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小川征二郎

小川征二郎

フードジャーナリスト。現在パリに在住し、サロン・ド・ショコラ等のイベントや、パリの最新パティスリーを取材している。


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小川征二郎のパリ通信


Vol.63 メール

 秋の香りに包まれたパリの街である。ブティックのディスプレーも一変、装いを凝らした新作モードがおしゃれ好きのパリジェンヌを誘っている。涼しかった夏の延長で今年の秋も既に初冬の寒さ、9月の半ばは雨日が2週間も続いた。葡萄の収穫期を迎える農家では一日も早い晴れ間を待ち望んでいるという。

 

 

 

 先日、久しぶりにサンチエ界隈を歩いた。旅行者には余り馴染みのない界隈だが、おしゃれに関心のある方なら一度や二度は耳にしたがあるのでは。サンチエはパリ2区にある繊維関連の問屋街である。パリ・モードと言えばエルメス、ルイ・ヴィトン、ディオール、シャネルなどの高級ブランドが有名だが、これらの高級品はおしゃれ好きのパリっ子と言えども簡単には手に出来ない。日本から来られた方がフランス人のおしゃれを見て、高級ブランド品を持つ人が少ないのに驚かれるが、こちらでは当たり前のこと。若い人達が手軽に有名ブランドを手にしている日本は世界でもまれな国と言えるだろう。

 

 パリに数多くあるファッション・ブティックはサンチエなどの問屋街で商品仕入れをする所が多い。大小数百軒の問屋が立ち並び、季節毎の新しいモードをいち早く提供する街がサンチエである。ここには世界中からファッション業者が仕入れに来る。ヨーロッパは勿論、アフリカ、ラテン・アメリカ、アジアなどあらゆる国のパリ・モード好きを支えている街と言っても過言ではない。

 

 

 街の構成は複雑だ。有名なサンドニの門につながるサンドニ通りを中に挟んで左右に問屋街が立ち並ぶ。小さな路地の奥にも店やショールームを兼ねた事務所があり、初心者では二の足を踏む事もしばしば。その昔この街はアウトローの巣窟と呼ばれ、警察の支配が及ばぬ所として有名であった歴史を持つ。しばらく前までサンドニ通りは街娼通りとして有名だった。今でも通りのあちこちで客待ち姿の彼女達を見ることが出来る。

 

 サンチエがファッションの街として注目されるようになったのは70年代からである。旧フランス領であった北アフリカのチュニジア、アルジェリアなどが独立、それに伴って多くのフランス人やフランス側に付いた現地の人達がフランスへと移住する。その多くはパリ郊外に居住するようになったが、このサンチエを仕事の場としたのがいわゆるピエ・ノアと呼ばれる人達である。多くはユダヤ系の人達で、たちまち繊維の街を作り上げていった。

 

 このサンチエがここ数年大きく様変わりしている。中国系の進出で、かってフランス人の店であった所を次々と買い取り、新たに店をオープン。その数も毎年増え続けている。通りを隔てた3区には同じようにアクセサリーやバッグを扱う問屋街がある。この界隈もここ数年で9割近くの店が中国人経営と様変わりしてしまった。かってはユダヤ人通りとして知られた所である。

 

 世界のモードはユダヤ人支配により成り立っているといわれるが、その図式も徐々に変化してきた。少し大げさに言えば、今パリ・モードの底辺を支えているのは間違いなく中国人である。安いメイド・イン・チャイナが氾濫する中、メイド・イン・フランスの復活を待ちわびるおしゃれ好きも多い。サンチエが過去の栄光を取り戻すのは何時の日だろうか。

 

 

 最近、廃業した衣類関連問屋を買い取り、新たにレストラン、食品ブティックを立ち上げた店が人気に。後を追うように魚屋、肉屋、フロマージュ、コーヒー専門店など次々と食品関連のブティックが登場、サンチエの新しいスポットとして注目されている。サンチエはこれからも変わり続けて行く、久しぶりの散策で思ったのはそんな事である。

 

 

 

 サン・ジェルマンのジャック・カロオ通りにメールがオープンした。パリで二番目の店である。メールといえば先ずはワッフルが有名だが、パティスリー、ショコラティエとしてもフランスを代表する老舗である。本店はフランス北西部ノール県の県庁所在地リールにある。創業1761年、この地域をフランドルと呼んでいた時代の事。フランドルは現在のフランス北西部、ベルギー西部、オランダの南部を跨ぐ一大経済圏であった。その代表的な都市のひとつがリールである。

 

 1761年デルクール夫妻がリールのエスケルモアズ通に店をオープン。1773年ロレズが後を継ぎアイスクリームを発売、大人気となる。店はリール上流社会の溜り場となった。1839年店をリフォーム、現在の店が出来上がる。当時有名な建築家、画家、彫刻家の共同作業で作られたという店内は、オリエンタル風の華麗なデコレーションが評判となる。

 

 1849年メルトが後を継ぐ。1864年、店の看板ともなるバニラ風味のワッフルを発売。メルトはベルギー国王レオポルド一世の正式パティシエであった。1909年には名建築家コルドニエの設計でルイ16世風のティー・サロン「ファミリー・ティー」がオープン、話題となる。2008年には高級レストランもオープンする。

 

 

 パリへの進出は2010年、マレー地区に1号店をオープンする。店は本店のイメージを再現、インテリアも凝っている。ここでも人気商品はワッフル。一枚一枚丁寧に焼き上げた小判型のワッフルには店の刻印が押されてある。柔らくしっとりとした食感、中に挟まれた甘いアーモンド風味の餡が何とも美味だ。日本人好みの甘さを抑えた味ではない。少し甘すぎではという人もいる。時代やお国柄により味覚は千差万別。日本のマーケットは流行り廃りがよその国より早いと言われるが、それに合わせた物作りが大切な事は言うまでもない。一方で、一途に守り続けるという味に賛辞と共感を持つ人も多い。ミールのワッフルは150年間愛され続けたこだわり、伝統の味である。一度は食してみたいというヨーロッパ中の愛好者へ提供し続け、今では世界中に多くのフアンを持つ。何とも魅力的なお菓子である。

 

 

 ワッフルの他にもショコラなど魅力的な商品が沢山あるが、個人的に良いなと思ったのは、キャラメルの味。そのまろやかで品の良い味は期待したとおりのものであった。キャラメル好きの方ならぜひ一度は試して欲しいお奨めの味である。オリジナル高級コンフィチュールの評判も良く種類の多いのも魅力だ。

 

 

 二号店があるジャック・カロット通りは画廊通りとして有名なセーヌ通りをセーヌ川へと向かい、角にあるカフェ・パレットの前を右に折れた小さな通り。この通りも画廊が立ち並ぶが、その中にポツンと現れた感じの店。さほど大きく無いが、華やかな店内が人目を引きわかり易い。賑やかな通りではないが、アート好きな人の出入りが多く客筋も良い、目の付け所の良さに改めて感心した。

 

 店を訪れた時、リールの本店から来たというディレクターの方と会い、店の歴史などを話して頂いた。日本のマーケットにも関心をお持ちの感じ、日本でミールの焼きたて手作りワッフルが頂ける日も夢ではない。話を聞きながらそんな印象を受けたが如何だろう。


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