で多くの人が祈りを捧げていた。

 信者でもない私がここを訪れ、教会の中を見せてもらってから時々この教会前を通るようになった。サン・ジェルマン通りとサン・ペール通りが交差する角にある小さな教会。あの時から何年かの歳月が過ぎている。

 ウクライナ問題が勃発してからは集まる人々の数も増え続けている。スラブ系の顔立ちで仲間内ではウクライナ語を話す人達だ。

 異国で暮らす人間にとって、祖国で起こる色々特に不幸な出来事は、本国で暮らす人よりより敏感になる。人種を越えた共通の意識と言って良いだろう。今海外で暮らすウクライナの人達の気持ちが痛いほどに理解できる。

 

 この日、ミサに参加する皆さんは、緑の葉を付けた小枝を手にして集まっていた。今まで知らなかったが、復活祭の1週間前の日曜日、信者の人は柘植(つげ)の小枝を祭壇に捧げるセレモニーがあるとのこと。キリストがエルサレム入城の折、人々がナツメヤシの枝を持って迎えた故事に因んでいると言う。集まる人の中にはこの柘植の小枝に花とネコヤナギを添える人もいた。所によってはオリーブの小枝を用いる所もあるようだ。

 サン・ジェルマン教会前の広場には柘植を売る人達がいた。田舎で柘植の小枝を切り、パリまで運んで売る人達である。どうやら宗派を越えての儀式であるらしい。

 

 今年のパックは4月20日 日曜日であった。パックについては毎年触れているので既にご存知の事と思う。イエス・キリストが復活したとされる、キリスト教の祝日である。フランスではこの日を祝って学校などは2週間の連休となる。

   

 今年もパックのショコラがパリ中のショコラティエやパティスリーのショー・ウインドーを盛り上げている。有名店のディスプレーはさすがに見応えがある。フォション、エディアールの両店は言うまでもないが、同じ界隈にある老舗ラ・デュレのウインドーも洒落た飾りで、人々の足を止めている。大勢の観光客が盛んにシャッターを押していた。

 

 何れ甲乙を付けがたいが、おしゃれ度No.1はマルキ・ド・ラデュレではなかろうか。高級店のもつ総てを備えた店、ディスプレーも洒落ておりスタッフの対応も好感がもてる。春の到来を告げる舞台の中に、ショコラの卵や動物たちが並ぶショー・ウインドーの見事な演出も申し分ない。

 ジャンポール・エヴァンは今年創業25年を祝うディスプレーだ。老舗を競うショコラ界で創業25年という歳月はまだまだと言えるが、創業以来常に業界の注目を浴びてきた事は特筆に値する。今ではフランス・ショコラ界を代表する重鎮の一人である。

 老舗といえば、ストレールのパック・ショコラも見所だ。今回も店の前に特設屋台を設え、色とりどりの商品でアピール。顧客の多さに加え、パックのバカンスで訪れた観光客もわざわざ足を運んで来るという。ガイドブックを持った人が多いのもこの店の特色、創業1730年パリで最も古いと言われるパティスリーである。

   

 ジェラール・ミュロも相変わらずの賑わいぶりである。ウインドー・ディスプレーも華やかだが、店内に陳列したショコラ種類の多さが特に目を引く。ここの惣菜クオリティの高さは業界でも有名だが、国外での知名度も高く観光客が大勢いた。ここで買って近くにあるルクサンブール公園やサン・シュルピス教会前の広場でお昼を取る人も多い。パン、ガトー、ショコラ、お惣菜と何れも人気、左岸を代表する店である。

   

 アルノー・ライェールのガトーはその素材の組み合わせのバランス、色使い巧みさ、繊細なフォームの良さで定評があるが、パックのショコラにも色々な工夫が施されている。

 

 卵にいろんな模様を描いたイースター・エッグの伝統を守り続ける店と言えば、ドゥボーブ・エ・ガレが老舗の矜持を保っている。今年は古きロシアのロマンチックな時代を想わせるディスプレーでショー・ウインドーに華を添えている。ブルターニュに本店があるアンリ・ルルーの卵にはこの地方の象徴とも言える海の荒波を描いて店のイメージを上手く表現、存在をアピールした。

 

 パックのショコラには共通したパターンがあり、基本になる決め事はよほどの事が無い限り変わる事はない。その基本は生命の復活に関するもの、又はキリスト教に関わりがあるもの、例えば卵、雌鳥、魚、鐘などが主なるテーマになっている。これらの物を如何に新しさを出して、お客の関心、購買意欲をそそるかが店々の腕の見せ所と言う訳だ。ということで、同じ卵でも昨年の物とは一味異なる物の登場となる。

 十年位前にアニメのキャラクター・ブームがあり、その前は恐竜ブームの年もあった。子供が手軽に買えるパティスリーやブランジェリーで売られた商品だが、ここ数年これらの店でパックのショコラを扱う所が減っている。その役割をスーパーなどが補う様になった。地方の事は解らないが、ここパリではパックのショコラの主役と言えば、ショコラティエである。

   

 今、パリで一番勢いのあるショコラティエと言えば、パトリック・ロジェを押す人が多い。昨年マドレーヌ寺院前に斬新なデザインの大型店を出して話題になったが、その後もサン・シュルピス教会横の広場に新しく出店。サン・ジェルマン界隈だけで3店舗も展開している。

 デビュー当時からショコラのアーティストとして話題になり、業界でも異色の存在として注目された。ショコラを使った各種彫刻をショー・ウインドーに披露、そのアイデアの面白さ、フォルムの見事な表現力で店を訪れる人や道行く人を楽しませている。

 サン・シュルピス店オープンの際も新たな話題を提供してくれた。この新しい店は広場の角地にありサン・シュルピス通りにも面している。ガラス張りのモダンなインテリアのおしゃれな店である。

 1階がショコラ売り場で、二人の若い女性スタッフがいる。明るく親切で感じの良い応対、訪れた客にショコラを試食させてくれるのも魅力だ。店内の商品陳列もすっきりと整理され、ショー・ウインドーとのバランスも良く、見るだけでも楽しくなるような店の設計になっている。

   

 奥の階段を2階へと上がると、モダンな空間にパトリック氏制作のオブジェを展示したミュゼ(美術館)になっている。パリには大小色々な美術館があるが、規模で言えばここは超小型、只しそのユニークさに於いては紹介するに充分な存在と言えるだろう。

 贅沢なスペースにバランスの良い配置、メインはショコラを素材にした物だが、金属を使った作品もあり、その想像力、表現力の豊かさを惜しみなく見せてくれる。

 ショコラという贅沢なマティリアルを惜しげもなく使いこなした、その勇気にまずは敬意を表したい。制作の際、テーマやフォームによってカカオに混ぜる材料を微妙に変えているそうだ。

 タイトルもストーリーも忘れたが子供の時読んだ、バターでライオンの像を刻んだ少年の物語を思い出した。